2022年11月15日号
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キュレーターズノート

「コレクション」を考える(2)──「私的コレクション」を「公立美術館」にすること

志田康宏(栃木県立美術館)

2022年02月15日号

「コレクション」は変化するものである。内容や規模の変化はもちろんだが、所有者の変移などにより、コレクションの性質そのものが変化することもある。今回は「私的な個人コレクション」がほぼそのまま「公立美術館」になった栃木県内の美術館を紹介し、コレクションの性質が私的なものから公的なものへと変化することにより起こること、またコレクションを地域に残すことの意義についても考えてみたい。

吉澤家と美術館


佐野市立吉澤記念美術館[画像提供:佐野市立吉澤記念美術館]


佐野市立吉澤記念美術館は、佐野市葛生くずう地区の旧家である吉澤家の歴代当主が蒐集してきた美術コレクションを中核として2002年に葛生町立吉澤記念美術館として開館した美術館で、2006年の市町村合併により現在のかたちとなった。

吉澤家は江戸時代には酒造業、明治時代以降は石灰業で財を成し、地域の繁栄を牽引した名家である。吉澤コレクションの出発点は、江戸後期の吉澤家当主・松堂しょうどう(1789-1866)にあったと考えられている。酒造業を営む一方、文人趣味も持ち、下野しもつけ出身の豪商・大橋淡雅おおはしたんがを仲介にして高久靄厓たかくあいがい渡辺崋山わたなべかざんなど著名な文人墨客と交流を持った。また自ら書や画をたしなみ、靄厓に絵を学ぶなどした。得意とした墨竹図は本コレクションにも含まれている。下野国各地にいた靄厓の支援者のひとりでもあった。

松堂の子で二代目のコレクション形成者である象水しょうすい(1813-1883)もまた靄厓に絵を習い、水墨山水の作品を残している。植林事業や麻・桑の栽培など農林業に力を注ぎ、明治維新後は郷里の人々と諮って学校(現・葛生小学校)設立に尽力したとも伝えられている。

象水の子・慎堂(1846-1905)は明治時代に家業を酒造業から石灰業へと転業させ、現在の吉澤石灰工業株式会社の基礎となる事業を立ち上げた。

石灰業を継いだ子・晃南(1887-1951)の時代に、松堂や象水の時代のコレクションとは別に伊藤若冲《菜蟲譜》、狩野探幽《十牛図》、田崎草雲《怒涛・牡丹図》などの名品が収集された。また晃南が蒐集した近代日本画は吉澤コレクションの重要な一角を成している。晃南が好んだ今村紫紅や寺崎広業を中心に、橋本雅邦、下村観山、川端玉章、小堀鞆音、川合玉堂など日本美術院系を中心とした東京の画家のほか、菊池契月など京都系の画家も含まれる。

晃南のあとを受けて吉澤石灰工業の経営を担った三代兵左ひょうざ(1926-2011)は、自らの出身地である茨城県下館市(現在の筑西市)出身の陶芸家・板谷波山いたやはざんの作品に惹かれたことから陶芸作品、また絵画の収集を始めた。兵左の実父と波山が親交を持っていたという背景もあり、波山も兵左からの依頼に応え作品を制作するなど親交が厚かった。吉澤コレクションにおける陶芸作品には、波山のほかに富本憲吉や楠部彌弌くすべやいちなど近代陶芸における重要な作家も含まれている。

2000年、吉澤コレクションと新築の美術館施設が吉澤家から葛生町(当時)に寄贈されることになり、2002年に葛生町立吉澤記念美術館として開館した。

吉澤石灰工業をはじめ、葛生地域は明治時代以降石灰業で繁栄した地域である。石灰岩はセメントの材料として鉄鋼業や建築業になくてはならない鉱石であり、葛生は全国でも有数の生産地となっている。美術館開館時には大野みさおをはじめとした美術作家らによるフレスコ画が館内および地域の各所に設置され、現在も地域を象徴する作品として市街を飾っている。

吉澤コレクションハイライト

吉澤コレクションのなかで目玉となる作品は伊藤若冲の《菜蟲譜》である。若冲77歳の作であるとする落款がある約11メートルになる絵巻物で、前半部に野菜や果物が季節に沿って登場し、後半部にさまざまな昆虫や爬虫類、両生類が次々と現われる図柄である。最後に登場するボケっとした表情の愛らしいガマガエルは、いまでは美術館のアイコンのように用いられている。長らく伊丹の酒造家に伝えられていたが、1927年に恩賜京都博物館で開催された若冲展の図録に掲載されて以降、行方不明となっていたもので、1999年に吉澤家の蔵から発見され大きな話題となった逸品である。2009年には国の重要文化財となった。




伊藤若冲《菜蟲譜》(部分)[画像提供:佐野市立吉澤記念美術館]


狩野探幽《十牛図》は、晩年の探幽らしい瀟洒な画風を示す作であるとともに、年紀から1673(延宝元年)制作であることがわかる点でも重要な作品である。池田侯爵家に伝えられてきたものであることがわかっている。



狩野探幽《十牛図》(部分)[画像提供:佐野市立吉澤記念美術館]


また、松堂の交友関係を示す作品も興味深い。松堂が絵を習った靄厓の作品のなかでは《山水図》が伝統的な南画的山水を得意とした靄厓の画技をよく示すものである。靄厓43歳の時の大幅で、松堂の為に描いたことを示す「為松堂」という為書ためがきを持つ。米点べいてん(筆を横に寝かせて描く楕円形の墨点)を多用しながらも画面を重く感じさせず明るい雰囲気に仕上げている。



高久靄厓《山水図》[画像提供:佐野市立吉澤記念美術館]


江戸中期の画人・渡辺崋山は、上毛を訪れて桐生に滞在中、梅道人(呉鎮)の竹の図対幅を松堂が所蔵していることを耳に挟み、葛生を訪れたと伝わっている。吉澤コレクションには崋山の《風竹図》が含まれる。強い風に吹かれる竹のしなやかさを描き出す画題で、この絵を求めた松堂に対し、崋山は「竹の葉音に擬せられた民の悲痛な声を想い取り、詩の意を汲んで貧しき者を庇護せよ」との意を落款に記している。

また松堂自身も《風竹図》を描き残しており、師・靄厓からの指導の成果を示している。呉鎮に深い関心を寄せた靄厓の影響であろうか、呉鎮による竹の描き方に倣って描かれていることが示される。またそれに靄厓が賛を寄せている。



左:渡辺崋山《風竹図》 右:吉澤松堂《風竹図》[画像提供:佐野市立吉澤記念美術館]


三代兵左とのつながりが強かったことから蒐集がなされた板谷波山は茨城県下館市出身の陶芸家で、西洋からの新しい技術を取り入れ、独自の研究を重ねて「彩磁」や「葆光釉ほこうゆう」を生み出した。やわらかな青色が美しい《彩磁呉州絵香炉》に描かれた、中国明代末期の呉州赤絵ごすあかえを元にした向かい合う兎や魚、鳥のモチーフは波山のお気に入りの絵柄で、若い頃から晩年に至るまで繰り返し用いている。また波山は葆光釉という半透明の釉薬によって薄絹をかぶせたような柔らかく気品のある作品を多く生み出し、波山といえば《葆光彩磁牡丹文様花瓶》のような上品で端麗な作品のイメージを定着させるに至った。



左:板谷波山《彩磁呉州絵香炉》 右:板谷波山《葆光彩磁牡丹文様花瓶》[画像提供:佐野市立吉澤記念美術館]

コレクションの私性と公性

歴史ある旧家や財を成した家系のコレクションが美術館として開館する事例はほかにもあるが、それらは私立館であることが多い。私的コレクションはもちろん公開の義務はないし、売却や譲渡などで変容してしまうことも有りうる。吉澤記念美術館においては、個人コレクションを中核とした美術館でありながら、コレクションごと自治体に寄贈された公立美術館であるということが特徴的である。運営が公営となることで、コレクションの性格が私的なものから公共的なものへと変わる事には大きな意義があるためである。美術館の開館にあたり、当時の吉澤家当主であった三代兵左は「この葛生の地で集められたこれだけの規模と水準をもつコレクションは、もはや私的な存在のままであってはならない」ものであり、「地域の歴史を伝える文化財として公開し、そのまま永く葛生の地にとどめおくべきではないかと考えるようになりました。」との言葉を寄せている。ここには、コレクションを私的なものから公的なものにする明確な意志とともに、地域の文化財として地元に残すことの重要性も表明されている。コレクションの性質を変えるとともに、それが地域に根差すことの意義を重要視した旧蔵家の意志が、吉澤記念美術館の存在意義として、いまに受け継がれているのである。具体的には、アクセスもそれほど便利ではない葛生の地に県内外から観光客や研究者が多く訪れることはもちろんのこと、市内の小中学校による鑑賞授業や、併設されている地域交流室での展示・イベント開催など、地域の文化事業を中心的に担う美術館となっている。そのことは公立館であることの強みでもあり、なによりコレクションを地元に留めたことの功績である。

館の目玉である若冲の《菜蟲譜》は作品保護のために普段は精巧な複製品を展示しているが、約2年に一度原本を展示している。また石灰の街らしく、隣館の葛生伝承館の縦3.1m×横23.4mにもおよぶ外壁面を埋め尽くす巨大なフレスコ画を描くプロジェクトも2006年から進行中で、2025年頃の完成を予定している。未訪の方にはぜひ来館をお勧めしたい。

参考文献:
『開館記念名品展 吉澤コレクションの軌跡』(葛生町立吉澤記念美術館、2002)
『佐野市立吉澤記念美術館コレクション選』(佐野市立吉澤記念美術館、2012)


★──吉澤兵左「美術館開館を迎えて」『佐野市立吉澤記念美術館コレクション選』(佐野市立吉澤記念美術館、2012、p.124)


佐野市立吉澤記念美術館

(栃木県佐野市葛生東1-14-30)

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