キュレーターズノート

例外状態で鑑賞がもたらす意味
──ニコニコ美術館で観る『ピーター・ドイグ展』と絵字幕版『うたのはじまり』

田中みゆき(キュレーター)

2020年04月01日号

本来であれば今頃は、街中はオリンピック一色で各文化プログラムもそろそろ始まろうとしているはずだった。しかし現実には、私たちは歴史に残る例外状態の只中にいる。各国は門戸を固く閉ざし、見えないものとの終わりなき戦いと迫り来る経済危機を前にわたしたちは無力感を味わわせられている。緊急性が高い事項が顕在化するなかで、芸術文化は社会における必要性をどのように訴えていけるのだろうか。この危機に際して、美術館や博物館などの文化施設は多くが休館する一方で、いくつかの館で実験的に行なわれているオンラインコンテンツは新たな可能性を感じさせる

海外ではNew Museumや大手のギャラリーがオンライン展示を始めたり★1、アートバーゼル香港がオンラインで出品作品を公開したり★2、従来のGoogle Arts & Cultureに加えて独自のオンラインのプラットフォームを模索し始めている。日本でもそのような動きは見られるが、企画者が映像に登場し直接作品や展示への思いを伝えるコンテンツが次々公開されているのがとりわけ興味深い。森美術館の「未来と芸術展」でも前館長の南條史生氏がInstagramでギャラリーツアーをする様子が配信されたり★3、東京国立博物館の「おひなさまと日本の人形」では研究員が解説するYouTube動画が公開されたり★4、日本科学未来館のウェブサイトではスタッフが常設展示を解説する動画★5が公開されている。

そのなかでもコンテンツとして秀逸だったのはニコニコ美術館による、東京国立近代美術館「ピーター・ドイグ展」の生中継だろう(現在でもタイムシフトで見ることができる)★6。桝田倫広氏(東京国立近代美術館主任研究員)、蔵屋美香氏(東京国立近代美術館企画課長)、五月女哲平氏(アーティスト)が出演した本番組は、オープン3日目にして臨時休館となってしまった美術館側が、ニコニコ美術館という配信サービスを知り、ドワンゴに話が持ちかけて実現したという。番組は、普段の美術館でも憚られるほどのカメラの寄りや引きの画と共に、スポーツ中継における実況アナウンサーとスポーツ解説者に似た構図で進行されたのが興味深い点だった。



休館中の東京国立近代美術館「ピーター・ドイグ展」から生中継【ニコニコ美術館】
左から桝田倫広氏、蔵屋美香氏、五月女哲平氏

オンライン鑑賞ツアー──アナウンサーと解説者の役割


以前「音で観るダンスのワークインプログレス」というプロジェクトを企画していた際、芸術分野に限らず音で伝えることの専門家を招いてさまざまなワークショップを行なった。そのなかのひとつがスポーツ実況だった。スポーツ実況は、状況を説明する実況アナウンサーと解説者によって進められる。実況アナウンサーは描写が中心で、見る側の脳が現場の進行に追いつき、一緒に楽しめるような情報量で状況を伝える。私がお招きしたアナウンサーの方は「テレビで言うところのカメラ、ディレクター、スイッチャーの役割を担う。自分でゲームを組み立てることができる面白さがあり、さらに解説者が入ることでよりそのスポーツが伝わりやすくなる」と語っていた。解説者はプレーヤー側の立場で、選手の状態や心情、ゲーム全体の流れや展開の予想なども含めた解説をするという役割分担がある。

「ピーター・ドイグ展」生中継の場合は、企画者の桝田氏がアナウンサー(兼解説者)として作品が書かれた背景や作家のキャリアのなかでの作品の位置付けを説明する。五月女氏が解説者としてアーティストの目線から作家の心情や制作方法を想像する。そして蔵屋氏は時にアナウンサーとして視聴者に寄り添って想像を喚起するような素朴な疑問や感想を投げかけたり、時には解説者として絵画の構成を解説したり、他の作家と比較したりなど、役割を行き来しながらツアーを盛り上げていた。

ツアーは普段美術館にあまり足を運ばないであろう視聴者からの多数のコメントにも積極的に答えながら進められた。前半では「ケンシロウに見える」や「広瀬香美」というコメントを拾った瞬間や「30億」という作品の価格に一斉にコメントが湧き、後半では丁寧に説明したマチエールや作家の作風の変化の話、ドイグの絵画の特徴について徐々に理解が示されていくことが感じられるコメントも見られ始めた。その後、2時間半の時間のなかで、後半にいくにつれて解説者よりも先に作品を解読するようなキーワードが出されたり、「現代絵画ちゃうやろwww」という鋭いツッコミが入ったりという場面も見られた。発信する側にとっても通常のギャラリーツアーとは異なる手応えを得ただろう。


休館中の東京国立近代美術館「ピーター・ドイグ展」から生中継【ニコニコ美術館】
《ガストホーフ・ツァ・ムルデンタールシュペレ》(2000-02)シカゴ美術館蔵

コメントに見える視聴者と美術館との新たな関係性


個人的には、新しい作品に切り替わるたびに視聴者の第一印象が一斉に言語化・視覚化され作品と同じ画面に映る様子が特に印象に残った。日本でギャラリーツアーに参加しても、そこまで無防備に作品に対しての第一印象を交わす機会はあまりない。また、ひとつの作品について15分程度かけられ、出演者や視聴者との対話のなかで自由に隣の作品も参照しながら鑑賞するツアーも稀だろう。思い出したのは「視覚障害者とつくる美術鑑賞ツアー」で、そこでは見えない人が触媒としているという前提はあるが、伊藤亜紗氏が「ソーシャル・ビュー」★7と呼ぶ、客観的な作品の情報だけでなく、主観的な印象や解釈を自由に交わしながら鑑賞を進めていく点が共通している。ただそれが自由な感想や感覚の共有の場に留まらず、ピーター・ドイグという作家だけでなく絵画という表現そのものの魅力まで伝えられていたのは、多様な解説者がいるからこそ成せることだった。

他のオンラインのギャラリーツアーにおいても、「不思議な」「かわいい」「恐ろしい」という通常の作品解説には書かれない形容詞が頻出していたり、「美しいですねぇ……」と学芸員が見惚れたり、「何が面白いかというと……」とその作品の魅力を訴える姿が見られる場面は、視聴者との関係性をつくるうえで少なからず機能していただろう。ニコニコ美術館でも、「美術館じゃここまで自由に語れない」「色んな見方ができていいな」など、美術鑑賞の魅力を発見したようなコメントだけでなく、「私語が多くて楽しい」「解説の人が楽しそうでこっちも面白いです!」「3人の解説掛け合い良かった」といったコメントが度々見られたのは、出演者が個人的な思い入れを語ったり、普通は気づかないようなディテールから想像を巡らせたりといった、「タモリ倶楽部」のような時間が流れていたからだろう。



休館中の東京国立近代美術館「ピーター・ドイグ展」から生中継【ニコニコ美術館】
《スキージャケット》部分(1994) テート蔵

私たちの見る映像は、大半が編集され過ぎている。オンラインコンテンツが増える一方で、私たちがひとつの映像に割ける時間は有限なため、発信者のメッセージや意図が明解で、消費しやすい映像コンテンツが非常に多くなった。また、オンライン展示も単に各作品に解像度の高い画像や映像をつけていくだけでは、少しアップグレードした情報サイトとして飽きられるのも時間の問題だろう。もちろん今回のように2時間半の映像を観る人は3分の映像を観る人よりも数は減るだろう。しかしそもそも美術館に訪れる人の絶対数を考えたらそれは許容内のはずだし、実空間に身を浸して体験することもそれなりに時間が必要な行為だ。それくらい私たちの身体は本来時間がかかるものなのだと思う。実際に作品を観るのとは別の方向性の鑑賞を考えた時に、時間をかけて鑑賞する態度やリテラシーを視聴者と共有しながらも、関わる余白を残して信頼関係を築いていったニコニコ美術館の生中継はよい成功例だと感じた。

絵字幕がひらく「二人称的(共感的な)関わり」


また、これは主観を引き出す鑑賞の手法を考える機会になるのではないかとも思われた。慶應義塾大学の諏訪正樹氏は、「二人称的(共感的な)関わり」★8を提唱する。客観的な情報の背景には、熱意、体感、感情といった、客観的に外部から観察することが難しい、本人だけの内的事象がある。「二人称的(共感的な)関わり」とは、表面的な動作や表情に着目して観察対象を客観的に見ることを超えて、対象の奥に潜む『訴え』や『体感』に聴き入ること、その奥に潜むエネルギー的なものを感得することを指すという。鑑賞という相互行為でも、表面に現われるものだけでなくその対象やそれを創作した主体との「二人称的(共感的な)関わり」をどう構築できるかは重要な視座なのではないだろうか。ここで言う主観は、個として自由に印象を述べ合うということを超えた、その対象と経験を共にするような見方を獲得することである。そのためには、裏方と思われてきた企画者・制作者側もある程度発信力を持ち、鑑賞者と長期的に信頼関係を築いていく必要性が出てきたと言えるのではないだろうか。そのうえで、違和感やズレは出てくるはずだが、それこそは他者と鑑賞する醍醐味だと思う。他者との違いを否定せず、それぞれの想像力でユーモアに変えること、価値観の多様さを許容する土壌をつくることこそが、芸術が社会に存在する意義なのだから。

具体例を挙げたい。『うたのはじまり』★9は、ろう者の写真家である齋藤陽道を追ったドキュメンタリー映画である。齋藤は聴者の学校に通い、口話教育の一環として行なわれた音楽教育に自分との関係性を見出せず、音楽が嫌いになった。しかし聴者の子どもが生まれることによって、自らの「歌」を探していく。日本語字幕版には、齋藤の発案で歌のシーンに絵字幕がつけられている。それはミュージシャンでもある小林紗織(小指)によるもので、小林は音楽を聴いて頭のなかに思い浮かんだイメージを五線譜に描く「スコア・ドローイング」を発表してきた。小林による絵字幕は、楽譜の概念にとらわれず、その音がもたらす音色やリズム、質感を絵で表現している。



河合宏樹『うたのはじまり』 ©2020 hiroki kawai SPACE SHOWER FILMS

絵字幕は、聴者から見ると、共感覚をもっていたとされるカンディンスキーが線描や色彩でリズムやハーモニーを描いた抽象絵画や現代音楽における図形楽譜に通じるものを感じさせる。しかし小林は、「これまでの図形楽譜のような『演奏者に向けられた楽譜』ではなく、絵画の鑑賞者を対象にし、私が感覚に忠実に描くことによって観た人たちの中に内在している聴覚と視覚を超越した部分が最大限に引き出されることを祈る」★10と書いている通り、音楽を視覚化しようとするのではなく、その音楽を聴きながら主観的に感じた感覚を描いているのが特徴だ。また、歌だけでなく、聞こえてくる環境音も描き込まれているという。もはや鑑賞を補助する字幕という位置付けを超えたひとつの表現として、映画と並走している。

絵字幕が字幕の一部として使われることで、文字という情報として読む行為と、絵を見て想像する行為を、観客は行き来することになる。絵字幕を見た感想を齋藤は、「その絵がつむいでいる色やリズムを追いかけるうちに、自分のなかで、なにかが解き放たれる感じがありました。『うた』や『音楽』のもっているであろう生々しさに触れたのかも、と思いました」 と話している★11。ひとつの感覚を別の感覚で置き換えるのではなく、さまざまな感覚の間を漂うことで、鑑賞者は結果的にそれを行なっている自分の身体を意識することになる。少なくとも私は、絵字幕を情報としてではなく「歌うように見ていた」ことに気づいた。それを自然に行なえるのは、歌が本来備えている魅力だけでなく、絵の魅力でもあると思う。この映画で絵字幕は、近年ワークショップなどのファシリテーションで用いられるグラフィックレコーディングとも近い性質をもった、主観を引き出す手法として機能していた。

作品を紹介する時、これまでは表面的には客観的な情報が優先され、企画者が主観的な嗜好や思いを口にできるのは鑑賞プログラムのような少人数の副次的な場に限られていた。しかし美術鑑賞だけでなくあらゆるコンテンツが競合となった現在、鑑賞者との関係のつくり方はもっと早くに再考されるべきことだった。実空間が閉鎖され、そこにある作品に思いを馳せるしかないという今の状況は、ある意味「Don’t Follow the Wind」展★12が予言していたとも言えるだろう。もはやアウラ信仰が保てないなかで、実空間と離れて鑑賞という体験をどのようにコンテンツとして成立させられるのか。オンラインでの関係の結び方はすでに個人やビジネス、教育の分野で試行錯誤が始まっているが、この流れを非常時対応に終わらせず、美術に限らない芸術鑑賞の分野でも今後もさまざまな実験が行なわれて欲しいと思う。

★1──"New York galleries are creating online viewing rooms to exhibit art"(TimeOut、2020年3月19日付)https://www.timeout.com/newyork/news/new-york-galleries-are-creating-online-viewing-rooms-to-exhibit-art-031920
★2──Art Basel "Online Viewing Rooms" https://www.artbasel.com/viewing-rooms
★3──森美術館Instagram https://www.instagram.com/moriartmuseum/
★4──「東京国立博物館【オンラインギャラリーツアー】三田研究員が語る、特集『おひなさまと日本の人形』」 https://www.youtube.com/watch?v=Cz3aqOIII4M
★5──日本科学未来館「オンラインで楽しみながら学べる科学コンテンツ 映像コンテンツ(常設展示・アクティビティ)」https://www.miraikan.jst.go.jp/info/2003051425634.html#tenji
★6──ニコニコ美術館「休館中の東京国立近代美術館『ピーター・ドイグ展』から生中継』https://live2.nicovideo.jp/watch/lv324768310
★7──伊藤亜紗『目の見えない人は世界をどう見ているのか』(光文社新書、2015)p.158, p.164
★8──諏訪正樹編著『間合いとは何か』(春秋社、2020)
★9──映画『うたのはじまり』公式サイトhttps://utanohajimari.com/
★10──小指(小林紗織)score drawing / koyubi https://score-drawing.tumblr.com/
★11──「映画『うたのはじまり』の試み。ろう者に音を届ける『絵字幕』」(CINRA.NET、2020年2月13日)https://www.cinra.net/column/202002-utanohajimari_kngsh
★12──東京電力福島第一原子力発電所の事故によって帰還困難区域に指定された地域で開催されている展覧会。立案者はChim↑Pom、アイ・ウェイウェイ、グランギニョル未来など、国内外12組の作家が参加。実際の会場ではまだ誰も見ていない。公式サイト http://dontfollowthewind.info/

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