キュレーターズノート

京都府立堂本印象美術館から滋賀県立美術館へ──転職4カ月目に思うこと

山田由希代(滋賀県立美術館)

2022年08月01日号

2022年4月1日に滋賀県立美術館に着任した私は、同年3月末日まで京都府立堂本印象美術館で勤務していた。前職場は京都の個人美術館であり、現職場は滋賀の県立美術館である。縁あって同じ関西圏の美術館で勤務することになったが、隣同士の府県とはいえ、地域性の相違は大きい。また、両館では職員数や施設面積など規模や運営方法の点でも大きな違いがある。着任以来、戸惑いながらの勤務も、やがて4カ月の月日が過ぎようとしている。ここでは、それぞれの美術館の業務を通して、私が感じた学芸員の仕事のさまざまな在り方について綴ってみたい。

京都府立堂本印象美術館──京都という地で一人の作家の業績に向き合う


京都府立堂本印象美術館 外観


長期間勤めていた堂本印象美術館は、大正、昭和期に活躍した日本画家、堂本印象が存命中の1966年に自ら設立した美術館である。没後、しばらく社団法人堂本美術館として運営されていたが、1991年に美術館の建物と作品が京都府へ寄贈され、翌年に府立の公開施設となった。その後、2006年に京都府が指定管理者制度を導入したことで、2012年まで学校法人立命館が、それ以降は公益財団法人京都文化財団が管理運営しながら現在に至っている。

個人作家名を冠した美術館には、その作家の代表的な作品イメージがどうしても付きまとう。しかし、印象は、いわゆるタブロー作品のほかに、有名寺院の障壁画も数多く制作するかたわら、工芸品のデザインにも長けていた。言わば多様な才能を持ち合わせた芸術家であった。描く画風も伝統的な日本画から抽象画まで時期によって変遷を遂げ、戦後は欧米の美術界でも注目された。約2300点あるコレクションには、古今東西の美術のエッセンスが散見される。運営体制に紆余曲折ありながらも、個人美術館として存続できたのは、多様な切り口が設定できる豊富なコレクションに依拠するところが大きい。

在籍当時、展覧会の企画におけるミッションは、印象作品、京都、近現代の日本画をキーワードにして、その魅力を幅広く紹介することにあった。京都画壇という言葉があるように、京都出身もしくは京都の画塾や学校に学んで画家となった人物は実に数多い。また、京都では古くから絵画と工芸、特に陶芸や漆芸、織物、染織品などが絡み合いながら、伝統工芸が発展し続けてきたため、文化的コミュニティの密度は高く、とりあげる人や物や事が別の側面と繋がりをもつことも多々ある。こうした繋がりをも意識して企画を考えると、たとえ個人作家のコレクション展であっても多方面に有機的な関連が生じ、それが時代、場所、ジャンルを越えて網の目状に広がっていく面白さを感じていた。

また、一人の作家を顕彰するという個人美術館に特有の仕事上の経験も数多くあった。なかでも、特に、記憶に残っているのは、福井地方裁判所のロビーを飾るため、印象が1955年に制作した高さ約8メートル、幅約4メートルのアクリル製の大型ステンドグラス作品を、正真正銘ガラスで新調した2010-2011年のプロジェクトに学芸員として参加できたことである。経年劣化のために大きなアクリル面が縮み、将来的に落下する恐れが懸念されたため、ガラス製で一から作り替える計画が立てられた。その実施にあたり、所蔵者である福井地方裁判所、さらに福井地裁を管轄する名古屋高等裁判所、またさらに最高裁判所からそれぞれ職員が数名ずつ、その他にステンドグラス工房の職人やガラス絵制作の方々、そして美術館学芸員の私、といった編成チームで1年間ほど定期的に参集して協議を繰り返した。制作当時の資料や部分下絵は京都の美術館に、全体の下絵や原画は福井地裁にと分散し、そしてそれらの検討材料をまとめてステンドグラスを制作する工房は名古屋にあったので、その間、あちらこちらへ出向しながらの作業となった。一人の作家の業績を精査しながら再生する仕事は、作家の情報が集中的に集まる個人美術館の学芸員ならではの仕事であったと思われる。



福井地方裁判所のステンドグラス下絵の調査



ステンドグラス再制作の様子



ステンドグラス設置の様子



外壁側から見た完成後のステンドグラス


滋賀県立美術館──面として広がるネットワークの広がり


滋賀県立美術館 展示室2


一方、滋賀県立美術館は1984年に滋賀県立近代美術館として開館して以来、県直営の美術館として存続している。作品の収集方針は、小倉遊亀をはじめ、日本美術院を中心とした近代日本画、滋賀ゆかりの美術・工芸、戦後アメリカと日本の現代美術、アール・ブリュットなど複数の分野に及ぶ。収集方針の経緯は、美術館設立にあたり地元作家の小倉遊亀から寄贈を受けたこと、また、遊亀が院展で活躍したことから院展作家の作品を収集することになったが、京都から程近い館にとって、結果的に日展作家が大半を占める京都の美術館との棲み分けが可能となった。また、現代美術についても、いちはやく戦後アメリカのモダンアートを集中的に収集したこと、福祉施設での造形活動から生まれたアール・ブリュットに傾注するという点で、今も関西ひいては全国的に独自の立場を築いている。

ここでの学芸業務は、日本のみならず海外の幅広い作家や作品を扱い、他館への作品貸出や作品の寄贈、寄託の受け入れ対応も数多い。展覧会には独自企画のほかに巡回展や連携事業も多々あり、そこで人や作品によるネットワークの広がりが生じている。特に、巡回展には大きな予算がつくことが多いため、担当学芸員にはある程度の規模の企画展を取り仕切ったという経験が重ねられていく。

学芸員たちは、自らの企画を練り、展覧会準備に、作品調査に、ワークショップに、日々勤しんでいる。彼らに接すること約4カ月、私自身も徐々にではあるが、ここでの仕事に慣れつつあり、館蔵品や地域社会に目を向けた美術への研究意欲が湧きつつあることも事実である。滋賀も京都と同様に、歴史と文化に厚みのある場所である。彦根や長浜といった城下町だけでなく、天台宗総本山の比叡山延暦寺や紫式部ゆかりの石山寺も存在する。滋賀県ゆかりの筆頭作家をあげると、日本画家の山元春挙、洋画家の野口謙蔵、染織家の志村ふくみ、陶芸家の清水卯一など全国的に有名な近現代作家も複数見られる。それぞれ単体でとりあげられがちな作家であるが、県内の文化的な層やネットワークとしてどのように関係するのか、点ではなく面で捉えることの可能性を模索して、一度、概括的な観点から探ってみたいと思っている。

京都府立堂本印象美術館

住所:京都府京都市北区平野上柳町26-3

滋賀県立美術館

住所:滋賀県大津市瀬田南大萱町1740-1