2021年04月15日号
次回5月17日更新予定

キュレーターズノート

絵画を通してのみひらかれるもの──
千葉正也個展/輝板膜タペータム 落合多武展

能勢陽子(豊田市美術館)

2021年03月01日号

千葉正也と落合多武は、どちらもペインターと呼びうるが、日常の事物や人間以外の生き物も展示に含みながら、いわゆるインスタレーションとは異なるやはり絵画ならではの仕方で、これまで見たことのないような世界を見せる。千葉は生物や事物との距離や関係を転換することで、落合は網膜に反射するイメージの断片をつなぐことで、絵画の平面性を介しながら、より複雑で豊かな外界へと開いていく。

カメの目に映る世界

図1 ©Masaya Chiba / courtesy of ShugoArts[撮影:武藤滋生]

千葉の個展会場では、白い壁に絵画はほぼ掛かっておらず、細長い木製の構築物が壁を通過して展示室全体を巡っている[図1]。空中の遊歩道のような構築物のゴトゴトと音を立てている方を見ると、一匹のリクガメが這っている。紙粘土でできた人型や、植物や楽器、写真、モニター等々の身のまわりのものを卓上に配置して描くことで知られる千葉の絵画は、すべてこの小さな遊歩道に向けて設えられている。この展示は、どうやらカメのためにつくられたもののようである[図2]。ペットのカメが自身の作品とともに登場するのは、2018年のArt Center Ongoing、アッセンブリッジ・ナゴヤ2019以来3度目である。カメや過去の絵画からたびたび登場してきているオブジェが持ち込まれた展示室は、絵画と現実の境界が揺らぐような感覚を与える。

図2 ©Masaya Chiba / courtesy of ShugoArts[撮影:武藤滋生]

バックヤードも展示の一部になっており、そこにはもう一匹のカメ向けにモニターが設置されていて、そこに展示を観ている人々が映し出されている[図3]。会場で展示とその一部であるカメを観ている私たちは、そこでカメに観られる側に反転する。そういえば手前の展示室では、せっかく本棚が設えられているのに、なぜか床に文庫本がずらっと並べられていた[図4]。それは世界最長のSF小説といわれる「宇宙英雄ペリー・ローダン」のシリーズで、地球を旅立った宇宙飛行士たちがさまざまな異星種族と遭遇しながら、宇宙のさらに奥深くへと旅を続ける、複数の執筆者によって紡がれた物語である。

図3 ©Masaya Chiba / courtesy of ShugoArts[撮影:武藤滋生]

図4 ©Masaya Chiba / courtesy of ShugoArts[撮影:武藤滋生]

カメは、人間からすると、感情を交感しつつともに生活する犬や猫などのペットとは違い、その姿からしてほぼ異星種族のようである。カメの目に人間は、またその文化的営為である制作は、どのように映っているのだろう。もしかすると人間は、千葉の絵画に現われる石膏の白い塊のようなものかもしれない。または、モニターに映し出された舞台女優や武闘家などの顔に描かれた千葉の顔を、いつも餌を運んでくる主と認識しているのかもしれない。あるいはホットカーペットや電気毛布に描かれたスタッフのように、ほかの事物とは違い熱を持っているという程度のものなのかもしれない。いや、作家にとってそれは文字通り、「(心)温かい美術館スタッフ」である可能性もある[図5]。そんなふうに主体の視点を移動させているうちに、展示室はこれまで認識していた世界とはなにか違ったものに見えてくる。

図5 ©Masaya Chiba / courtesy of ShugoArts[撮影:武藤滋生]

舞台のような正面性を持つ千葉の絵画は、展示室内の実際のオブジェのように回り込んで横から、また後ろから見ることはできない。しかし、現実の事物は変化するのに、半永久的に絵画に留まり続ける像は、異なる時間、空間のなかにあって、どこか崇高さを纏っているようでもある。長寿の亀の時間と空間のなかで絵画を観たとき、それはまるで奇想天外なSF小説のように、人間の見ている世界とはまったく違っているに違いない。

静物画は、画家と描く対象の事物の間との物質性と距離の関係を、触感を伴いながら深く把握させるものである。事物で構成した対象を描く静物画のような千葉の絵画は、部屋の机上の即物的な様子のはずなのに、かえって広がる風景となって観る者の関心を絵画の外部へと開いていく。そしてその明瞭な明るさのなかには、いつも白昼夢めいた狂気がある。その理由が、カメの視点を通してやっと理解できたような気がした。


絵画にわずかな光を集める

図6 ©Nacása & Partners Inc. / Courtesy of Fondation d'entreprise Hermès

落合多武の個展は、ショパンの心臓が運ばれたというパリからワルシャワへの旅の過程で写した風景写真から始まる[図6]。小さく仕切られた空間に写真が掛けられた場を抜けると、光溢れる開放的な展示室に出る。そこには、無造作に広げられたビニールシートの上に束になったコードが置かれていて、それが波長のように空間を這ってシンセサイザーにつながっている。そしてその上の猫彫刻が、不協和だが不快ではない音を発している[図7]。ニューメキシコで集めたという小石でプレイするオセロや、並べられた牡蠣殻などが置かれたその空間には、遊戯性が仄かに漂っている[図8]。壁には、《everyone has two places(誰もが二つの場所を持つ)》や《Itinerary, non?(旅行程、ノン?)》の絵画シリーズが掛かっており、そこに書き込まれた月や地名などの言葉が、詩的な連想を引き出す[図9]

図7 ©Nacása & Partners Inc. / Courtesy of Fondation d'entreprise Hermès

図8 ©Nacása & Partners Inc. / Courtesy of Fondation d'entreprise Hermès

図9 ©Nacása & Partners Inc. / Courtesy of Fondation d'entreprise Hermès

上階には、暗い通路の壁に再びパリからワルシャワへの旅の途上で捉えた風景写真や映像が流れ、覗き台にはその過程で手に入れたファウンドオブジェが並んでいる[図10]。昼と夜のような二つの空間に、四半世紀におよぶ自身の活動のなかから、時間も制作された場所も異なる作品を集めて構成したのが、今回の展示である。

図10 ©Nacása & Partners Inc. / Courtesy of Fondation d'entreprise Hermès

それぞれの作品は互いに関連し合って、まるで一定の形を成さない音楽のように、全体としてひとつのインスタレーションになっている。良い頃合いで手を止めたかのような絵画や、ところどころ掠れて背景に溶け込みそうな言葉は、幾通りもありえる自由な生成の余白をあえて残しているようである。そこには、普段の生活で見かける猫やリスなどの動物が、写真やファウンドオブジェとしてちらほら登場する。

タイトルの「輝板膜タペータム」とは、動物の眼球の網膜後部にある膜のことをいい、わずかな光を有効に集めるための反射板として機能する。夜になると猫の目が怪しく光るのは、この膜の働きによる。作家の名前を含んだ「タペータム」は、まるで日々の生活のなかで目に映っては流れていく、見落とし通り過ぎていくようなもののなかから、わずかな光のような断片を捉える落合の絵画そのもののようである。《everyone has two places》という絵画のタイトルは、誰もが生まれる場所と死ぬ場所を持ち、生はその間の時間、空間の移動のなかの出来事であることを知らせる。人間にはないはずの“タペータム”で、生の途上で網膜に映っては消えていく像の断片を掬い取り、形に留めすぎることなく絵画にする。その軽やかに流れるような総体が、生であり、この世界なのだと思わされた。


長い歴史のなかでさまざまな試みが行なわれてきた絵画は、映像やインスタレーションの登場以降、もはや動かず留まったものとして顧みられる機会が少なくなっている。しかし、この二人の画家による個展は、「絵画」というものに衒いを持ちすぎることなく、写真、映像、インスタレーションなども自然に取り入れながら、なおかつ絵画にしかできないやり方で、未知の、またはさらに広がる世界を垣間見せる。その絵画的触覚がなお開く新鮮な感覚に魅了されたのだった。


千葉正也個展

会期:2021年1月16日(土)〜3月21日(日)
会場:東京オペラシティ アートギャラリー(東京都新宿区西新宿3-20-2)
公式サイト:https://www.operacity.jp/ag/exh236/

輝板膜タペータム 落合多武展

会期:2021年1月16日(土)〜4月11日(日)
会場:メゾンエルメス8・9階フォーラム(東京都中央区銀座5-4-1)
公式サイト:https://www.hermes.com/jp/ja/story/maison-ginza/forum/210122/

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