キュレーターズノート

美術館からの逃走──「みる誕生 鴻池朋子」(高松会場)と大島での展示

橘美貴(高松市美術館)

2022年10月15日号

今夏、高松市美術館にて展覧会「みる誕生 鴻池朋子」が立ち上がった★1。本展は瀬戸内国際芸術祭2022の夏会期に合わせて開催されたもので、鴻池は芸術祭にて大島でも作品を展開している。この2カ所での展示は高松市美術館でのインタータイダル・ゾーン(潮間帯)を介してつながり、鴻池は鑑賞者を美術館の外へと連れ出していった。

「みる誕生 鴻池朋子」(高松会場)をたどる

「みる誕生 鴻池朋子」は美術館のバックヤードを含むあらゆる場所を使った展覧会であった。順路に沿って、展覧会を構成していたものを振り返ると下記のようになる。


正面入口前

・《狼チェア》

エントランスホール

・2点の大きな皮トンビ
・凧7点
・高松市美術館の建設に関わる資料
・映像「リングワンデルング」


エントランスホール(2点の皮トンビが吊り下がる)[撮影:永禮賢]


スロープ

・たなびくマスカー
・高松市美術館の設計図2枚
・凧
・映像「セスジスズメの幼虫」
・凧ドローイング

2階廊下

・《風が語った昔話》
・《顔たんぽぽ》


《風が語った昔話》[撮影:永禮賢]


コレクションと糞をめぐる部屋(2階展示室1室目)

・高松市美術館の所蔵作品41点★2
・鴻池が作った動物の糞の模型


コレクションと糞をめぐる部屋[撮影:永禮賢]


毛皮回廊(廊下)

・狼などの毛皮


毛皮回廊入口(ここで黒いロープが指鎖編みの毛糸に変わる)[撮影:永禮賢]


2階展示室2室目

・絵本『みみお』原画34点
・映像「ミツバチ、クマバチ、マルハナバチ」
・影絵灯篭2点
・《Dream Hunting Grounds カービング壁画》
・作品輸送箱など
・2点の振り子作品や《竜巻パラソル》などの動く作品、山インスタレーションや触れるインスタレーション等々が展示されたエリア


『みみお』原画[撮影:永禮賢]


《Dream Hunting Grounds カービング壁画》(新田安紀芳氏蔵、アーツ前橋寄託)[撮影:永禮賢]


山インスタレーション(手前)や2点の振り子作品(左奥)など[撮影:永禮賢]


廊下

・アニメーション
・木下知威(歴史学者)と鴻池の往復書簡

深度図書館(1階展示室1室目)

・『ワカタケル』装画、新聞挿絵原画
・《襖絵(地球断面図、流れ、竜巻、石)の石部分》
・絵本『焚書 World of Wonder』原画
・本展がリレーする美術館の担当学芸員3名によるテキスト
・鴻池のテキスト
・鴻池関連図書


深度図書館。《襖絵(地球断面図、流れ、竜巻、石)の石部分》(石橋財団アーティゾン美術館蔵)[撮影:永禮賢]


インタータイダル・ゾーン(1階展示室2室目と展示室前後の廊下、一部バックヤード)

・映像「北の長持唄」
・大島《逃走階段》コンセプト模型
・若林奮《緑の森の一角獣座 模型》
・国立療養所菊池恵楓園絵画クラブ「金陽会」★3のメンバーによる絵画作品107点
・《物語るテーブルランナー》★4 60点


インタータイダル・ゾーン。大島《逃走階段》コンセプト模型(手前)や若林奮《緑の森の一角獣座 模型》(WAKABAYASHI STUDIO蔵、神奈川県立近代美術館寄託)(中央奥)、「金陽会」メンバーによる作品(壁面)[撮影:永禮賢]


《物語るテーブルランナー》[撮影:永禮賢]


エントランスホール

・《旅する電気屋》
・《水竜巻マシン》


《旅する電気屋》[撮影:永禮賢]




これらの順路を通して、《高松 皮トンビ》から伸びた黒いロープが通路も含め「コレクションと糞をめぐる部屋」の最後までつながり、毛皮回廊の直前でロープが指鎖編みされた毛糸に変わって、最後の《旅する電気屋》の手元までつなげられた。ロープと毛糸は目の不自由な来場者が作品を巡る際の道しるべになると同時に、晴眼者に対しても視覚に頼らない鑑賞を促すものとなった。

あらゆる要素で構成されたこの展覧会は、さまざまな視点から考えることができるものだった。「コレクションと糞をめぐる部屋」★5だけを見ても、収蔵庫のスペース問題に直面しながらも収集を続ける美術館のあり方に対して改めて警鐘を鳴らす面もあれば、人の創作と動物の消化・排泄という生きるためのサイクルを重ね合わせてその意味を考えさせられるような部分もある。また、本展では聴覚や嗅覚などの視覚以外の五感を使った鑑賞の可能性も大きなテーマのひとつだったし、人によっては振り子の作品や《竜巻パラソル》、《旅する電気屋》など自然の力を視覚化したような作品から、自然と人間との関係に思いを馳せたかもしれない。


展示室に置かれた動物の糞の模型[撮影:永禮賢]



大島での展示/島からの逃走

高松市美術館での展示はインタータイダル・ゾーンを介して、大島へと向かうかたちで終わっており、本稿でも続いて大島の展示を紹介しよう。 大島は島全体が国立療養所 大島青松園となっている比較的小さな島だ。この療養所では1909年の開設以降、中四国地域のハンセン病患者が入所し、1996年に「らい予防法」が廃止されるまで隔離政策が行なわれ、現在も元患者たちが暮らしている。

鴻池は大島の社会交流会館の一室★6で「金陽会」の作品とともに《物語るテーブルランナー》や映像作品を展示し、そこから徒歩10分程度の場所にある北山で1933年に入所者が開いた散策路「相愛の道」を復活させて《リングワンデルング》と名付けた。この散策路は小さな山の周りを一周するように設けられ、そこからは瀬戸内海の景色を楽しむことができる。

さらに鴻池は秋会期に、この散策路から《逃走階段》を崖下の浜辺に向かって開いた。これは、大島で感じた息苦しさや、コロナ禍で過ごした閉塞期間を経て、若林奮《緑の森の一角獣座 模型》などに着想を得て展開されたそうで、若林作品からはまったく違う場所へ行けるような具体的なイメージのヒントをもらったという。

この階段は会期中の土日祝の午前に開催されるツアーに参加すると降りることができる。筆者が訪れた日は朝の船便が満員で乗れずツアーには残念ながら参加できなかったが、散策路から見える眼下のエメラルドグリーンの波際は本当に美しかった。


《逃走階段》は浜辺につながる[撮影:永禮賢]


患者の話として、療養所に入って治療を受けたら家に帰れると思っていたが実際は二度と出られなかった、ということはよく耳にする。島に隔離され、症状が進行した患者の世話をしながら生きるしかない苦しみは想像を絶するもので、島から脱出しようとした入所者が多くいたというのは当然だろう。彼らは島外の人の手を借りたり、自力で海を泳ぐなどして逃走を試みたほか、自ら命を絶つことも多々あったそうだ。このようなエピソードは《物語るテーブルランナー》にも表わされているし、ほかの作家による作品でも触れられている。


「作家」ではない創作者たち

高松市美術館と大島での展示作品には、美術館が普段は「作家」として扱わないようなつくり手によるものも多く含まれている。「金陽会」は療養所内の絵画クラブであり、《物語るテーブルランナー》は鴻池によるプロジェクトの成果物であることから鴻池作品と位置付けることもできるが、実際に布と針を使ってランチョンマットの形にしたのは鴻池ではない。


大島の社会交流会館での展示(「金曜会」メンバーの作品[壁面]、《物語るテーブルランナー》[机上])[撮影:永禮賢]


そもそも個人として物をつくる人のことはみな「作家」と呼んで問題ないように思うが、美術館が「作家」と呼ぶ人はそのうちのほんのひと握りだろう。筆者自身も、創作活動をしているというだけでその人を「作家」と呼ぶには躊躇することもあり、そのほかのもっともらしい経歴や理由を探してしまう。

鴻池は今回の展示を通して、美術館や美術愛好家が重点を置いてきた「作家かどうか」「作家がつくったものが作品である」といった線引きを取り除き、フラットな姿勢で創作物と出会う場をつくり出した。それは「コレクションと糞をめぐる部屋」で学芸員たちに直感での作品選択を求めたことにも通じている。また、「金陽会」の作品については「元ハンセン病患者の作品」と捉えられることに対してメンバーたちが抱える複雑な思いに寄り添って、通常の美術展示として展示することでそれを取り払えるのではという希望もあったという★7

今回の展示全体を通して感じたのは、誰もが何かをつくり出しているのに、美術館をはじめとした美術の制度がその中で線引きや価値づけをすることに対する疑問である。鴻池は、美術館が一方的に「作家」として扱う自分自身と、美術の文脈では「作家」と呼ばれにくい制度外の人々による創作物を並べることで、何が違うのかと問いかけているようだ。


鴻池が導く逃走

鴻池は今回、動物の世界や制度外の人々による創作との垣根を崩すことで、美術館という美術制度の化身のような箱の中から鑑賞者を連れ出した。そしてついに美術館自体からの逃走を試みて大島へ、さらに《逃走階段》へと誘う。船に乗って、山の周りを歩き、急斜面を降りて行き着くのは特別なものは何もないがとても美しい浜辺だ。

鴻池は鑑賞者に鑑賞の手引きのようなものを示さず、作品について説明を求められても、はぐらかしてしまうこともあるそうだ。美術の制度の中から少しずつ外へと導かれた人々は迷子になって道を探す。そこで見出すものが鴻池の考えていたものとは違っていたとしても問題ない。彼女に連れ出された人は自分の持つ感覚を研ぎ澄ませ、目の前のものと対話をし、素朴に反応することで、自分だけの逃走ルートを開いていくのだろう。 高松市美術館での会期を終えた「鴻池朋子 みる誕生」は、11月から静岡県立美術館へ、さらに2024年度は青森県立美術館へとつながる。一般的にこの形式の展覧会は「巡回展」と呼ばれるが、本展覧会は「リレー展」と名付けられ、各会場で同じものを見せることを目的とせず、高松会場が終わって数カ月後の静岡会場ですら異なった姿を見せるようだ。いずれも美術館での展覧会ではあるが、鴻池はこれからも美術の制度からの逃走を仕掛けて、鑑賞者をその外へと誘っていくのだろう。



★1──高松市美術館は2018年度に鴻池の作品《揺れる島》(2011)と《皮絵 オオカミ》(2015)を収蔵した。また鴻池は2019年から瀬戸内国際芸術祭に出品していたことから、瀬戸内国際芸術祭2022に合わせた個展を開催するに至った。
★2──本展覧会がリレーする高松市美術館、静岡県立美術館、青森県立美術館の担当学芸員が高松市美術館の収蔵品から選んだもの。鴻池から選考テーマはなしで選ぶようにと指示を受けた学芸員たちが、直感を探るように作品をセレクトした様子を毛利直子(高松市美術館学芸員)が振り返っている(毛利直子「鴻池朋子と高松市美術館をリングワンデルングした日々」。『鴻池朋子 みる誕生記録集(高松編)』所収。本書は高松市美術館より2022年10月22日刊行予定)。
★3──国立療養所菊池恵楓園は熊本県合志市に1909年に開設されたハンセン病患者の療養所で、「金陽会」はその患者たちによって1953年に発足した絵画クラブである。毎週金曜日に活動していたことと、太陽の「陽」の字を取って名付けられたという。
★4──鴻池によるプロジェクトのひとつ。出会った人の個人的な思い出を聞き取り、鴻池が描き起こした下絵を基に話者本人が手芸で制作するランチョンマット作品。
★5──この展示室について鴻池は「それは決してお腹が満たされるものではないけれど、人はものをつくり、作品と呼び、宝という意味を与えて収集、継承してきた。この収集のミッションは、現在も世界中の美術館で止むことなく、地球のスペースとも関係なく続いている」と書いている(『鴻池朋子 みる誕生記録集(高松編)』より)。
★6──この部屋ではやさしい美術プロジェクトが「{つながりの家}カフェ・シヨル」を営業している。
★7──鴻池朋子、藏座江美クロストーク「絵の波打ち際から」(2022年7月16日、高松市美術館にて開催)



みる誕生 鴻池朋子展

会期:2022年7月16日(土)~9月4日(日)
会場:高松市美術館(香川県高松市紺屋町10-4)
公式サイト:http://www.city.takamatsu.kagawa.jp/museum/takamatsu/event/exhibitions/exhibition_2022/exhibitions_2022/ex_20220716.html

瀬戸内国際芸術祭2022

会期:2022年8月5日(金)〜9月4日(日)[夏会期]
公式サイト:https://setouchi-artfest.jp/

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