2021年04月15日号
次回5月17日更新予定

キュレーターズノート

伝承彫刻について──10年目、気仙沼市の試み

山内宏泰(リアス・アーク美術館)

2021年03月01日号

一般的な話をすれば、「震災」という言葉の意味が東日本大震災に限定されていないことは明らかだ。しかし東北の被災地でその言葉を使用した場合、ほとんどの人が東日本大震災をイメージする。とはいえ、あれから10年を経る過程で、2016年4月には熊本地震が、2018年6月には大阪北部地震が、同年の9月には北海道胆振東部地震が発生するなど、いわゆる「震災」と呼ばれる対象はその後も数を増加させている。さらには東日本大震災の記憶を持たない世代も誕生し始めており、たとえ東北であろうとも、もはや「震災=東日本大震災」という構造が絶対ではないことを、私たちはそろそろ意識しておく必要がある。思えば、2011年3月10日まで、一般に「震災」といえば、それは阪神・淡路大震災や新潟中越地震などを意味する言葉ではなかっただろうか。言葉の意味は日々変化していく。


2011年3月29日気仙沼市鹿折地区の状況

震災記憶の多様性

一口に震災といっても、その発生場所や発生時期、時代によって地震は多種多様な現象を引き起こし、その現象の科学的、客観的意味のみならず、それを経験した人それぞれが認識する主観的意味が上乗せされることで、個々人が抱える「震災の記憶」は多種多様な物語を内包する。個人によって表現されたさまざまな物語は時代や世代、国や地域を越えて第三者に伝播することになるが、その過程には文化的解釈のズレなども介在する。結果、伝承される災害の記憶は、まるで多細胞生物の細胞が分裂しながらさまざまな器官へと分化するように、その多様性を伝承行為の数だけ増殖させるはず。ゆえに、私自身は震災伝承活動に客観性という枷は不要だと考えている。

伝承者である私にとって最も重要な「伝えるべきコト」とは「被災者の感覚」である。そもそも感覚は個別の経験であるため客観的ではありえない。しかしながら、それが個別の経験であったとしても、各々が想像力を働かせれば感覚の共有は可能だと思っている。またそういう意味では客観性は低いとしても普遍性は得られるはずだと考えている。

恐怖や悲しみ、不安は伝播するという。同じく喜びも伝播する。甘いものは甘い。辛いものは辛い。指先に針を刺せば痛い。真冬に屋外で頭から水をかぶれば冷たい。そして寒い。愛する者が命を失えば悲しい。我々が経験する感覚の多くは人類共通の普遍性を持ちうるはず。よって、そういったシンプルな感覚は相似経験さえあれば、同一経験がなくとも想像力の発現により伝承可能だと私は信じている。

言葉だけでは伝えられないもの

地震発生の理由、津波発生の理由が科学的に説明される以前、人々はそれをカミワザと認識し、天地に祈りをささげ、自らの行ないを正して生きてきた。そういった畏れの気持ちの表われなのか、日本各地の沿岸地域には現在でも、海神、龍神などを祀る風習がひっそりと残されている。その祈りの効果を科学的に証明できないことは皆が理解している。しかしその風習が途絶えることはない。

気仙沼市内の海岸線には震災復興事業の核として巨大な防潮堤が建造されている。海とともに生きてきた地域文化の終焉を思わせるその存在の異様さに、我々は落胆し肩を落とす。



海辺を分断する巨大な壁(気仙沼市)


科学的な裏付けを示しつつ、住民の命と財産を守るためにはそれが絶対的に必要であるとする国や県の方針には逆らえず、我々は親愛なる海辺との別れを一旦は受け入れた。しかし海への愛情が尽きたわけではない。

気仙沼市復興祈念公園は市内中心部内湾地区の陣山じんやま★1に整備されている。目に飛び込んでくる風景は美しい海原と緑豊かな山並み、そして再生されていく街の輝きである。この立地について特筆するべきは、あの津波災害を経験してもなお、追悼の場から美しい海を見せたいと望む、「海と生きる」を震災復興のスローガンとしている気仙沼市民の海に対する思い、愛着の深さである。



陣山から見える海原と山並み


気仙沼市復興祈念公園には「追悼・伝承・再生」の三つの機能が備えられている★2。「追悼」については気仙沼市における犠牲者の名を刻んだ銘板、海に向かって祈りをささげる場としてのモニュメント、ガラスの献花台などが設置される。「再生」については復興する市街を見渡す広場を園内に整備している。そして「伝承」については、東日本大震災の発生から復興に至る過程などを各種パネルに表現、設置する計画だった。しかしその計画は市長の強い信念によって見直されることになった。

「解説看板のような陳腐な仕掛けで伝承活動など成立するはずがない。感性に訴えるものでなければならない……例えば伝承のオブジェのようなものが必要だ。」市長が発したこの言葉に、市担当課は正対しつつも頭を抱えた。そして2018年10月、私を座長とする伝承オブジェワーキングが発足され、「言葉だけでは伝えられないもの」を伝えるワザの追求が始まった。

伝承彫刻という試み

プロジェクト立ち上げの前段で市の担当から相談を受けた私は、それを成功させるための絶対条件を提示、その結果、同プロジェクトは実質的に災害伝承彫刻制作設置プロジェクトとなった。

私が示した条件は、①作家は公募せず、推薦作家一名に限定すること。②その作家は気仙沼市と東日本大震災を理解している人物であること。③気仙沼市民、同市出身作家は不可。④作家自身の表現ではなく、こちらが依頼する内容を具現化、可視化してくれる作家であること。⑤完成までに何度でも作り直していただける作家であること。⑥具象彫刻、特に人物表現に長けた作家であること。⑦屋外設置作品を制作できる作家であること。⑧今後も関係性を持続可能な年齢であること。おおむねそのような条件で作家を選定することを絶対条件とした。

当局の理解を取り付けた私は、リアス・アーク美術館が主催するシリーズ企画、「N.E.blood 21」(東北北海道在住若手作家紹介企画)において2003年に紹介して以来、さまざまなかたちで親交のあった彫刻家、皆川嘉博みながわよしひろ氏(秋田公立美術大学准教授)に本件を依頼することとした。私が示した条件を満たせる作家は彼をおいてほかにいない。

皆川氏は秋田県在住の彫刻家であり、「日本人のルーツ、自分自身のルーツの探求」をコンセプトに、縄文土器を彷彿とさせる肌合いの野焼き作品を制作している。初期に抽象的だった表現は近年、人物表現へと移行、定着している。



皆川嘉博作品資料写真



皆川嘉博《源流──バンクシア──》部分(2014)リアス・アーク美術館蔵


類まれな造形技術とセンスを持ち、人物表現においては圧倒的な完成度を見せる皆川氏、その作品が陶彫刻であることも本プロジェクトにとっては重要な条件のひとつといえる。当然ながら風雨に耐える耐久性があり、かつ土の種類、釉薬や焼成の方法によって色合いを多彩にコントロールできる素材である。その表現の自由度があればこそ、我々が求めるさまざまな表現を極限まで突き詰められるのである。そして何よりも、皆川氏の人間性である。根気強く我々の求めに応じ、何度も作品を修正、作り直していただいた。通常、作家に作品制作を依頼しておいて、何度も作り直しを求めることなどありえない。しかし皆川氏はそれを了承してくださった。

皆川氏の多大なご協力の下、我々プロジェクトチームが膨大な時間をつぎ込んで制作してきた伝承彫刻No0.《海へ》、No1.《ごめんね》、No2.《よかったね》の三作品が、祈念公園開園日となる2021年3月11日より一般公開される★3



伝承彫刻No0.《海へ》



伝承彫刻No1.《ごめんね》



伝承彫刻No2.《よかったね》


復興祈念公園の象徴ともいえるNo1.《ごめんね》(片手で顔を覆う少女像)は、多くの来園者の心を捉えるだろう。悲しみか、苦悩か、後悔か、絶望的なその表情を目にした者が、その場を素通りすることはないはずだ。



伝承彫刻No1.《ごめんね》近撮


伝承彫刻の背景には東日本大震災の最中、さまざまな状況下で被災した人々の記憶が集積されている。我々プロジェクトチームでは収集したたくさんのエピソードを要素に分解し、再構築して象徴的な物語を生み出している。その物語を基に具現化された人物像が伝承彫刻なのである。

三作品それぞれの展示台には作品キャプションとともに個別のQRコードが添付されており、鑑賞者はこのQRコードを読み込むことで、作品の背景にある心をえぐるような災害の不条理、生と死をめぐる激しい喜怒哀楽の物語を知ることになる。

《ごめんね》は、目前に死が迫っている母を、それを知りながら置き去りにせざるをえなかった少女の姿を、《よかったね》は死別を覚悟していた者との再会を表現している。この2作品は被災者である我々が知る激情、言葉にできないその激情を伝えている。そして《海へ》では変わらぬ海への愛着と、今は亡き人々への思いとともに前を向いて生きていく者の心を伝えている。



伝承彫刻No2.《よかったね》近撮



伝承彫刻No0.《海へ》近撮


我々が目指すもの

東日本大震災の伝承といえば、まず初めに地震、津波の規模、それによる被害内容として死者、行方不明者数、被害総額などの概要と復興の軌跡が語られ、続いて福島第一原発事故による終わりのない原発災害の話がそれを引き継ぐかたちになるだろう。

東日本大震災は被害範囲が地球規模であり、犠牲者、被災者数も大変な数に達している。それゆえ、安易に全容を物語ろうとすれば、内容は限界まで希釈されて無味無臭の粗筋と化し、被災者一人ひとりの心を伝える余地がなくなる。しかし、現実にはそういった伝承のされ方が主流化している。ズバリ言えば、我々はそういうやり方が嫌いだ。だから、我々は伝承彫刻というワザを用いることにした。被災した者として、我々は血の通った人間が身を以て感じた感情や感覚をきちんと伝えたい。ただ純粋にそれを表現し、大切な人たちに伝えたい。

世界と向き合うとき、ヒトはけっして客観的でなどいられないはず。我々はヒトとして感じ、考え、日々生きている。我々は、そういう感性で感じる世界の、その一端としての記憶を共有していきたい。

伝承彫刻は災害伝承を学術的に行なおうとするものではない。だから、どうか新たな取り組みを否定せず、批判せず、そういうものとして「アートの力」を受け入れてほしい。

★1──山内宏泰「東日本大震災復興祈念公園は誰のためのものか?」(artscape「キュレーターズノート」2020年10月15日号)参照https://artscape.jp/report/curator/10164761_1634.html
★2──気仙沼市総務部「復興祈念公園の基本設計案について」(平成30年[2018年]11月9日)https://www.kesennuma.miyagi.jp/sec/s019/301109shiryo1.pdf
★3──伝承彫刻制作設置プロジェクトは今後も継続され、作品は増設の予定。


気仙沼市復興祈念公園公式サイト:https://kesennumapark.wixsite.com/index

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