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伊藤若冲《菜蟲譜》佐野市立吉澤記念美術館
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遭遇
2000年一世を風靡した伊藤若冲(以下、若冲[じゃくちゅう])には、長い間ゆくえ知れずの幻の名作があった。1927年(昭和2)、恩賜京都博物館(現京都国立博物館)で開催された特別展観「若冲画選」展に出陳された後、1999年までの72年間行方不明だった《菜蟲譜(さいちゅうふ)》である。若冲といえば、豪奢な鶏の絵を思い浮かべる人が多いだろうが、若冲には軽妙な水墨画や版画もあるのだ。その《菜蟲譜》と私の出会いは、若冲の代表作である《動植綵絵(どうしょくさいえ)》(宮内庁三の丸尚蔵館)や《仙人掌(さぼてん)群鶏図》(大阪・西福寺)の画像をインターネットから探し出そうとしていたその途中での遭遇であった。
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本物を守る
意外にも若冲には国宝がない。文部大臣が指定する国宝はないが、皇室の所有品である御物(ぎょぶつ)となった《動植綵絵》がある。この作品を所蔵する宮内庁三の丸尚蔵館は、それらの画像公開については研究目的など利用を制限して許可している。また、重要文化財である《仙人掌群鶏図》を所蔵する西福寺は、インターネットに画像を公開すると、どういうことになるのかまだわからないので、画像の公開を控えているそうだ。日本に誕生したデジタルアーカイブという概念が研究者レベルから一般に普及して5年ほどになるが、インターネットに広がる文化力の拡張をポジティブに捉えたい者としては、越えなければならない壁が、著作権以外にもまだ横たわっていることに気づかされた。かつてデジタルアーカイブを「『本物』の有効利用を促進することでもあり、同時に、『本物』の無用な利用を抑制することで『本物』を守ることにもつながる。」と説いたユビキタスの坂村健(東京大学大学院情報学環教授)の言葉を思い出しながら、インターネットの力を信じてまた作品画像を探し始めた。するとなんとも微笑ましい若冲作品の画像が堂々とあった。作品を所蔵する栃木県の佐野市立吉澤記念美術館のホームページだった。
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美術史家のカード
ちょっと《菜蟲譜》を調べてみると国宝級の若冲作品とあった。作品は縦32cm、横約11mと長いうえ、デリケートな画材のためか今後の作品公開は未定で、残念ながら実物を鑑賞することはできなかった。しかし、晩年の若冲が描いたこの作品画像からは、鶏のエネルギーとは異なった側面の新たな若冲の到達点を感じた。栃木県佐野市の旧家・吉澤家で発見された《菜蟲譜》を最初に調査した美術史家・河野元昭氏(以下、河野氏)にそのときの状況や作品の魅力について話を伺いたいと思った。河野氏は秋田県立近代美術館館長、尚美学園大学教授、東京大学名誉教授も務められている。大学にかけた取材依頼の電話に、偶然居合わせた河野氏は授業開始寸前のようだった。慌てて用件を伝え電話を切った。簡潔な快諾のメールには、國華社での取材と時刻が明記されていた。河野氏は1889年(明治22)岡倉天心らによって創刊され、美術研究誌としては世界最古の歴史を誇る『國華』の主幹でもあったのだ。國華社で行なったインタヴューは、河野氏の気さくな人柄と熱い語り口に引き込まれ2時間を超えた。「若冲のいいところが出ていて素晴らしんだよ」。《菜蟲譜》の第一印象である。特に色は画集『若冲画選』に掲載されていたモノクロ図版からは予想できなかったこともあるが、美しいそうだ。また今まで唯一《菜蟲譜》を見ることができた『若冲画選』には作品が約半分しか掲載されておらず、一巻通して見たのは初めてでその構成力を感じたという。河野氏は東京大学在学中に、故山根有三(琳派専門の美術史家)の講義を聴講し、根津美術館で尾形光琳の《燕子花図屏風》と円山応挙の《藤花図屏風》を同時に見て以来、円山応挙を基に日本美術史を専門に研究してきた。梅棹忠夫の『知的生産の技術』に倣って、1作品の調査ごとに1枚のカードを作っている。《菜蟲譜》のカードには「遂に再発見せり」とあった。カードを見せてもらった。表:「若冲 菜蟲譜図巻 吉沢兵左 絹本着色A丸。99.11.26。斗米庵米斗翁行年七十七歳画(寛政四年)。還暦後改元一歳加算説に従えば寛政二年となる。半斎跋文 徴之詩教蟲…。若冲落款」。裏:「巻頭題号 譜蟲菜。『若冲画選』に所載。福岡仲国 号撫山 撫山題字。細合半斎跋。遂に再発見せり」。調査結果はABCの3ランクで評価、そのうちいいものには丸。少し劣るものはダッシュ。つまり9ランクに分かれる。その他フェイクなどはD。河野氏は《菜蟲譜》にAの丸と最高の評価を下した。「この作品は広い意味では草虫図であり、「動植綵絵」の《池辺群蟲図》の発展形式と見ることができ、なまなましさが最晩年発酵して、もう一つの若冲の世界が築かれている」と。若冲の彩色のある巻物が今までにないことも評価に値するだろうと語った。
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【菜蟲譜の見方】
(1)色彩
下地全体に薄墨(裏墨)を塗っていると思う。この絵は柔らかい表現になる裏彩色(うらざいしき)が多く用いられている。野菜など鮮やかな色彩で、くわいの色も面白い色を使っている。白は胡粉で、白緑(びゃくろく:淡い緑色)や、白群(びゃくぐん:薄い群青色)、または具色(ぐいろ:白を混ぜた中間色)もあるだろう。顔料は未調査。
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左:野菜などの色《菜蟲譜》(部分)
右:くわいの色《菜蟲譜》(部分)
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(2)全体の構成
縦32.0cm×横1091.3cmの長い絵巻物。およそ145種の蔬果(野菜・果物)と草虫が描かれている。作品は、わらび・ぶどう・とうもろこしなど野菜、果物の描写で始まり、蝶からヤモリ・トンボ・カブトムシなど昆虫の場面に変わる。そして再度野菜で終わる。「動植綵絵」が前期の若冲スタイルであれば、《菜蟲譜》は晩年の若冲スタイル。
(3)昆虫
作品の後半に出てくるモチーフの昆虫は近世では珍しい。部分的には漫画チックな蛙が面白い。
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左:ヤモリ《菜蟲譜》(部分)
中:蝶《菜蟲譜》(部分)
右:蛙《菜蟲譜》(部分)
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(4)制作年
絵の最後の冬瓜を断ち割った中に「七十七歳」と記載がある。同志社大学教授の狩野博幸(元京都国立博物館)がこの制作年について、60歳以降年号が変わるごとに実際の年齢に1歳を加えて勘定するという新説を出している。還暦後改元一歳加算説と河野氏は名づけた。これにより疑問だった若冲作品の年期が解決されてくるという。制作年は若冲77歳(寛政4年)ではなく、75歳(寛政2年,1790)と考えている。
(5)巻頭と巻末
巻頭の題字は、大阪の文人・書家の福岡仲国、字大如、号撫山。作品の注文主といわれている。巻末の跋文は、大阪の漢詩人・書家の細合半斎(ほそあいはんさい)。若冲の人間関係が見て取れる。
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左:制作年77歳《菜蟲譜》(部分)
右上:題字《菜蟲譜》(部分)
右下:跋文《菜蟲譜》(部分) |
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(画像提供:佐野市立吉澤記念美術館)
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“わかおき”
1970年に『奇想の系譜 又兵衛──国芳』(美術出版社)を書いた美術史家の辻惟雄がなんと言っても若冲の発見者であり、若冲ブームの立役者であると河野氏は述べる。この出版後の1971年東京国立博物館では絵画室員の小林忠が一室を使って特別展観をやったことも日本美術界で人気となり、そして狩野博幸の京都国立博物館2000年の展覧会「没後200年 若冲」でブームは頂点となる。しかし、ここまではアナログ。急速に普及したデジタルの到来で、これまでとは異質のブームになったという考え方がある、と河野氏は「なぜ若冲はブームになったか」(川端宏樹)という教え子の卒業論文があることを教えてくれた。辻惟雄、山下裕二(明治学院大学教授)、編集者(ブルータス)、ジョープライス氏・エツコ夫人(コレクター)、フリーライター、村上隆、大熊敏之(宮内庁三の丸尚蔵館)、早川和良(CM制作会社社長)、猪子寿之(デジタルプロデュース会社社長)、細見良行(細見美術館館長)、狩野博幸(京都国立博物館学芸課美術室長)をインタヴューして書かれたその内容は、メディアの力が若冲ブームと切り離せないと主張している。若冲の絵が映像的で「わかりやすく」「かっこいい」ことがメディアとマッチし、特にマンガやアニメで育った若い世代へ広まっていった。絵から意味を読み取る世代から、絵を感じる世代へ世代交代し、絵画鑑賞は教養主義から解放されていったと説く。コンセプチュアルなデュシャンの時代が遠のく感じだ。2004年に21万1千件のヒットがあったという「若冲」のインターネット検索数が、2008年現在39万8千件と倍増していることからみると、まだブームは続いているようだ。とはいっても若冲をまだ“わかおき”と読む人もいるのだ。
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中国の影響
絵巻、絵巻物は中国の画巻(がかん)を起源とする。美術的な価値とビジュアル的な資料としての価値がある。「伴大納言絵巻」「鳥獣人物戯画」「信貴山縁起絵巻」「源氏物語絵巻」が四大絵巻物として有名だ。絵巻の原点とされるものは中国の宋(961〜1279)の時代にはあったようで、さらに遡ると敦煌の壁画にたどり着くと河野氏は語る。また、中国の明(1368〜1644)時代には、雑草や虫が時間の経過を表す草虫画の伝統があった。毘陵(びりょう:江蘇省常州)草虫画といわれている中国のボタニカルアート的作風と《菜蟲譜》は関係がありそうだ。日本には紅白川(こうはくせん)、あるいは常州画という名で広がり、当時若冲がこれらの作品を見ていた可能性が高い。1987年に山梨県立美術館で開催していた「吉林省博物館所蔵 中国明清絵画展」で、孫隆の「花鳥草虫図巻」を見ていた河野氏は特にそう感じたという。そして中国・清(1644〜1912)の画家沈南蘋(しんなんぴん:1731年[享保16]来日、2年間滞在)も日本の絵画に影響を与えた人だという。中国から日本に渡り、実際に絵を描いて教えたことは当時画期的なことであったそうだ。沈南蘋は中国ではトラディショナルスタイルといわれていたそうだが、日本は古いスタイルの中から写生的要素を享受していった。若冲は草虫画や沈南蘋からも絵を学び、装飾性・遊戯性・精神性に磨きをかけていったのだろう。
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主な日本の画家年表(15世紀〜19世紀) 作成:筆者 |
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対決
河野氏は江戸時代を絵画の黄金時代と呼んでいる。想像力と写実性の融合を特色とするその時代に若冲は生き、死後200年経って奇想の画家として蘇ってきた。若冲の「仙人掌群鶏図」が今、東京国立博物館で開催中の特別展『対決─巨匠たちの日本美術』(2008年7月8日〜8月17日)で鑑賞することができる。『國華』創刊120年にちなみ、河野氏が初めて直接企画に携わった力の入った展覧会だ。ちなみに先月号で探求を試みた長谷川等伯の《松林図屏風》の対決相手は、ライバルであり御用絵師として君臨していた狩野永徳の金碧画「檜図屏風」である。日本の美術史の名品を一堂に会し、巨匠たちを対峙させた大胆にして簡潔な展覧会は、威風堂々の作品ラインナップ。河野氏の第一印象にも似て、パワフルな日本の美を再発見できる企画だ。また、《菜蟲譜》の実物での鑑賞がいつできるのか、所蔵館での公開予定が立っていない現在、今号ではデジタル画像によって隅々まで絵巻が鑑賞できるように動画で再生を行ってみた。作品を収蔵する館によって、デジタル技術に対する信頼度や考え方にはまだ温度差があるようだが、デジタルはアナログを強化していくのではないだろうか。一見対決の関係に見える相手の存在は貴重である。
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【画像製作レポート】
《菜蟲譜》一巻通して見られるメインの画像は、美術館から提供された22,392×686pixel(72dpi,RGB)、16.9MB・JPEGファイルのまま、新たに調整加工することなく原稿として編集へ送信した。《菜蟲譜》の部分画像は、美術館所有のカラーガイドも写し込んでいるポジフィルム(4×5)をEPSON GT-8700〔Version 2.65J〕でスキャニング。24bit・400dpi・JPEG・カラープロファイルの埋め込みsRGB IEC61966.2.1に設定し、Photoshop CS(8.0.1)でデジタル化。主な作業は17インチのiMacとPhotoshop 7.0で行った。今回印象的だったことは作品の背景色の調整だ。「野菜などの色」をポジフィルムのデータから切り抜こうとしたとき、ちょうど柿の真ん中でフィルムが切れており、画像と画像を重ねて新たに1枚の画像を製作してから切り抜くことが必要となった。そして2枚の画像を重ねてみると、背景の墨色に差があり、色合わせをしなければならなかった。メイン画像や図録で背景色を確認し、目視によって色調整を行ってみたが、カラーガイドに従った墨色よりも明るくなり、野菜の色も浅くなったため、なるべくカラーガイドに忠実になるよう調節した。結果図録に掲載されている《菜蟲譜》より暗いイメージとなった。実物を見ていないので何とも言えないが、実物の背景色は想像以上に暗いのかもしれない。また平面的に表現されたモチーフの細部を拡大してみると意外な色の発見や、変形した野菜、重ね塗りのような線の書き方なども楽しめた。
[2021年4月、拡大画像を高解像度画像高速表示データ「ZOOFLA for HTML5」に変換しました]
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■河野元昭(こうの・もとあき)
日本美術史家。近世美術史専門。美術雑誌『國華』主幹、秋田県立近代美術館館長、尚美学園大学大学院芸術情報研究科情報表現専攻教授。1943年東京都生まれ。1970年東京大学大学院人文科学研究科美術史学専門課程博士課程中退。1971年東京国立文化財研究所文部技官、1979年名古屋大学文学部助教授、1992年東京大学文学部教授を経て、1995年同大学大学院人文社会系研究科教授。2006年定年退職、名誉教授。
■伊藤若冲(いとう・じゃくちゅう)
江戸中期の画家。1716年〜1800年。京都生まれ。錦小路の青物問屋「桝屋」の4代目。40歳で画業に専念。絵は狩野派に学び、宋・元・明の中国画を独学。若冲の号は相国寺僧・大典の「大盈若冲」の句から、「斗米庵」の号もある。動植綵絵24幅は相国寺に当初寄進された。鶏の卓抜な描写など極彩色豊かな画風とともに、軽妙な水墨画や版画も。代表作は、動植綵絵(全30幅・三の丸尚蔵館)、仙人掌群鶏図(西福寺)、花丸図(金刀比羅宮)。
■菜蟲譜(さいちゅうふ)デジタル画像のメタデータ
タイトル:菜蟲譜。作者:佐野市立吉澤記念美術館。主題:日本の絵画。内容記述:伊藤若冲,1790年(寛政2)制作,絵巻(縦32.0cm×横1091.3cm),絹本著色。公開者:(株)DNPアーカイブ・コム。寄与者: 佐野市立吉澤記念美術館。日付:─。資源タイプ:イメージ。フォーマット:JPEG,16.9MB。資源識別子:saichufu01_22392x686。情報源:─。言語:日本語。体系時間的・空間的範囲:─。権利関係:http://www.city.sano.lg.jp/museum/
■参考文献
恩賜京都博物館編『若冲畫選』1927.12.25,便利堂コロタイプ印刷所
『若冲畫譜』1976.9.25,美乃美
図録『吉林省博物館所蔵 中国明清絵画展』1987,山梨県立美術館
辻惟雄『奇想の系譜 又兵衛─国芳』1988.6.10,ぺりかん社
板倉聖哲「中国美術史におけるデジタル化の現況」『明日の東洋学』2000.3.25,東京大学東洋文化研究所附属東洋学研究情報センター
河野元昭「江戸絵画の百花繚乱」『第27回 美術講演会講演録』p.11-p.60,2000.3.30,鹿島美術財団
『デジタルアーカイブ白書2001』2000.3.31,デジタルアーカイブ推進協議会
『太陽』10月号,2000.10.12,平凡社
『芸術新潮』第51巻第11号 通巻611号,2000.11.1,新潮社
図録『特別展覧会 没後200年 若冲』2000.10.24,京都国立博物館
図録『葛生町立吉澤記念美術館 開館記念展 吉澤コレクションの軌跡』2002.5.27, 葛生町立吉澤記念美術館
川端宏樹「なぜ若冲はブームになったか」2004.1,東京大学文学部歴史文化学科美術史学卒業論文
辻惟雄 小林忠 河野元昭 監修『日本絵画名作101選』2005.3.20,小学館
佐藤康宏『アート・ビギナーズ・コレクション もっと知りたい伊藤若冲 生涯と作品』2006.2.25,東京美術
吉野慈治「連載3 京野菜の周辺【若冲と呉春】描かれた野菜たち」『農耕と園芸』第61巻3号,p.96-p.99,2006.3.1,誠文堂新光社
河野元昭監修『別冊太陽「江戸絵画入門 驚くべき奇才たちの時代」』2007.12.20,平凡社
狩野博幸 森村泰昌ほか『異能の画家 伊藤若冲』2008.1.25,新潮社
都築響一『だれも買わない本は、だれかが買わなきゃならないんだ』2008.2.28,晶文社
大石倫子「佐野市立吉澤記念美術館蔵 伊藤若冲〔菜蟲譜〕画巻」について」日本女子大学 人間社会研究科紀要第14号,263(1)-249(15),2008.3,NII-Electronic Library Service
『シーボルト日本植物図譜コレクション』2008.6.28,小学館
「東京大学東洋文化研究所」(http://www.ioc.u-tokyo.ac.jp/)2008.7.8
宇佐美文理「宇佐美研究室へようこそ。」(http://www.bun.kyoto-u.ac.jp/~bunrius/indexj.html)2008.7.8
嶋田英誠「WEB版 中国絵画史辞典」(http://www2.mmc.atomi.ac.jp/web01/Dictionaries/Dictionary%20of%20Chinese%20Painting/
Dictionary%20of%20Chinese%20Painting_02.htm)2008.7.8
「京都大学人文科学研究所東洋学文献センター」(http://www.zinbun.kyoto-u.ac.jp/)2008.7.8
「ハマリごと──若冲サイト」(http://park5.wakwak.com/~birdy/jakuchu/index2.html)2008.7.8
「はろるど・わーど」(http://blog.goo.ne.jp/harold1234/e/6418798907275d0e32b6324222e8a5fe)2008.7.8
「すぴか逍遥」2007.10.11,11.2(http://blog.goo.ne.jp/supika09/m/200710/1)2008.7.8
「佐野市立吉澤記念美術館」(http://www.city.sano.lg.jp/museum/)2008.7.8 |
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2008年7月 |
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[ かげやま こういち ] |
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