キュレーターズノート

10年目を終える今、災害伝承展示のあり方を考える

山内宏泰(リアス・アーク美術館)

2022年03月01日号

東日本大震災発生10年、そして11年目を迎えようとする被災地、宮城県気仙沼市。2013年4月に公開が開始されたリアス・アーク美術館常設展示『東日本大震災の記録と津波の災害史』の続編ともいえる特別展「東日本大震災発生10年特別企画『あの時、現在 そしてこれから』展」が、現在開催されている。東北の被災地に乱立する震災津波伝承施設へのアンチテーゼを提示する同企画展を一例として、災害伝承展示のあり方を述べる。

東日本大震災発生10年特別企画『あの時、現在 そしてこれから』展について



左:震災発生10年特別展チラシ 右:リアス・アーク美術館外観(2022年2月9日)[撮影:山内宏泰]


開催の経緯

「なぜこのタイミングで東日本大震災発生10年特別企画展を開催するのか?」

取材冒頭でそう問われるたびに、私は苛立ちを鎮めつつ、その質問の意図を「なぜ2021年3月ではなく今なのか?」と、推察するように努めた。

リアス・アーク美術館が「東日本大震災発生10年特別企画展」を開催することは、10年前から決まっていたことである。多少なりとも当館の活動を知る者であれば、同展開催の理由など問うまでもないことは理解しているはずだ。とはいえ、開催時期が10~11年目に至る2022年2月5日~3月21日という設定になった理由についてはきちんとお伝えしておく必要がある。



『あの時、現在 そしてこれから』展 会場風景[撮影:山内宏泰]


同特別展は2015年の段階で、2021(令和3=平成33)年夏に開催することが決定されていた。ところがそのための準備として2020年に計画していた事前の現地調査事業が、コロナウイルス感染症という想定外の災厄によって実行困難となり、2021年4月以降に延期された。結果として、同特別展を開催可能なタイミングは、唯一2022(令和4)年の2~3月ということになってしまったのである。つまり開催時期が10~11年目をまたぐかたちとなったことはまったくの不可抗力だった。

当初、東北の被災地復興事業は2020(令和2=平成32)年夏までにおおむね完了する計画で進められていた。なぜなら同年夏に「復興五輪」なるものが開催される予定だったからである。しかしコロナウイルス感染症のパンデミックにより、五輪開催日程が翌2021年夏に延期、場合によっては中止される見込みとなった。すると被災地復興事業は露骨にスローダウンし、さまざまな事業の完了時期は次々に先送りされ、さらに次年度へと繰り越されていった。

その後の社会状況からして、当館の被災地調査計画延期と特別展開催時期延期の判断は正解だったといえる。仮にコロナ禍を押して、予定通り2021年夏に展覧会を強行開催していたならば、復興事業が停滞中の非常に中途半端な社会状況下、「コロナ禍克服祈念五輪?」が開催されている傍らで、真夏に東日本大震災発生10年の振り返りを行なうという、何ともちぐはぐな状況になっていたはずである。

しかしながら、いかに不可抗力とはいえ「東日本大震災発生10年」を冠する特別展が、単に会期延期という理由だけで11年目に開催されていると見なされることは避けなければならない。よって本展では「振り返るだけではなく、未来に向けて新たな一歩を踏み出すための展覧会である」とのコンセプトを強調し、展覧会タイトルも『あの時、現在 そしてこれから』とすることで、この10年の変化から11年目以降を思考する展示であることを明確にした。



『あの時、現在 そしてこれから』展 会場風景[撮影:山内宏泰]


当館は2013年4月3日より『東日本大震災の記録と津波の災害史』常設展示を公開し、以降、いわゆる「災害伝承施設」としての役割を担ってきた。発災から約2年で編集公開された同常設展示は、それゆえに復旧、復興事業に関する資料を含まず、展示内容は純粋に被災直後の状況のみを伝えている。

同常設展示は、大震災被災の只中に同時進行で企画編集、公開された展示であり、その当時の状況(リアルタイム)がそのまま反映された特殊な展示である。多少極端な言い方をするなら「被災中の被災者によって編集公開された災害伝承展示」である同常設展示は、それ自体が震災遺構的な存在価値、災害史的資料価値をもつものと当館では判断している。よって展示自体をアーカイブする目的から一切の更新を加えておらず、またその予定もない。それゆえ、10年目、20年目といったタイミングで現状調査とその報告を行なうための特別展を開催するといった長期的展望は、常設展示設置公開当初から意識してきた。

現在開催中の『あの時、現在 そしてこれから』展はそういった長期的な展望のなかで企画開催された特別展である。当然ながらその内容は発災10年目の当地域を俯瞰し、これまで行なわれてきた復旧、復興事業に対する評価とともに問題点、そして未来を考えるものであり、既に公開されている常設展示設置のその後を語るための展示なのである。



『東日本大震災の記録と津波の災害史』[撮影:山内宏泰]



『東日本大震災の記録と津波の災害史』[撮影:山内宏泰]



『東日本大震災の記録と津波の災害史』開場式で取材に応じる筆者(2013年4月3日)[撮影:岡野志龍]


風景の変化を思考する理由


『あの時、現在 そしてこれから』展会場風景[撮影:山内宏泰]


『あの時、現在 そしてこれから』展のメインテーマは「風景の変化」である。

2011年3月、巨大津波の襲来によって、まちの風景は致命的に変化してしまった。そしてその傷跡には、雑草生い茂る広大な更地の風景が残された。1年目、三陸沿岸部の多くの被災現場がそのような空しい姿をさらしていた。

2年目以降、浸水域全体に広がる盛土の世界が、まるで「巨大な板チョコ」のように見えた。均一な嵩上げ地となった場所に、失われた街の記憶を宿すものは何も残されていなかった。



雑草が生い茂る津波被災地(2011年8月25日)[撮影:山内宏泰]



嵩上げされる土地(2017年1月30日)[撮影:山内宏泰]


嵩上げされた土地に新たな道が整備され、真新しい建築物が建ち始めると、そこは見知らぬ街になっていった。この地域では目にしたことのない高層住宅が立ち並び、夕暮れに光り輝く巨大建築群は不夜城を思わせた。その不夜城から見下ろした気仙沼の風景は、ミニチュア模型を見るようであり、まばらに家や工場が建つその土地に、未来の街並みをイメージすることは困難だった。

二つの巨大な橋が海上に架けられ、離島は陸続きとなり、半島は海を飛び越えて降り立つ身近な場となった。時間距離の感覚が大きく変化した。

目の前にあるはずの集落は消え、見えるはずの海は巨大な壁によって見えなくなった。そこにあったはずの森が消え、見えないはずだった丘の向こうに知らない風景が見渡せるようになった。気が付けば、われわれが知っていたはずの風景は「思い出せない風景」に変わっていた。



気仙沼市内。地上13階建ての災害公営住宅[撮影:山内宏泰]



気仙沼湾横断橋。唐桑半島への移動時間を半分以下に短縮した[撮影:山内宏泰]


風景の変化は、人と世界の関係が変わったことを意味する。被災から10年の間に、われわれの周辺世界は激変し、その変化とともに我われの精神や肉体も変化している。さらに今後、文化や歴史までもがゆっくりと、そして大きく変動していくことだろう。

地域文化を見つめ、それを調査研究するとともに地域住民に伝える教育施設として、当館はこの10年間、地域や人の変化、そして文化の変動を注意深く観察してきた。美術館である当館は、災害伝承というカテゴリーにおいても、特に人の感性に影響をもたらす事柄に注視し、その事柄の何たるかを追求、思考し、成果を地域住民に還元していかなければならない。当館にとって、その活動は11年目以降も継続されるべき重要な使命なのである。



思い出せない風景。気仙沼市小々汐(2005年2月8日)[撮影:山内宏泰]


災害伝承施設のあり方について

東日本大震災の発生から10年という節目の年に合わせ、この数年、東北地方の各被災地では、同震災の伝承施設が続々と開館している。真新しい施設内ではさまざまな趣向を凝らした展示が行なわれており、震災発生の瞬間と直後の避難所生活、救援、支援活動の様子から復旧期、そして復興期の様子が時系列で示されている。観覧に訪れた人々はそれらの展示を眺めながら語り部の話に耳を傾ける。そのような光景が被災各地で見られるようになった。そんな折、当館では一過性の特別展『あの時、現在 そしてこれから』を開催し、発災から現在に至るまでの振り返りと、未来に向けた課題の確認などを行なっている。



『あの時、現在 そしてこれから』展 会場風景[撮影:山内宏泰]



『あの時、現在 そしてこれから』展 会場風景[撮影:山内宏泰]


同展は基本的に写真資料と解説テキストによって構成される展示である。よって一般的な展示手法としてはA1、B1サイズなどのポスター状グラフィック資料を作成し、ドライマウントパネルとして壁面展示、あるいはイーゼル的なものに掛ける形で展示する。また、伝承施設などの場合には、概してそれを樹脂プリントシート状の巨大な壁紙化し、壁面いっぱいに貼り付ける=壁化するような手法をとる。

かつては当館でもグラフィック資料、解説テキスト、キャプションなどあらゆる表示物を、いわゆる「のり付きポリスチレンボード」に貼って展示していたが、現在では一過性の企画展の表示物や、A4サイズ以下のグラフィック資料などはプリンター用紙、ケント紙等の紙に印刷したものを直接壁面に貼る形にしている。これは経費削減とともに、サスティナビリティを意識しての方針転換である。



『あの時、現在 そしてこれから』展 会場写真[撮影:山内宏泰]



『あの時、現在 そしてこれから』展 会場風景[撮影:山内宏泰]


東日本大震災の被災経験から、われわれは「自然との関係性の見直し=減災への第一歩」との考えを提唱している。そのような施設として、当館は環境負荷を少しでも低減させる展示を心掛けている。同展においても写真やグラフィック資料はすべて紙出力とし、それを透明ダルマ画鋲のみを使用し、直接壁面に固定することで「のり付きポリスチレンボード=石油製品」の消費量を削減している。そのような活動を行なう美術館からすれば、昨今の伝承施設に多用されている展示手法は、驚くほどの過剰演出であり、展示の設置施工費用も驚愕の数字となっている。また資源の空費も無視できない。何よりも「見せるための気遣い」が度を越えている。

そのような災害伝承施設が乱立する状況下、当館ではあえて、ほぼ紙とピンだけの災害伝承(検証)展示を設置公開することにした。本来、展示は見せるべきテーマが明瞭に見て取れる資料設置を心がけ、必要十分な導線指示を行なえばそれで成立するものである。また、そもそも展示とは、展示主体がただ一方的に「見せる」ものではなく、観覧者が自身の好奇心と向上心によって「自ら考え、自ら見る」ものである。

大切なことを伝えるために最も必要なものは、伝えなければならないという信念と覚悟である。そして愛があれば、紙一枚でもそれは伝わるはずである。



『あの時、現在 そしてこれから』展 会場風景[撮影:山内宏泰]


おわりに


本年1月、「石巻市震災遺構大川小学校」と「大川震災伝承館」を視察した。他館に比べれば小規模な伝承館は装飾もなく資料数も限られており、「あの出来事を後世に伝える施設としては物足りない」と感じる一般利用者は少なくないかもしれない。しかしそれは間違いである。

被災地には「伝えられること」と「伝えられないこと」があるのだ。伝えられないことの多さゆえ、大川震災伝承館は沈黙しているのである。来訪者は想像力を働かせ、沈黙の理由とその向こう側にある悲しみや怒り、後悔や苦しみに到達しなければならない。

東日本大震災被災地には、「知るための努力」なしには決してたどり着けない事実があるということを、どうか忘れないでいただきたい。



石巻市震災遺構大川小学校(2022年1月8日)[撮影:山内宏泰]



大川震災伝承館(2022年1月8日)[撮影:山内宏泰]


★──2011年3月11日は、会計年度上2010年度だった。ゆえに東日本大震災発生10年目とは2020年度内のことであり、暗黙のうちに同年夏が復興完了の時とされた。被災者らは五輪開催のために復興事業が圧縮されているとの不信感を募らせた。

東日本大震災発生10年特別企画『あの時、現在 そしてこれから』展

会期:2022年2月5日(土)~3月21日(月・祝)
会場:リアス・アーク美術館
(宮城県気仙沼市赤岩牧沢138-5)

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