2022年11月15日号
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キュレーターズノート

国松希根太展「地景を刻む」が挑むもの

立石信一(国立アイヌ民族博物館)

2022年10月01日号

国松希根太の個展「地景を刻む」が開催されている。国松は札幌出身で白老町の飛生地区にある飛生アートコミュニティー(旧飛生小学校)を制作拠点に活動している彫刻家である。現在、飛生アートコミュニティーを恒常的に制作拠点としているのは主に国松一人であるため、小学校の体育館や校庭など、その空間全体がひとつのアトリエのようになっている。こうした自由で広大な空間を使えるからこそ生み出される世界観や作風もあるのだろう。彼は同時に、飛生アートコミュニティーの代表を務め、artscapeでも何度か紹介されている飛生芸術祭の主催者でもある。

国松希根太展 地景を刻む|Trailer[映像:高張直樹]


国松希根太とその系譜

今回の展覧会についてであるが、飛生アートコミュニティーの主催とはなっているが、国松自身が企画し、実施した展覧会である。こうした企画からは、作家自身が自分の現在地として、いまある作品を見せることで勝負しようという意気込みが伝わってくる。

飛生を制作拠点として20年が経つが、本展は「20年を振り返る回顧展」ではないという。展覧会の開催動機は、新作を中心に構成し、それらが「生み出される現場で見せたい」というものである。したがって、今までの国松を見せるためではなく、これからの国松の方向性を示す展覧会であるといえるだろう。



展覧会風景 作品は「GLACIER MOUNTAIN」[画像提供:飛生アートコミュニティー]


国松希根太(1977-)は札幌市に生まれた。小学校の一時期、父親の仕事の都合で飛生に越し、現在の飛生アートコミュニティーがある旧飛生小学校の教員住宅を自宅として過ごしている。その後、札幌住まいを経て東京の大学に進学する。そして大学卒業後に幼少期にすごした飛生の地を制作拠点とするために戻る決意をする。2002年のことである。飛生アートコミュニティーが設立されてからはすでに16年が経過しており、設立当初のメンバーであり国松の父親でもある國松明日香たち飛生アートコミュニティーの「第1世代」が拠点を別の地に移すなかで、飛生からは当初の賑わいはなくなっている、そんな時期だったという。



飛生にて。1986年頃。一番左は希根太。一番右は明日香


そのため、国松が越してからは、まずは教員住宅だった家を人が住めるように改修し、アトリエの環境を整備するところから始めたという。今年で開催14回目を迎えた飛生芸術祭の出発点ともいえる「森づくり」が始まるのは2011年のことなので、この当時は校舎を取り囲む森もまだ荒れ果てていたという。生活基盤を整えるところから始まった白老での生活のなかで、国松の視線は徐々に白老の風景へと向かっていくこととなる。



アヨロ海岸 [撮影:国松希根太]


ここで、国松のルーツとなる一家の系譜を簡単に辿ろうと思う。父親である國松明日香(1947-)は、小樽市生まれで札幌在住の彫刻家として活躍している。明日香の作品は、北海道を中心に多くの公共空間などに設置されている。そして、飛生アートコミュニティーを1986年に結成したのは明日香たちである。ちょうど白老に設置する作品を制作しているときに飛生小学校が廃校になり、その活用を役場の職員から相談されたのが始まりだったという。希根太が飛生に引っ越す理由となった父親の仕事の都合とは、明日香がここを制作拠点としたこと、また飛生アートコミュニティーを設立したことを指す。

明日香の父親であり希根太の祖父にあたる国松登(1907-1994)もまた、画家として北海道を中心に活躍した作家である。国松登は函館生まれであるが、幼い頃に家族で小樽に移り住んでいる。そして、学業のための上京などを経て、1958年に札幌に居を定める。明日香が小樽生まれで札幌育ちの理由はここにある。その後、登は制作を札幌で続け、生涯を通じて作家として活躍する。

こうした系譜からわかるとおり、国松家は三代にわたり北海道を基盤に活躍する芸術一家である。しかし、ここではこの系譜にもうひとり加えたい。国松登の父親の美登里(1870-1940)である。美登里は秋田県本荘に生まれ、そこで木地を習得していたという。国松(希根太)の手元にある『こけし辞典』(東京堂出版、1971)には、国松家四代にわたる始まりの物語が小さく記されている。美登里は秋田でこけしを作っていた。その後、函館に渡り、古美術商などを営んでいる。こうしてみると、国松家は根っからの「彫る」「描く」ことを生業とした一家であるといえる。しかし、私はそこに芸術家としての系譜だけではなく、移動する身体としての一家の物語を見たいと思う。秋田から函館、小樽、そして札幌から白老へと、移動する家族の物語である。やや飛躍していえば、希根太が「歩く」ことと「風景」に深く関わっているのは、こんなことも関係があるのではないかと想像をめぐらせているのである。

歩くことから

私は10年ほど前から、飛生アートコミュニティーと関わりをもつようになり、あるとき国松から、「一緒に歩こう」と声をかけられた。普段、私は山や川などに行く際は山仲間とともにしており、そうした環境からすると国松はまったく別のところにいる人のように思えた。しかしそれでも、白老を中心に一緒に歩くようになった。とくに目的があるわけでもなかった。最初は、本当についてこられるのだろうか、とも思った。どう見ても、山や川など、舗装されていない道を歩くのには慣れていないように思えたからである。しかし、意外とも思えるほどに、彼は息の乱れを見せることもなく歩き続けることができたのである。

あるとき、私たちは川を歩いていた。遡れば工業廃水なども流れ込むような、決してきれいとはいえない川だった。しかしその川の源流がどこにつながるのか、蛇のように大地をのたうつその川にふれたくて私たちは歩いたのである。場所によってはすぐ隣に幹線道路があり、多くの車が行き交うが、通行する人々にはその川の中を歩いている人間がいるとは想像もできなかったのではないだろうか。そう思えるほど、私たちは透明人間にでもなり、異空間を行くような気分であった。私たちには歩き続けたことによって達成できるような明確な目的はなかったけれど、何をしたいのかははっきりと見えていた。それは、日常の一歩先にあるもうひとつの世界にふれてみたかったのである。遠い世界の話ではなく、私たちが暮らす日常のその先にあるもうひとつの「現実」を見たかったのである。

それは峻険な山に挑むようなものではないかもしれない。それは誰も見たことのない、経験したことのないような壮大な冒険などとはいえないだろう。私たち自身、必ずしも「美しい風景」を見たいわけでもないのだ。しかし、人のくらしは思ってもみないほど多様で複雑だ。それが時間という縦軸にも、土地という横軸にも広がればなおさらである。視線に入っていたとしても見落としてしまう、あるいは舗装された道があるがゆえに見えなくなってしまった別の「道」がある。それらは手が届きそうだけれど現に手をかける人は少ない。そうした風景を見たかったのである。そうした行為を国松と私は飽きもせずに続けてきたのである。



アヨロ川を行く[筆者撮影]


あるいはひとりの作家として

国松の代表作のひとつに「HORIZON」というシリーズがある。地平線や水平線を指す言葉の通り、平面の作品のなかには一本の線が見える。しかし、実際の水平線や地平線は、何らかの実体があるわけではなく、また、歩けども歩けども決してたどり着くこともない。しかし、確かにそれは見えている。それはもしかすると国松の普段の歩く行為と似ているのかもしれない。

実は、国松が本展を開催する動機として語っていたことで、フライヤーなどではふれられていないことがある。それは、近年、コロナ禍などもあり、美術館での企画展の機会が減り、声がかからなくなっていたため、それならば「自ら発表の場を作り、自分の意志で勝負したい作品を展示する」ことだという。

端正な佇まいとは裏腹に、呼ばれるのを待ち、要望に応じた作品を出品するのではなく、無骨なまでに我が道を行こうとする作家としてのあり方を示しているのだろう。それはあたかも森のなかで黙々と作品を制作している姿や、あるいは道なき森のなかを何かを求め歩く姿に重なる。そして、ここでも私は一家の系譜になぞらえてみたいと思う。



飛生での制作風景[撮影:高張直樹]


飛生では、一ヶ月に一度「森づくり」が行なわれている。このときは数十人の参加者が集い、銘々が森に関わる作業を行ない、その後はみなで温泉に行き、夜はバーベキューを囲む。そうした賑やかなある種の祝祭空間が飛生にはある。最たるものは年に一度の飛生芸術祭だろう。多くの観覧者が訪れるこの「祭り」の風景からは、普段の飛生の静けさを想像することは難しい。しかし、ひとたび祭りが終わってしまえば、祭りのあとにはひとり、作品と向き合い鑿をふるう国松の姿だけがある。それは一見して孤独である。しかし、「地景を刻む」という本展のタイトルが示すように、地に根をはり立ち上がってきたかのような国松のありようと作品性は、孤独である以上に地景と一体化し、その一部となっているかのようである。飛生の地で作品を見せたいと思うようになったのは、必然だったのだろう。


Visions02|国松希根太|Kineta Kunimatsu|Episode1[企画・撮影・編集・音声・音楽:畑中正人]


展覧会を構成するもの

さて、本展についてである。来場者を出迎えるように「GLACIER MOUNTAIN」が屹立する飛生アートコミュニティーの入口を抜けると、普段は国松がアトリエとして使っている旧体育館へと向かう廊下が続く。光を遮った暗闇のなかにある廊下は、あたかも胎内巡りのような、あるいは生と死を垣間見るような空間となっている。その先の旧体育館にはスポットライトによって浮かび上がった大型の立体作品が展示されている。シリーズで制作している「WORMHOLE」に加え、空間の中心には新作である《GODDESS》が配置されている。国松によると、普段の作品は「作り込みすぎてしまう」ことがあるが、《GODDESS》についてはそうならないように意識したのだという。そのため、作品には鑿の跡が残り、起毛しているかのような木の毛羽立ちは、見た目の印象を和らげる。そして、木や山、あるいは川などにはさまざまな表情があるように、作品全体にさわってみると、それぞれ作品の表情とでもいうべき手触りが大きく異なっていたのが印象的だ。

さらにこの旧体育館では、WHITELIGHT(牟田口景)の協力の下、国松が作品を制作しているときに奏でる音だけを抽出して作り上げたというサウンドインスタレーションも展示の構成要素となっている。さまざまな音がズレながら複数のスピーカーからながれ、通奏低音のように、あるいは鼓動のように鑿の音が会場を包む。こうした音と作品、そして空間によって、あたかも記憶のなかにあるいつかどこかの風景として立ち上がってくるようである。展示されている作品の名が示すとおり、時間がひとつのテーマとなっているのだろうが、時間のなかには当然のように人が死ぬことと生きることが介在する。そうした抗えない時間のながれが、この空間には随所に垣間見えるのである。



国松希根太展「地景を刻む」展示風景 作品は左から3つ目が《GODDES》、ほかは「WORMHOLE」のシリーズ[画像提供:飛生アートコミュニティー]


もう一つのギャラリーである教室には、小型の立体作品がいくつも並び、壁面には平面作品が展示されている。国松は大型の作品のスケール感が特徴的であったが、無数の小品が立ち並ぶ展示風景は新たな試みといえるだろう。それは分け入れば分け入るほど、懐の深い山々が連なる白老の風景のようである。

さらに国松が海岸などで拾ってきたモノがドローイングとともに展示されている。国松のアトリエのデスクの上には拾ってきたモノなどが整然と並び、それが発想の源泉のひとつであることを思わせる。近年は流木や漂着物でインスタレーションを行なうなど、その幅は広がっている。9月18日までUlsan Art Museum(韓国蔚山)で開催されていた「Art and Peace : Let Us Begin Again from Zero o’Clock」展において、奈良美智らと結成したTHE SNOWFLAKESで展示を行なったことは記憶に新しい。



国松希根太展「地景を刻む」展示風景 白いテーブルの上の作品は手前右の黒い作品が「WORMHOLE」、ほかは「GLACIER MOUNTAIN」、《ERUPTION》 右の円台の上の作品は「GLACIER MOUNTAIN」[画像提供:飛生アートコミュニティー]


そして、国松と私のプロジェクトであるAyoro Laboratoryのアーカイブ空間として整備している飛生の森の中にある旧教員住宅では、lab in the forest vol.4の展示を行なっている。ここでは作品とともに、今までの活動のアーカイブを公開している。国松が具体的にどのように土地を歩き、風景を見つめているのか、そしてその視線の先にはどのような風景が広がるのか、具体的に示されている。もうひとつ、北海道大学の今村信隆の「Geographical Biography-『国松 希根太展 地景を刻む』に寄せて」と題したテキストも展示されている。しかし、「寄せて」いう言葉が相応しくないほどにこのテキストそのものが熱量を帯びたひとつの作品のようでもあり、ややもすると主観的になりかねない自主開催である展覧会と来場者をつなぐ対話の回路のようでもある。



展覧会風景 作品は「GLACIER MOUNTAIN」[画像提供:飛生アートコミュニティー]



lab in the forest vol.4[撮影:リョウイチ・カワジリ]


この展示のみならず会場となっている飛生アートコミュニティーが、作家本人と有志によって細部に至るまで厚みをもって手がかけられているようにみえる。それは、国松の熱意もさることながら、本展への協力者のあり方、そして飛生アートコミュニティーの結成以来、今日まで関わり続けてきた人々の気配、そして飛生小学校や飛生地区の歴史、さらにはそれ以前の気の遠くなるような時間のなかでこの土地に関わってきた人と風景の記憶が地景として刻まれ見るものに迫ってくるからなのだろう。

本展の主会場をめぐったあとは、校舎の裏に広がる飛生の森を歩いてほしい。ここは飛生に集う有志によって「森づくり」が続けられており、飛生芸術祭の期間中には展示空間ともなる。そして芸術祭が終わった後も常設作品を見ることができる。森がもつ本来の時間の長さに比すと、10年以上の歳月をかけて作り上げてきたとはいえ、それはあくまでも「一瞬」の出来事に過ぎないともいえる。しかし、今年設置した作品と、過去に展示され今はもう朽ちかけようとしている作品が森のなかには点在し、今年の草刈り跡にはすでに笹の新芽がでてきている。こうした重層性のなかに国松の作品や作家としての活動も位置付けられる。そして生活基盤を整えるところから始まった20年という歳月の先に、ようやく土地に馴染み始め、新たな一歩を踏み出すところまできたことの現われとして本展と、そこでの作品の数々があるのだろう。それは同時に、現代において土地との関わりをいかに築いていくべきかを問い返す作業でもあるのかもしれない。



森の入口 石川大峰《topusi》[撮影:ASAKO YOSHIKAWA]



飛生アートコミュニティー[画像提供:飛生アートコミュニティー]


★──Ayoro LaboratoryのYouTubeチャンネル https://www.youtube.com/channel/UCqjmb8mhOi_gPHSBCUR9gIA/featured


国松希根太展 地景を刻む

会期:9月23日、24日、25日/10月1日、2日、8日、9日、10日、15日、16日、22日、23日、29日、30日/ 11月3日、5日、6日
*土、日、祝のみ開催(計17日間)
会場:飛生アートコミュニティー(旧飛生小学校)
(北海道白老郡白老町字竹浦520)
ウェブサイト:https://kinetakunimatsu.com/9197


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