キュレーターズノート

「コレクション」を考える(5)──これからの歴史をつくる栃木市立美術館

志田康宏(栃木県立美術館)

2022年10月15日号

本連載では、元来そのような方針にしていたわけではないが、第1回記事を除きすべて栃木県内の事例に統一されている。「コレクションを考える」という連載テーマで取材先を考えていったところ、たまたまこのタイミングでさまざまな「コレクション的に面白いこと」が栃木県内で起こっていたため、結果的に県内の事例が続いたという状況である。そういう意味では、最高の事例をつないでいくことのできた最高のタイミングで本連載のお話をいただいたのだと思う。
前回は栃木県立美術館50年の歴史を館蔵コレクションから語る展覧会を取り上げたが、今回は対照的に、その歴史の第1歩をこれから踏み出す新しい美術館のコレクションに注目したい。

栃木市立美術館、2022年11月3日開館

栃木「県」立美術館ではなく、栃木「市」立美術館である。

栃木県栃木市は、京都から日光東照宮への奉幣使が毎年通る例幣使街道の宿場町として、また江戸へ通じる巴波川うずまがわの舟運の要所として栄えた。栃木県と宇都宮県が合併し現在の栃木県となり、明治17年に栃木県庁が宇都宮市に移されるまで、県庁が置かれていた地域の中心的な市である。現在でも黒塗りの重厚な見世蔵などの土蔵群が市内中心部に残り、往時の面影を感じられる川沿いの風景を生かした遊覧船などの観光資源が人気の「小江戸」を感じられる観光都市である。


Storehouse along Uzuma river,tochigi-city,japan.jpg巴波川沿いに続く蔵(塚田家)、栃木市(2008年11月15日撮影)
[Photo By katorisi CC BY-SA 3.0, Linkhttps://commons.wikimedia.org/wiki/File:Storehouse_along_Uzuma_river,tochigi-city,japan.jpg


栃木市の美術館としては、2003年に市内中心部の土蔵を展示空間に改装したとちぎ蔵の街美術館が開館し、2021年3月まで開館していた。今回、施設を拡充し、広い展示空間の確保などを目的に新たな市立美術館が開館することとなった。



栃木市立美術館外観[画像提供:栃木市立美術館]


2022年11月3日、かつて県庁が置かれていた場所の一角で「県庁堀」という堀に囲まれた文教地区に新築開館する栃木市立美術館は、とちぎ蔵の街美術館が所蔵していた約2600点の収蔵品を受け継ぐ形で開館する。そのため、コレクションは初披露ということではないが、栃木市立美術館としてはこの日に新たな第1歩を踏み出すことになる。

コレクションの内容

栃木市は、長らく地域の中心的な都市であったこともあり、多くの美術作家を輩出している。全国の名所を渡り歩き、ペインティングナイフを多用した切れのある油絵で風景画を描いた刑部人や、強いメッセージ性で労働運動を描いた版画家・鈴木賢二、また奄美大島に渡り孤高の画業を築いた田中一村も栃木市の出身である。また二代飯塚鳳齋、飯塚琅玕斎いいづかろうかんさいらに代表される竹工芸も盛んな地域である。

なかでも洋画家・清水登之は、紆余曲折のあった生涯や多くの変遷があった画風で知られる。1887年に栃木市に生まれ、若くして単身渡米、シアトルやニューヨークで働きながら美術を学んだ。ニューヨークではアート・スチューデンツ・リーグでジョン・スローンに師事、庶民生活を描く作品は高く評価されている。その後家族とともにパリに移り、キュビスムをはじめとする新しい絵画に触れながら、物語性豊かな作風を発展させた。帰国後は独立美術協会の創立に参加し、その中心メンバーとして活躍した。日本的な主題に取り組むとともに、中国や東南アジアをも旅し、各地の人々や風景を描いた。さらに戦時中は従軍画家として日本軍の作戦行動を記録する作品も制作している。

清水登之《大麻収穫》は、栃木市内の麻畑で収穫作業を行なう農民の姿を描いた作品で、第16回二科展出品作である。麻は栃木県が国内生産量のほぼすべてを占める生産地で、登之も海外渡航中も郷土の特産品である大麻のことを常に意識していた。幼時から慣れ親しんだ大麻栽培の年中行事を描こうと考えた1929年夏、朝早くに麻畑に向かい、麻切りから湯かけという行程までを一日かけて調べるなど、時間をかけて描いた作品である。



清水登之《大麻収穫》(1929年、油彩・キャンヴァス、栃木市立美術館蔵)[画像提供:栃木市立美術館]


栃木市は、江戸時代には喜多川歌麿が市内に逗留し、遊郭のにぎやかな様子を描いた肉筆画大作《深川の雪》《品川の月》《吉原の花》三部作を制作したなど歌麿ゆかりの地にもなっている。江戸と交流のあった栃木は、文化面でもその影響を受け、狂歌が盛んな地域であった。自らも筆綾丸ふでのあやまるの狂歌名を持つ歌麿は、豪商「釜喜」の4代目善野喜兵衛(狂歌名:通用亭徳成)と親しく、その叔父にあたる善野伊兵衛(初代釜伊)の依頼で、肉筆画三部作を描いたと伝えられている。明治12年に定願寺(現在の栃木市旭町地内)において近隣諸家の所有する書画の展観があり、三部作も出品された。

近年、栃木市内の民家およびゆかりの旧家から歌麿の肉筆画《女達磨図》《鍾馗図》《三福神の相撲図》が発見され、栃木市の所蔵となった。

《女達磨図》は栃木に滞在した歌麿が求めに応じて描いたものと推測されている。あっさりと描かれた作品ではあるが、線1本にもその高い技量が見て取れる名品である。



喜多川歌麿《女達磨図》(1790-1993年、紙本墨画淡彩、栃木市立美術館蔵)[画像提供:栃木市立美術館]

「栃木市」をつなぐ役割を

栃木市は、平成の大合併で旧栃木市と大平町、藤岡町、都賀町、西方町、岩舟町が新制栃木市を形成することとなった。市立美術館の杉村浩哉館長は、市立美術館は新旧織り交ぜた「栃木市」全体を結び付けていく役割を担っていきたいと語る。隣接の栃木市立文学館も合わせて、文化面・歴史面から栃木市を形成していく中心的な役割を担っていくことが栃木市立美術館のミッションのひとつであるという。そして我々は、その第1歩目の歩みから見守ることのできる貴重なタイミングに立ち会っている。まずは開館展を楽しみに迎え、これからの歩みを進めていく新生美術館の開幕を心待ちにしよう。

栃木市立美術館

開館日:2022年11月3日(木・祝)
(栃木県栃木市入舟町7-26)
ウェブサイト:https://www.city.tochigi.lg.jp/site/museum-tcam/