キュレーターズノート
具体と曖昧のはざまから、新しい世界を映し出す──「ムン・キョンウォン&チョン・ジュンホ:どこにもない場所のこと」
野中祐美子(金沢21世紀美術館)
2022年08月01日号
対象美術館
本号では、金沢21世紀美術館で開催中の展覧会「ムン・キョンウォン&チョン・ジュンホ:どこにもない場所のこと」について紹介する。
現代韓国を代表するアーティストデュオ、ムン・キョンウォン&チョン・ジュンホ(以下、ムン&チョン)といえば、2015年の「Korean Art 1965-2015」(福岡アジア美術館)や2018年の東アジア文化都市2018金沢「変容する家」(金沢市)、最近では2021年「奥能登国際芸術祭2020+」(珠洲市)など、これまで日本国内でも彼らの作品を観る機会はしばしばあった。また、その間も世界各地で発表を続けており、近年では彼らの名前も作品もよく見聞きするようになった。しかし、筆者も含め多くの鑑賞者が、彼らの作品をまとまって体験する機会というのはほとんどなかったのではないだろうか。
本展覧会は彼らの日本での初めての個展である。合計6作品が発表され、そのうちの2作品はこの金沢での個展のために制作された。ここでは、特にこの新作2点と金石でのプロジェクトを中心に見ていきたい。
未来を通して現在を考察する
本題に入る前に、まずは展覧会タイトルにもなっている「News from Nowhere」というプロジェクトに触れておく必要があるだろう。なぜなら、「News from Nowhere」という言葉に託された意味こそが、ムン&チョンというアーティストデュオの活動の原点であり、つねにそこに立ち返る必要があるからだ。19世紀後半にイギリスのアーツ・アンド・クラフツ運動を牽引した思想家であり小説家でもあるウィリアム・モリスの同名小説「News from Nowhere」(和訳:ユートピアだより)からインスパイアされた本プロジェクトは、2012年から始まり、急変する社会において「芸術の社会的機能と役割は何か」という本質的な問いを投げかけるものである。小説はモリスが夢のなかで見た200年後のイギリス社会を描いていて、そこには平等な社会があり、その未来のユートピアを旅しながら現在を見直すが、夢のなかのユートピアは現実社会に対するモリスの批判的な意識を反映したものとして描写される。このモリスによる「未来に喩えて現在を反省した点」をムン&チョンは参照し、未来を通して現在を考察するというアプローチを開始した。
彼らはインタビューでこのように答えている。
私たちはモリスのヴィジョンにならい、未来を通じて現在を考察することにしました。再び始まる世界はどのようなものだろうか。どのような家を建て、どのような服を着て、何を食べるだろうか……そのような疑問を立てるところからはじめました。
アプローチの方法は多岐にわたる。徹底的に質にこだわった映画のような映像、インスタレーション、アーカイブ、学際的な議論を活発に交わすワークショップ(モバイル・アゴラ)、出版物などのかたちで、政治的、経済的、生態学的な変化を踏まえて現代の社会問題に取り組んでいる。目下、ムン&チョンの名前で活動する際は、この「News from Nowhere」が活動の中心となっているのである。言い換えれば、二人がムン&チョン名義で発表する作品はすべて、この「News from Nowhere」がベースにあると言える。
現存する矛盾──《News from Nowhere: Freedom Village》(2021)
今回、もっとも大きな展示室で発表した《News from Nowhere: Freedom Village》(2021)は、昨年、韓国国立近現代美術館(MMCA)での個展で発表したインスタレーション作品である。構成要素としては、表裏2面からなる大型LEDパネルの映像、サウンド、オブジェ、写真、テキスト、絵画と多様なメディアを取り入れて、空間全体を使ったダイナミックな作品である。
「Freedom Village(フリーダム・ヴィレッジ:自由の村)とは、韓国と北朝鮮の間の非武装地帯(DMZ)にある村、台城洞(テソンドン)のことを指している。私は、彼らからのこの村の話を聞くまで、その存在も名前もまったく知らなかった。1953年に朝鮮戦争の休戦協定が結ばれて以来、この村は「フリーダム・ヴィレッジ」と呼ばれるようになり、70年近く、韓国にも北朝鮮にも属さず、世界から切り離された場所として、現在も存在し続けている。この村は、朝鮮戦争休戦当時の住人とその直系の子孫だけが居住でき、韓国の領土でありながら、国連の管理下におかれ、この村の住民は納税と兵役の義務を免除されているが、村の名前(自由の村)に反して毎晩のように点呼を受け管理されている。男性は32歳になると村に留まるか出て行くかを決めなければならず、部外者は国連軍司令部の許可なく立ち入ることができない。カーナビのGPSで「フリーダム・ヴィレッジ」と検索すると「目的地が見つかりません」と表示される。冷戦時代の欲望と不条理さを反映し、この村はいまもなお隠された存在であり、韓国の内部かつ外部であり続けている。外界から遮断され時間が止まったようなこの村で、約200人の住民が北朝鮮と向き合いながら、「目的地不明」という曖昧さに包まれながら暮らしている。
ムン&チョンもこの村の存在を知った当初は信じ難かったと言っていたが、この主題を扱うことで韓国の現状を知ってもらい理解を促そうというのが目的ではない。彼らが本作品で伝えたかったことは、この「フリーダム・ヴィレッジ」のような矛盾に満ちた出来事がいまこの瞬間にも世界各地で起きているということだ。
政治や宗教が引き起こす紛争のみならず、私たち人類はパンデミックという見えない脅威にも晒され、さまざまなかたちで分断や孤立を経験した。本作品はまさに現代を生きる私たちにとって世界中で起きているさまざまな出来事は決して人ごとではないことを教えてくれる。
金沢の港町への滞在を通して──《サイレント・プラネット》(2020-22)
では、新作2点について見ていこう。
金沢21世紀美術館の館外での活動「自治区」が、2018年からその舞台を金沢市の港町・金石という地域を中心に活動を進めてきたことはこれまでも何度か紹介させていただいた。ムン&チョンはアーティスト・イン・レジデンス・プログラム(自治区金石大野芸術計画)の2組目のアーティストとして2018年度から年度を変えて3回滞在しており、そのときの経験が今回の個展で発表された二つの新作へとつながった。
金石をテーマに構成された展示室に入ると、壁面一帯が金石地区の地図とモノクロ・プリントされた実物大の防風壁(フェンス)の写真で埋め尽くされている。地図にはいくつかのポイントが記され、床にはマンホールが置かれている。地図に記されたポイントは、実際にこのマンホールが設置された場所を示している。
地図とフェンスの写真の間には、プロジェクションされたテキストと写真が「Kanaiwa Project」というタイトルで紹介されている。フェンスの壁には二つのモニターが設置され、新作《サイレント・プラネット》(2020-22)が映し出されている。展示室をぐるりと囲むようなかたちで、ムン&チョンが数年にわたり通った金石での成果がひとつの空間に凝縮されている。
金石でのプロジェクト(1):Kanaiwa Project
本プロジェクトは、ムン&チョンがレジデンス・プログラムで金石地区に滞在しながら、自らが経験し、感じたことに基づいて立ち上げられたものである。海岸線に沿って立ち並ぶ古いフェンス、プラスチックごみが漂流した浜辺、役目を終えて錆び付いた船、人通りが少なく静寂が漂う街並み。彼らは金沢の港町で生活するなかでこの街の未来について考え続けた。そして、この街に見られる風景は世界の一部であり、同時にこの地が抱える問題は世界中のどこにでも起こりうることであり、この街が私たちの置かれている現在と未来を語ってくれていることだけは確かである、と彼らは考えた。
かつて北前船で栄えていた金石の街は、いまではその賑わいも影を潜め、すっかり静かになってしまった。その場所からいま、世界の矛盾と喪失を見つめつつ、現実から隠されていた未知の領域に、ムン&チョンは別の可能性を見出そうとする。その第一歩として、今回のプロジェクトでは三つの建築プランが提案されている。いわゆる画期的なデザインやモニュメンタルな現代建築とはかけ離れているが、それらは、場所のアイデンティティや歴史性を損なうことなく、住民が参加しやすく、低コストで改造可能な範囲の提案である。彼らはプラン自体は実現されなくても、このプロジェクトを機に、街が活気づくようなさまざまなアイデアと提案が積極的に寄せられることを期待している。さて、今回の提案を見た鑑賞者、とりわけ金石の人たちはどのように感じただろうか。
三つの建築プランを紹介しよう。
ひとつ目は、「防風壁の再利用プラン」である。誰しも金石を訪れると必ず目にする建造物がある。それが海岸と街を隔てる高く長くそびえ立つ防風壁としてのフェンスだ。金石海岸の防風壁は、強風と砂嵐で建物が痛まないように設置されているが、それ自体も古くなり錆びつき、劣化してきている。それらの存在は美観を損ねるだけでなく、海岸線に沿って長く延びていることで、街を世間から切り離しているようにも見える。実際、金石地区に住む子供たちはほとんどこの海岸へ近寄らない。危険な場所として大人たちから近寄らないよう言われているからだ。こんなにも美しい海や浜辺があるにもかかわらず、金石住民にとって海は近くて遠い存在だ。そこで、ムン&チョンは防風壁を新たに置き直し、散歩道や小さな公園としての憩いの場をつくることで、人々がそれぞれの時間を過ごせる環境を提案した。
二つ目は、「金石港の廃船活用プラン」である。金石港を歩いていると長い間港に置いてある使われなくなった船をよく目にする。古びた港町の哀愁すら醸し出しているようにも感じるが、やはり景観を損なうばかりか、使い道のないその鉄のかたまりは行き場を失い、劣化が進む。彼らは錆び付いて用途のなくなった船に日除けをつけて、小さな公演やイベント会場として使えるプランを検討した。船の原型をそのまま活かすことで、金石のアイデンティティを表わしてもいる。
三つ目は、「金石港の倉庫改修プラン」だ。漁具とガラクタで埋め尽くされていた倉庫を綺麗に片付けて、構造的に弱い箇所を鉄骨で補強し、開閉可能なガラスやポリカーボネートなど、熱と外からの風が遮断できる壁として窓を取り付けた漁港の倉庫リノベーションプランである。住民たちが共同で運営するカフェテリアや直売所として活用したり、その売り上げで地域のサポートに役立てるような仕組みとして機能する。
いずれもかなり具体的な提案である。ムン&チョンは、この街に滞在し、この街の未来について終始考え続けていた。今回の提案は彼らが具体的に実行しようとしているのではない。このプロジェクトは、この街の風景の一部と化してしまった役に立たない、見て見ぬふりをされている部分に目を向けるきっかけや、未来について考えるプラットフォームをつくることを促す第一歩としての提案なのである。そのような意味では、マンホールプロジェクトも同じ目的意識から来るものであろう。
金石でのプロジェクト(2):金石マンホールプロジェクト
マンホールの蓋は、都市化に伴って必要となる地下の下水道から地上の人々を守るために考案されたものだが、その意味で、私たちの文明の発展を示すものだと言える。ムン&チョンによれば、マンホールの蓋は、私たちが社会のなかで見たくないものと、見たいものとの境目にある存在でもあり、この蓋を通して、現在を省みるとともにいまの時代のシステムについて考えるきっかけとなる、と言う。
すでにマンホールの作品はリバプールでも発表しているが、金沢でのレジデンス・プログラム期間中にも合計3箇所のマンホールの蓋を彼らの作品と取り替えている。街の人たちの日常に密やかに参入した彼らのマンホールには「My future will reflect a new world.」(私の未来は新しい世界を映し出す)というテキストが刻印されていて、このテキストはムン&チョンが二人で発表した初めての映像作品《世界の終わり》(2012、金沢21世紀美術館蔵)で主人公が最後に発した台詞である。
《世界の終わり》は本展覧会の最初の展示室で紹介されている彼らの代表作のひとつである。2面スクリーンに投影された映像には、ある男性アーティストの活動を描いた「現在」と、ポスト・アポカリプスの新世界に生きる女性が旧文明(男性アーティストの生きる「現在」)の調査に赴く「未来」がパラレルに進行し、「未来」の女性は男性の制作した作品の痕跡を通じて「現在」と接触する。デュアル・プロジェクションの手法が最大限に活かされ、アポカリプス前後の「未来」と「過去」という異なる時間軸の接続が映像世界として精緻に描き出されている。主人公の女性が、最後のシーンで、彼女が集めた植物標本のなかに美を見出し、ふと美しい瞬間を感じたときに次のような台詞を発する。
あの瞬間が忘れられない
今は生まれ変わったように
新しい世界を夢見ることができる
私の未来は新しい世界を映し出す
このラストシーンは、それまで他人の命令と規則に従うだけだった女性が「美しさ」を認識したのち、自分の人生を自力で開拓していこうと決心する場面で「私の未来は新しい世界を映し出す」という台詞は、つまり、ムン&チョンが「News from Nowhere」を始めた当初より持っていた問い「再び始まる世界はどのようなものか」と同義とも言える。本作品でムン&チョンは、アポカリプスとその後という未来の時代設定を採用し、現代美術の社会的な機能と役割について疑問を投げかけている。アポカリプスを迎える直前に生きるアーティストとその行動、そしてアポカリプス後の世界において、美の再認識から生じたアートの再生が、二つのスクリーン構成で表現され、終わりと始まりを提示することで(それはつまり、「芸術の終わり」と「芸術の始まり」をも意味する)、現代美術の社会的な機能や役割についてのさらなる考察を意図している。
この主人公の最後の台詞をマンホールに刻印したのは、彼らがこの街に、そして街に住むすべての人たちへ、自分たちの未来への希望と期待を抱き、考えてほしいというメッセージでもあるだろう。展覧会を観た後、ぜひこの地図をたよりに実際に金石の街なかでこのマンホールを見つけてほしい。同時に、彼らがレジデンス期間に見て感じて考えたことが昇華された新作《サイレント・プラネット》のことを思い出しながら、街を散策してみてほしい。
新作《サイレント・プラネット》は2018年以降、数回にわたり金石を訪れてきたムン&チョンによる金石でのリサーチ及び滞在制作の成果のひとつである。後述するもうひとつの新作《News from Nowhere: Eclipce》と連環する本作品は、金石地区に滞在した彼らが同地で撮影した映像を通して「人間の不在と歴史の止まった瞬間」というテーマのもと、「誰もが消え去った不在の村」を描き出し、忘れられた歴史と失われた暮らし、世界への哀れみと懐疑を考察している。2チャンネルで構成された本作品の一方のモニターでは、ゴミが散乱する海岸とその向こうに静かな日本海の景色が広がるシーンから映像が始まり、その後、誰もいない金石の街の中がゆっくりと映し出されていく。古い醤油蔵ではまるで蜘蛛のような形状の奇妙な小型ロボットが彷徨っている。使われなくなり廃棄され錆びた船にたまった砂と水がクローズアップされ、最後は海のシーンで終わる。もう一方のモニターでは、金石にある大きな寺院、本龍寺の場面から映像が始まる。御堂の中をゆっくりと進み、笛や太鼓の音と共にかすれた男性の声が響き渡り、最後は金石が1年でもっとも賑わう祭りのシーンで終わる。終始人間が登場することはなかったが、最後の祭りのシーンでは、大勢の町民たちが祭りに興じ、いつもの金石とは異なる風景がそこにはあった。通常は人通りも少なくとても静かな街だが、祭りのシーズンになると県外に出て行った若者たちも帰省し、町民が一体となって祭りを盛り上げる。これほど祭りごとを大事にする地域は金沢のなかでも金石が際立っているだろう。ムン&チョンは、この祭りにわずかながらこの街の未来を期待できると感じたのかもしれない。あるいは過去と未来の対比のような構成を考えたのかもしれない。
映像のなかに出てくる小型ロボットが金石の街の中を探査する様子は、ムン&チョンのほかの作品にも通ずる、未来の人間が過去(現在)を探る様子とも共通するが、ムン&チョンがインタビューのなかで金石に初めて訪れたときの印象を「まるで映画のセットのように見えた」と語っているとおり、「誰もが消え去った不在の村」は未来のことではなく、いまの金石ですでに始まりつつあるのである。この金石地区に見られる不在、すなわち高齢化と人口減少から引き起こされる過疎化は世界中の多くの都市や街に見られる問題であろう。
この土地で何ができるのか、何が必要なのか。滞在中に彼らは熟考し、今回その一案として「Kanaiwa Project」や「マンホールプロジェクト」を提案した。彼らの活動のひとつに「モバイル・アゴラ」と呼ばれるプロジェクトがあるが、さまざまなジャンルの専門家や参加者とともに、未来について語り合う「アゴラ(古代ギリシアにおいて重要な公共空間として不可欠な場所である広場)」を気軽にさまざまな場所で展開する身軽さや現実への眼差しがこうした提案ともつながっているのだろう。
本当の自由はありえるのか──《News from Nowhere: Eclipce》(2022)
もうひとつの新作《News from Nowhere: Eclipse》(2022)を紹介して終わりたいと思う。
もともと、本作品は前述した《サイレント・プラネット》と交互、あるいはマルチ・チャンネルに編集され、公開しようとしていた作品だが、途中から切り分けて制作が進められた。金石で滞在し、「人間の不在と歴史の止まった瞬間」についての考察をきっかけに誕生したもうひとつの新作である。
登場人物は、誰もいない大海原で救命ボートだけを頼りに、危機に晒されながら暮らすひとりの男である。彼がなぜ海上で遭難しているのかの説明は特にないが、終末とも言える行き詰まった環境で、たったひとり生き残ってしまったこの男は、海水を飲み水に変えて水分を摂り、ほかの生存者を探すために救助信号を送るが届かない。必死にもがき苦しみながらなんとか生きようとする。
実はこれはすべて仮想現実の世界という設定なのだが、男性本人は気づいていない。この世界が誰によって、何を目的につくられたのかは不明だが、この男は自分が存在することを信じている。精神と肉体が支配された悲劇的な世界のなかで男は、彼を拘束するこの世界から解放されることを願い、自由を目指して闘争を続けている。彼が繰り広げる生存闘争によって、人間存在を苦しめる束縛と警戒、無意識のうちに取り込まれている情報社会や制度の支配、これらから逃れて根源的な自由を追い求める人間の執念と意志を見せつけると同時に、本当の自由はありえるのかという疑問を投げかけているようでもある。
本作品は「映像インスタレーション」である。映像が映し出されている巨大なLEDパネルを取り囲むように設置されたLED蛍光灯が展示室内で光の檻のようにも、CG撮影のセットのようにも見える。映像と同期して移り変わる蛍光灯の照明や音響効果によって、鑑賞者は作品世界にのみ込まれていく。ムン&チョンの映像作品は画面の中で完結するのではなく、映像が空間へと拡張され、作品を見ている空間それ自体も映像作品の一部として考え抜かれている。加えて、映像はどこが始まりでどこが終わりなのかがわからないようループ上映をしている。通常、彼らの作品は映画的な手法を取っていることもあり、作品の始まりにはタイトルを掲出し、エンドロールも十分に取っている。しかし、本作品はその始まりと終わりをあえて排除しループを続けることで、主人公が出口のない仮想現実の世界で過ごしているように、鑑賞者は空間の設えと共に非現実と現実の空間を行き来し、彼らが仕掛けた仮想世界へと没入させられる。
駆け足ではあったが、ムン&チョンの日本での初めての個展を、主に金沢でのレジデンスの成果を中心に振り返ってきた。
今回、彼らの作品をまとめて観ることで改めて感じたことを最後に付け加えておきたい。展覧会全体を通して感じたのは、ムン&チョンの映像作品に一貫して見られる「具体的かつ曖昧」な部分がより際立って見えたことだ。そして、私はこの相反する部分こそ、彼らの作品づくりでとても重要な要素なのではないかと思っている。洗練された俳優たちが、ストーリーを紡いでいくように見えながらも、どこかで辻褄が合っていないような、明確にストーリを追いきれないジレンマが残る。我々が眠っているときに見る夢のようだ。
「News from Nowhere」がモリスの同名小説からインスパイアされたことは冒頭で説明した通りだが、モリスは小説のなかで夢を使って現実社会を批判している。夢は誰もが見るものだが、とても具体的なのにどこか曖昧で辻褄が合わないことが多い。その不完全性にこそ彼らがもっとも伝えたいことを伝えられる可能性を見出したのではないだろうか。
ムン・キョンウォン&チョン・ジュンホ:どこにもない場所のこと
会期:2022年5月3日(火・祝)〜9月4日(日)
会場:金沢21世紀美術館(石川県金沢市広坂1-2-1)
公式サイト:https://www.kanazawa21.jp/data_list.php?g=17&d=1797