キュレーターズノート

現代美術館が持つ「現代」の意味──「現在地:未来の地図を描くために」展

野中祐美子(金沢21世紀美術館)

2020年06月01日号

2004年にオープンした金沢21世紀美術館は、昨年の9月から開館15周年記念展を開催中だったが、新型コロナウィルス感染拡大防止のための外出自粛により、訪れることが叶わなかった方も多いのではないだろうか。今号より当欄の執筆陣に加わっていただく野中祐美子氏に、同館が蓄積してきたコレクションの方針と周年記念展「現在地:未来の地図を描くために」についてレポートしていただく。(artscape編集部)


金沢21世紀美術館(2017年3月)[撮影:渡邉修 画像提供:金沢21世紀美術館]

金沢に来て間もなく5年半が経つ。当初は北陸新幹線開通目前で、街は新幹線の話題で持ち切りだった。開通後は周知の通り、金沢は全国屈指の観光地として連日メディアに取り上げられ、美術館の入館者数も毎年「過去最多」を更新し続けてきた。しかし、このコロナ禍において金沢市内も例外なく、異様なまでの静けさを余儀なくされていた。美術館も然りだ。

そのようななか、金沢21世紀美術館では4月12日(日)まで開館15周年を記念する展覧会を開催していた。会期終盤は予定していたイベントや参加型作品のプログラムは全て中止となり、展示室への入室制限も設けるなど、理想とは異なる形での公開となった。本展の担当者のひとりとして開館15周年を機に考え、提示した当館の「現在地」について、そしてコロナ禍の今、あらためて問われる現代美術館の存在意義について本展覧会を振り返り考えてみたい。

コレクションを28のキーワードから捉え直す


2019年10月9日、金沢21世紀美術館は開館15周年を迎えた。それを記念してのべ約7ヶ月間に及ぶ展覧会「現在地:未来の地図を描くために」を開催した。展覧会を現在地[1]/現在地[2]と二つに分けて、現在地[2]は会期途中、館内の部分的な改修工事のため1ヶ月半の休館期間を挟み、大規模な展示替えをすることで前期・後期に分割した。結果的に3期に渡ってひとつの展覧会を構成することとなった。

2019年度といえば、国内ではリニューアルや周年を迎える美術館が相次ぎ、それぞれの方法で各館の特色あるコレクションに光をあて再考するような展覧会が続いた。いずれもコレクションやそれと関連した展覧会をとおして、各館の指針や姿勢のようなものを確認する機会でもあった。当館も15周年を迎えるにあたり、コレクションをメインに考えた。だが単なるコレクション展にするつもりはなかった。



現在地[2]前期 エントランス風景 [撮影:木奥惠三 画像提供:金沢21世紀美術館]

では、どのような展覧会を目指したのか。企画段階で次の三つの方向性を担当者間で共有していた。
・コレクションの解釈や位置づけを見直し、更新する
・金沢21世紀美術館が今後どこへ向かおうとしているのか、それが示されるような展示
・現代美術館として今、取り組むべき課題や問題と向き合う。そのためにコレクションに不足しているものは補完する

金沢21世紀美術館の収集活動は開館の4年前、2000年から開始した。20年かけて今のコレクションを形成してきたことになる。所蔵作品総数は4,006件(2020年6月現在)。開館当初より作品収集の3つの方針を掲げ、その詳細な内容についてもコレクションカタログに明確に打ち出してきた。とりわけ、方針1の「新しい価値観を示す」作品については、開館当初のコレクションを俯瞰して導いた「移動・横断」「非物質性」「協働・参加」「生成・生態」「日常性・個別性」「引用・複製」というキーワードを収集の指針としている。しかしながら、15年という時間が経ちこのキーワードが今なお有効なのか、あるいは少しずつその意味も変容しているのではないか、さらには新たなキーワードでなければ括れない事象も出てきているのではないか、という思いも以前から抱いていた。そこでコレクション形成の今後も見据え、新たに28のキーワードを設定し、展覧会を構成することにした。28全てのキーワードの解説は展覧会HPに掲載しているのでご覧いただきたい。

以上のような経緯を踏まえ、本展はコレクションを網羅的に見せるのではなく、2019年現在においてコレクションから見える新たな意味や解釈を抽出し、アートをとおして世界の「今」を問い直そうという試みとして企画されたものである。

現在地[1]──アートと社会を切り結ぶ

現在地[1]では入り口のアプローチを大幅に変更した。当館は館内に入るための入り口が4カ所あり、そのどこからでも出入りでき、展覧会ゾーンについても本来は交流ゾーンと呼ばれる無料エリアの複数の場所からアプローチが可能な構造となっている。しかし、過去15年間でこのフレキシビリティに対応できた展覧会は非常に少ない。SANNAが設計したこの建物に応えるならば、私たちはもっと自由にあらゆる可能性に挑戦してみることも必要ではないかと考えた。来場者の混乱を多少は受け入れることで、今までの入り口と正反対の位置、しかもいつものように通路からではなく、直接展示室の入り口から始めることにした。


さて、その最初の展示室は新規収蔵作品、ムン・キョンウォン&チョン・ジュンホの《世界の終わり》で始まり、本展覧会全体を象徴する「現在地─過去の参照と未来の創造」というキーワードを充てた。「過去」の男性アーティストと、彼の作品の痕跡を調査する「未来」の女性の物語が左右2面の大型スクリーンに投影され、鑑賞者は現在という自分の立ち位置を実感させられる。本作品では、過去を参照することと、未来を創造することとが重層的に語られ、私たちが存在するこの現在とは、そうした2つの時間の層の織り目であり、参照と創造の結節点となることを示唆している。結論のようになってしまうが、現代美術館とはまさにその結節点において「未来を考え、創造するための場」としての役割を担っているのだと思う。本作品を展覧会の冒頭に持ってきた理由はまさにここにある。15周年を迎えるにあたり、あらためて現代美術館の役割とは何か、を問いかけるような展覧会を目指したのである。



ムン・キョンウン&チョン・ジュンホ《世界の終わり》2012 金沢21世紀美術館蔵
[撮影:木奥惠三 画像提供:金沢21世紀美術館]

この後に続く展示室では、「仮想空間に宿る命」というキーワードでピエール・ユイグとフィリップ・パレーノが行なったプロジェクト「No Ghost Just a Shell」の一部を紹介し、「芸術と生命工学の交差」では遺伝子組換え、DNAストレージ、ゲノム編集、遺伝子ドライブなど、生物のDNAを読み書きするためのさまざまな技術が、アートの新たな表現手段となることで未来の可能性を探った。一方、お手軽にバイオテクノロジーを利用できるようになることの利便性とその裏にあるリスクについても検証する展示とした。さらに、NTTインターコミュニケーションセンター[ICC]で開催された展覧会から本展のために再構成された「In a Gamescpae: REPLAY」では、ヴィデオ・ゲームの世界が今や社会のリアリティを内面化するものであり、そして現実の世界と繋がりを持ち始めていることを示唆する。現実と仮想空間とが曖昧な世界、DNAをデジタルと捉えるようになる世界で私たち人間の生き方、生活様式そのものが大きく変わろうとしている。今回のパンデミックで「新しい生活様式」と繰り返し唱えられているが、私たちの世界は確実に大きな変革期に直面していることを感じる。何を選び、何を捨てるのか。何を優先し、何を後回しにするのか。私たちはどのような未来を創造しようとしているのか。まさに今問われている。



「仮想空間に宿る命」展示風景 左からM/M Paris《Annlee: No Ghost Just a Shell》2000 作家蔵、ピエール・ユイグ《100万の王国》2001 石川文化振興財団蔵、ドミニク・ゴンザレス=フェルステル《安全地帯のアン・リー》2000  金沢21世紀美術館蔵、リクリット・ティラヴァニ《(ゴースト・リーダーC.H.)》2002 neugerriemschneider蔵
[撮影:木奥惠三 画像提供:金沢21世紀美術館]

「深い危機の時代」というキーワードで13作家15の短編映像作品を巨大スクリーンで紹介した。ここで扱われているテーマは、人種や性差別、貧困や労働の問題、エネルギー問題に環境問題、急速な経済発展、人種や宗教から派生した破壊行為や紛争、植民地問題、最先端テクノロジーの及ぼす影響等、世界が直面している深刻な問題ばかりだ。私たちは情報や知識としてこれらの事実は知っているだろうが、その真実と危機をどれほどの人が理解しているだろうか。私たちが生きる時代について作品をとおして再確認し、思考する空間とした。



「深い危機の時代」展示風景 ヒワ・K《あなたが燃やしたものは何か覚えていますか?》2011 作家蔵
[撮影:木奥惠三 画像提供:金沢21世紀美術館]

この後に続く展示では、コレクション作品のなかからペドロ・レイエスの「人々の国際連合」シリーズを「協働の力」というキーワードのもと展開した。レイエスはこの危機の時代をどのように生き抜いていけばいいのかを考え続けている作家の一人だ。国や専門家だけに任せるのではなく、異なる文化、歴史、知恵を持ち寄り個人の意見、個人の考えや行動を重視する。これは、レイエスから鑑賞者へ問題解決を共に行なおうというメッセージでもある。さらに、「エコロジー」「ローカリティー」「関係性についての考察」といったキーワードが続き、コレクションと借用作品を織り交ぜながら、世界の「今」と私たち自身が向き合うことを促した。



ペドロ・レイエス《人々の国際連合 武装解除時計》2013 金沢21世紀美術館蔵
[撮影:木奥惠三 画像提供:金沢21世紀美術館]

交流ゾーンには「静かな変革」というキーワードで新規収蔵作品、高山明の《マクドナルドラジオ大学》を展示した。高山は近年、都市空間自体を劇場化し、現実のなかで活きるプログラムを発表している。「マクドナルドラジオ大学」は、街中にあるマクドナルドを大学に変えるプロジェクトであるが、今回は実店舗での展示ではなくマクドナルドを模した展示空間で行なった。来場者はカウンターで飲み物とMP3を受け取り「講義」を聴講する。「教授」は何らかの理由で母国を離れることになった移民や難民で、例えば「台湾と日本の間で」(歴史学)、「生きのびるために走る」(スポーツ学)など16科目の講義を聞くことができる。今回の展示に合わせ、金沢に住む方々と制作した新しい講義も加わっている。現代社会のなかで存在が弱々しく掻き消されてしまいがちな人々に声を与え、マクドナルドに集まる人々には聴講によって彼らの現実から学ぶ機会となる。本作品は2019年に収集されたばかりだが、作品の内容はもちろんのこと、新しいタイプの作品を収集したという点にも大きな意味があったと思う。昨今、形のないものをどのようにコレクションするのかという課題はより深刻になっているが、収集しやすいもの、管理しやすいものだけをコレクションすることによって、重要な作品が時代の文脈から抜け落ちてしまうことだけは避けなければならない。現代美術の表現方法に規定はない。であれば、いかなる作品であっても収集に制約をかけてはならないだろう。



高山明《マクドナルドラジオ大学》2017- 金沢21世紀美術館蔵
[撮影:木奥惠三 画像提供:金沢21世紀美術館]


現在地[1]は、政治的、社会的問題にアプローチした作品が多い。アーティストは世界で起きているさまざまな事象と真摯に向き合い、問いを投げかけている。本展タイトルにある「未来の地図を描くために」とは、金沢21世紀美術館が社会へ、そして自分たちも含む全ての人々へ、アーティストの投げかけた問いを共有し、未来に向けて考える場を開くことを示しているのである。

現在地[2]──作品が生まれる場、開かれた場へ


現在地[2]は出品作品の9割以上を当館のコレクションで構成した(現在地[1]ではコレクションは半数以下であった)。現代の問題や課題、あるいは事象と照らし合わせながらキーワードを用意し、コレクションを新しい視点で見ることに重きを置いた。もちろん1つの作品が1つのキーワードに収まるわけではなく、いくつかのキーワードと繋がりを持つ。キーワードはあくまでもこちら側が設定した見出しに過ぎず、それをヒントに作品をあらゆる角度からみてもらうことも念頭に置いた。


また、現在地[2]では5名の作家に新作を依頼した。「抽象的な価値」というキーワードで照屋勇賢のモノポリーの紙幣を使った作品群を紹介した。モノポリーの紙幣に切り込みを入れ、数字や文字をバラバラに切り離し、それらをボード上にピン打ちし、教会や美術館のフロアーマップや建物の構造を浮かび上がらせる。本展に出品されたのは、金沢21世紀美術館、米国の国家行事の会場にもなるワシントン大聖堂、カトリックの総本山サン・ピエトロ大聖堂だ。政治や宗教、美術もまた資本主義から逃れえないことをアイロニカルに表現し、社会の仕組み、世の中の動きに対して批評的な眼差しを持つ照屋らしい作品群だ。



照屋勇賢 左:《サン・ピエトロ大聖堂》2019 中央:《金沢21世紀美術館》2019 右:《ワシントン大聖堂》2019 すべて作家蔵
[撮影:木奥惠三 画像提供:金沢21世紀美術館]

塩田千春は光庭に突き出たガラス貼りの展示室全体を使って赤い糸と古い鍵で構成した作品《記憶の雨》を、毛利悠子は展示室と展示室を繋ぐ通路壁面に、さまざまなオブジェが関連し合いながら循環する動きを見せる作品《copula》、そしてミヤギフトシは館内9つの場所を使って雪にまつわる歴史・個人史をとおして沖縄における喪失の記憶と記録についての作品《Records of Snowfalls》を発表した。各展示のキーワードは、塩田から順に「アーカイブ」「見えない力」「境界」とした。また、ミヤギは当館コレクション作品からシルパ・グプタの《無題(ここに境界はない)》を選び、類似したテーマを持つミヤギの旧作《Two Clouds》も取り入れ、ミヤギとグプタの作品が共鳴する展示を試みた。



塩田千春《記憶の雨》2020 作家蔵
[撮影:木奥惠三 画像提供:金沢21世紀美術館]



毛利悠子《copula》2020 作家蔵
[撮影:木奥惠三 画像提供:金沢21世紀美術館]



左:ミヤギフトシ《Two Clouds》2013 個人蔵 右:シルパ・グプタ《無題(ここに境界はない)》2005-2006/2011 金沢21世紀美術館蔵
[撮影:木奥惠三 画像提供:金沢21世紀美術館]

塩田、毛利、ミヤギは改修工事期間の休館中に金沢に滞在し作品を制作した。当館では珍しく静かな環境のなか(通常は、展示作業中も開館している)、彼らが制作に没頭する様子を見て、時にその過程で考え、立ち止まる際には話を聞き、前進できるよう一緒に考える。何気ない日常の会話から彼らのモノの見方や捉え方を発見する。アーティストと一緒に制作の時間を共有することほど贅沢でそして学び多きことはない。現代美術館では当たり前の光景になっているが、私たちは彼らと過ごし学び得たそのことをも作品と共に残していくべきだろうと思う。


今回、公開制作に取り組んだのが安部泰輔だ。安部は古着やはぎれを素材に立体やタペストリー、クッション型の作品を制作し、そのプロセスも含めて作品として公開する。本展では当館の恒久展示作品パトリック・ブランの《緑の橋》を起点に、本展で出品しているコレクション作品を入念に観察し、それらを古着やはぎれで表現し、ブランの《緑の橋》に取り込み、コレクションを集合させた作品《ざわざわ森》を約3ヶ月間の滞在制作で完成させた。「関係性についての考察」というキーワードのもと、コレクションと鑑賞者をより身近な形で繋げるような作品だ。



安部泰輔《ざわざわ森》2019- 作家蔵 ワークショップ風景
[撮影:木奥惠三 画像提供:金沢21世紀美術館]


ちょうどこの原稿を書いている時、クレア・ビショップ『ラディカル・ミュゼオロジー』の翻訳本(村田大輔訳、月曜社、2020)を手にする機会を得た。「複数の過去/現在/未来がぶつかりあう場としての現代美術館」と帯にある。なんともタイムリーな話題で驚いた。「現代美術館」の「コンテンポラリー」を問うために、3つの美術館のコレクション活動の実践を分析しその論を展開する。ビショップによれば、美術館とは「我々が、豊かで多様な歴史にアクセスすることや、現在に疑問を投げかけることや、そして異なる未来を実現することをできるようにする」★1場であり、そしてその未来を切り開くために現代という時代を「我々が集団的に感じ取り理解するために有効でありうるものが、現代美術館なのである」★2と結んでいる。

金沢21世紀美術館が開館15周年記念「現在地:未来の地図を描くために」で目指したことは、まさに現在に問いを投げかけ、未来について考え創造する場となることであった。そのために、過去、現在、未来に作動し続けるコレクションがより一層欠かせないものであることを実感した。本展で掲げた新たなキーワードも視野に入れ、これからのコレクション活動をさらに実りあるものにし、コレクションをとおして美術館が市民に開かれ、未来に向けた対話の場となることを引き続き目指していきたい。


★1──クレア・ビショップ『ラディカル・ミュゼオロジー』88頁。
★2──同書、88頁。


開館15周年記念 現在地:未来の地図を描くために

現在地[1]
会期:2019年9月14日(土)~12月19日(木)

現在地[2]前期
会期:2019年10月12日(土)~12月19日(木)

現在地[2]後期
会期:2020年2月4日(火)~4月12日(日)

会場:金沢21世紀美術館(石川県金沢市広坂1-2-1)


関連記事

JAPAN ARCHITECTS 1945-2010/3.11以後の建築|小吹隆文:artscapeレビュー(2014年12月01日号)

新しいアーキタイプとしての金沢21世紀美術館|五十嵐太郎:フォーカス(2004年10月01日号)

キュレーターズノート /relation/e_00050058.json、/relation/e_00051262.json l 10162186