キュレーターズノート
「コミュニティー」と「祭り」のあり方──飛生芸術祭から見えてくるもの
立石信一(国立アイヌ民族博物館)
2020年09月15日号
対象美術館
前回の執筆時点(2020年4月15日号)では、東京2020オリンピック・パラリンピックが延期になるなど、新型コロナウィルスの広がりが大変なことになってはいたが、ここまで社会のあり方に影響を及ぼすとは想像していなかった。
私が携わっていた国立アイヌ民族博物館を含む民族共生象徴空間(愛称ウポポイ)の開業は、3月31日の執筆時点では当初から予定されていた4月24日とされていたが、その後、5月29日に延期され、その日程でも開業できず、最終的には7月12日となった。そして、ようやく開業はしたが、いまだ予約制をとっており、触れることができる展示や、タッチパネル式のモニターは運用を中止したままである。
また、今年度の開催を予定していた特別展、テーマ展は予定の大幅な変更を余儀なくされており、特に他館からの借用資料を前提としたものや、資料に触ることを目的としたものは、すべて延期となった。
そんななか、本稿の主題である飛生芸術祭2020は予定通り開催された。もっとも、例年であれば飛生芸術祭の初日にはTOBIU CAMP というオールナイトのイベントが開催され多くの来場者が訪れていたが、こちらは中止となるなど、コロナ禍の影響とは無縁というわけではもちろんなかった。
飛生と飛生アートコミュニティーの歴史
飛生は「とびう」と読む。北海道の白老町にある一地域の名前で、国立アイヌ民族博物館と同じ白老町に所在している。飛生地区は海沿いから6kmほど内陸に入ったところにあり、戦後の入植と鉱山の繁栄によって一時は軽便鉄道が走るなど、住民も多くいたという。その後、鉱山は閉山され、人口も下降の一途をたどるようになった。飛生には1949年に開校した飛生小学校があったが、人口減少に伴う生徒数の減少によって1986年には閉校を余儀なくされることとなる。
閉校した飛生小学校の校舎を彫刻家の國松明日香らが引き継ぐ形で、同年「飛生アートコミュニティー」が設立された。飛生小学校はアーティストの共同アトリエとして活用されることとなったのだ。まだ芸術による廃校活用が珍しかった時代で、新聞に取り上げられたこともあったという。
現在でも彫刻家の国松希根太を中心にアトリエとして活用しており、2011年からは校舎を一般開放する飛生芸術祭とTOBIU CAMPがスタートした。
飛生芸術祭の形
今年のこのような状況の中で飛生芸術祭が開催できたのは、その運営形態や、あるいは開催趣旨、芸術祭の目指す方向性に寄るところが大きいのではないだろうか。
飛生芸術祭の運営側にいるのは、その多くが「飛生の森づくりプロジェクト」の参加者である。
2011年から始められた同プロジェクトは、校舎の背後に広がる学校林だった森を「再生させる」目的で、月に1、2回程度集まり、草刈りなどの作業をしている。作業のあとは参加者で温泉に行き、BBQをすることが恒例になっている。こうしたコミュニティーの共同作業によって整えられた森が、芸術祭の舞台になっているのである。
2016年の飛生芸術祭の「開催趣旨」には、以下のようにある。
東日本大震災以降、人との繋がりや地域コミュニティについて語られる機会が増加しました。都市部では失われつつある「集落」というコミュニティは、人と人を繋ぐ大切な機能を持っていました。かつてはどこの集落にも、一つの火を囲んで歌い踊り、語り合うようなお祭りがあり、人々の間には強い結束があったのだろうと想像します。(中略)
今年もたくさんの方々にお越し頂き、「飛生」という集落の一員になって気ままに楽しんで貰いたいと思っています。
筆者が初めてTOBIU CAMPと飛生芸術祭に参加したのは7〜8年前だったと記憶している。その当時は牧歌的な、といっていいほどのどかに感じられたオールナイトのイベントは、確かに村祭りに地域の人たちが集まり夜通し踊っているような、そんな感覚を覚えたのである。
そして、飛生芸術祭やTOBIU CAMPの出演キャストは、世界的に著名なアーティストもいるが、北海道内を拠点に活動しているアーティストや、普段はアーティストとしては活動しておらず、飛生との関わりのなかだけでキャストとして活動している人などもいる。さらに森が舞台となっている以上、森づくりに集まり草刈りをしている人などもキャストであるといえる。
飛生芸術祭における主催者と来場者、そしてキャストの関係性
飛生芸術祭は、政治性やイデオロギーなどとは一見無縁のように見える。この芸術祭においてはそのような主張を前面に押し出した作品やイベントがあまり見受けられないからであろう。むしろ校舎と森を使った牧歌的な空間が形成され、自然のなかに溶け込んだような会場の仕掛けによって、「自然」をテーマとしているようにも思えるのである。
もちろんそうした面がないわけではないだろうし、近年、参加者に小さな子ども連れのファミリーが増えているようであるが、その理由の一端はこうした環境を楽しみたいということがあるのかもしれない。
しかし、一方で、こうした「ゆるさ」というのは、安穏とした芸術祭であることを意味しない。そこにはむしろ自立的で主体的な主催者と来場者、そしてキャストの共催による芸術祭が成立しているように見えるのである。言い換えれば、芸術祭はコミュニティーに参加したものたちの「自治」によって成り立っている時間と空間ということができるのではないだろうか。
芸術祭のエリアは、建物とグラウンド、そしてその背後に広がる小さな森である。これらは主催者側によって整備され、細心の注意が払われてはいるものの、リスクはゼロではない。今年は中止となってしまったが、TOBIU CAMPでは校庭に大きなキャンプファイヤーがあり、森の中には来場者に委ねられた焚き火の空間がある。こうした火を取り巻く空間があり、そこが「森」である限り、なんらかのリスクはつきものだからだ。
また、あるとき筆者が飛生のミーティングに参加させていただいたとき、話し合われていたのは、出品・出演するキャストをあらかじめ公表しないということについてであった。今年の飛生芸術祭もキャストを公開しているので、この案についてはいまだ実現をみていないようではある。しかし、その「公表しない」という形をイメージしていることにこそ、この芸術祭のあり方が端的に表されているように思う。
キャストの名前を公開しないというのは、運営側の空間、環境、あるいは目指す方向性に対する強い思いと自信によるのだろう。しかしそれは裏返せば、来ることによって何を得るのか、求めるのか、あるいはどのように過ごすかは、来るものの責任に任されているということでもある。
飛生芸術祭のHPの「はじめに」にはこうある。
「飛生芸術祭」は、木造校舎と周囲の森を展覧会場として、多様な表現をお披露目し、たくさんの方々と出会い交流する、一年に一度の催しです。
この場、この土地でしか成し得ない創作・表現とは何かをずっと考え続け、多くの有志とともに協働を続けています。(中略)
ぜひ大切な人と一緒に、飛生でのそれぞれの物語りをつくりに来てください。
それぞれの物語をつくる、つまり来場者も大切な飛生芸術祭をつくり上げるキャストであり、共催者でもあるといえるのではないだろうか。
飛生芸術祭を構成するもの
こうした飛生のあり方の土壌となっているのが、コミュニティーであり森であり、そこでの共同作業なのだろう。そして、年に一度森を公開することによって、多くの「飛生の集落の一員」が集い、「祭り」という祝祭空間を共有する。
芸術祭以外の期間は有志たちの「自治」によって、森づくりが進められている。芸術祭のために準備しているのではなく、一年のさまざまな活動のサイクルの中のひとつとして芸術祭がある、そのように筆者には見えるのである。
飛生芸術祭やTOBIU CAMPをイベントやフェスと言い表わすよりも、ムラ祭りといった方が言い当てているように思える。
春から始まる森づくりがあり、秋にその年が何事もなく過ごせたことに感謝するように飛生芸術祭が開催され、そして長い冬を迎える。次の年にはまた当たり前のように森づくりが始まる。そうしたコミュニティーの一年のサイクルに位置づけられている祝祭空間であるからこそ、芸術祭で大切にされていることは、来場者と主催者、そしてキャストが、「自治」によって成り立っている時間と空間を共有することなのではないだろうか。
さらに、森づくりには希望すれば参加できる。もしかすると今年は飛生芸術祭の観覧者だったものが、次の芸術祭では森づくりの「キャスト」として関わっている可能性もある。そうした循環が森づくりにはあるのだ。
筆者の出身地には、数年に一度執り行なわれる大きな祭りがある。祭り以外の期間は祭りの準備が地域社会によって担われ、そして祭りも地域社会単位で執り行なわれていく。そこには住民の自治によって成り立つ地域社会のあり方と祭りの姿がある。そして、連綿と続けられてきた祭りはまた、連綿と続いていくだろうことを感じさせる。こうした地域の祭りと飛生の「祭り」には似ているところがあると思えるのである。
一方で、大きく異なるところもある。そのひとつが、飛生は地縁、血縁によって分かちがたく結びついている人たちの集まりではないところだろう。森づくりの参加者も、芸術祭の参加者もともに自らの意思によって集った人たちであり、これはある種の現代のコミュニティーのあり方を端的に反映しているともいえる。
そうであるから、主催者も参加者もそれぞれの人生の段階の変化などによって、関わり方などもまた変わっていくのかもしれない。そうした変化に合わせて飛生アートコミュニティーと飛生芸術祭が今後どのような道を進んでいくのかに注目していきたいと思う。
飛生芸術祭2020
さて、最後に今年の飛生芸術祭の内容に少し触れておく。今年の芸術祭は今までと大きく趣を異にした部分がある。それはギャラリーとして使用している教室に白い壁をつくり、ホワイトキューブに近い空間に仕上げたことである。今までは、もともとあった校舎がそのまま活かされ、そこに作品が展示されていた。
このギャラリーがつくられたことによって、展示するものが環境に左右されず、鑑賞者が観覧できるようになった意味は大きく、またそうであるがゆえに飛生芸術祭の雰囲気を変えたように思えるのである。
そして、その教室の空間作りを担ったのが奈良美智である。奈良は2017年に飛生で滞在制作し、芸術祭で個展を開催している。なお、2015年と2016年にそれぞれ滞在製作した淺井裕介と中根唯も今年再び滞在制作し、芸術祭に参加している。アーティストたちも飛生芸術祭に参加することをきっかけに飛生の集落の一員となり、今年も飛生に集い、祭りという祝祭空間を演出しているのである。
芸術祭の案内などでは触れられていないが、体育館では国松らの作品の制作中の風景が見られるようになっている。芸術祭以外の期間の体育館は国松のアトリエとして使われているため、作業台の上には制作道具や作品の着想のもとになっているさまざまなモノなどが並べられており、普段の飛生の様子を感じ取ることができる。そして、ここが学校だったことの証として、体育館の正面には校章が据えられている。こうしたものが一体となって、ここが飛生の象徴的な風景を形作っている、と筆者には思える。
また、私自身も彫刻家で飛生アートコミュニティーの代表でもある国松と、Ayoro Laboratoryというプロジェクトの展示「lab in the forest vol.2」を行なった。2015年から始めた同プロジェクトでは、地元の白老や登別を歩き、地域の人たちの話を聞いている。芸術祭では、飛生にある元教員住宅だった家をlabにして、活動を通じて得たものをアーカイブ化していく試みをしている。人に見せるための一時的な展示ではなく、記憶が紡がれていくための空間とアーカイブづくりを進めているのである。
飛生アートコミュニティーで開催されている芸術祭は9月13日で閉幕したが、町内ではまだ開催されている関連イベントもある。白老駅近くの空きテナントを使って、マレウレウのマユンキキと写真家の池田宏による展覧会「シヌイェ アイヌ女性の入墨を巡る写真展」は9月22日まで開催されている。また、飛生芸術祭ではないが、白老町内の仙台藩白老元陣屋資料館を主会場に「白老、北海道の木彫り熊を巡る考察展」も9月22日まで開催されている。
飛生アートコミュニティーの軌跡と活動については、飛生アートコミュニティー30周年記念誌『TOBIU ART COMMUNITY 1986-2016』(飛生アートコミュニティー、2016)を参照した。
飛生芸術祭2020「僕らは同じ夢をみる—」
会期:2020年9月7日(月)〜9月13日(日)
会場:飛生アートコミュニティー(旧飛生小学校)(北海道白老郡白老町字竹浦520)
□《同時開催》白老町内イヴェント
「シヌイェ アイヌ女性の入墨を巡る写真展」ほか
期間:2020年9月11日(金)〜22日(火・祝)
会場:町内複数エリア
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