キュレーターズノート

新しい価値を生むインフラ?──「制作室」と共創をめぐる取り組み

谷竜一​(京都芸術センター)

2023年01月15日号

京都芸術センターは、展覧会や公演といった作品発表の場であると同じかそれ以上に、新たな作品制作の場としての機能が重要だと考えられている。その中核事業のひとつが「制作室」の提供である。本題に入る前に、京都芸術センターの「制作室」の運営状況について、簡単に紹介しておきたい。

「制作室」というインフラ

「制作室」をアーティストに提供する「制作支援事業」は、年度2回の公募を行なっている。1申請につき最長3カ月までの申請が可能で、主な対象を「新しい芸術表現を試み、活動を継続的に展開している芸術家」とし、加えて「制作した作品を発表する展覧会や公演などの計画があること」「市民との交流に対する意欲があること」を使用資格としている。利用者には制作した成果の発表と、市民にむけて制作のプロセスや、着眼点を公開する機会の提供(市民向けの「明倫ワークショップ」の実施など)を義務付けている。

上記の義務は課せられているが、利用にかかる費用は無償である。実際の利用スケジュールは、審査を通じた段階付けの評価に基づき、制作室のスケジュールが割り当てられる。割当以降の実際の利用にあたっては、月1回の制作室連絡会などの機会を通じ、利用者同士で活動情報の共有が行なわれ、適宜利用日程の変更や、利用者同士の相談が行なわれている。


現在の制度に至るまでには何度かの改変があるが、京都で創作し別の場所で発表する、あるいは他地方から滞在するアーティストが京都で創作し発表する場として、「制作室」を賃借料なしで提供するという原則は、この20年変わっていない。

この制度が一種のインフラとして、若手から中堅アーティストの活動、あるいは新機軸のプロジェクト立ち上げの際に利用されている。そして、この制作室というインフラの存在が、京都から新たな作品を発表するプラットフォームのひとつになっている。



制作室でのレジデントアーティストの成果展(アーティスト・イン・レジデンスプログラム2019:エクスチェンジ/ソウルダンスセンター ユ・ジヨン『LOST PERFORMANCE/ロスト・パフォーマンス』、2019)


また「制作室」は公募だけでなく、アーティスト・イン・レジデンス事業や、主催もしくは共同主催のクリエイションにも使用される。こうした異なるタームの出自によるアーティストたちが、となりあった状況で制作をしている。

そのため、たとえばレジデンス事業のために訪れたアーティストが現地の協力者を探す際に、制作室利用者として顔なじみのアーティストや関係者が声掛けられるなどのコラボレーションも、しばしば発生している。


京都芸術センターは2000年に開館しているが、その基本的な仕様は1993年の明倫小学校の閉校後、「芸術祭典・京」における会場としての利用、「アートアクション京都」の実施といった、創作・発表の場として地域に受け入れられるかの試行実績と、検討委員会や跡地活用審議会といった熟議をふまえたものである。

制作支援事業に代表される、制作の場であることの重視は、「若手アーティストの制作の場所が不足している」という、当時のNPO法人京都舞台芸術協会の会員をはじめとした当時の現場の声を反映したことを、発端のひとつとしている。

それゆえ、「制作室」の運営も、伝統的に利用アーティストの自治を重んじ、また施設としても尊重する傾向にある。金銭で貸借し、そのために充実した環境を提供するようないわゆる「貸しスタジオ」とは少し異なった気風が漂っているといえるだろう。


現行の制度自体に課題がないわけではない。

まず、芸術の制作サイクルと、半年に一度、最長3カ月というサイクルがそぐわないのではという懸念がある。また、近年の演劇やダンスのプロダクションはコンパクトな制作体制のものも多数みられ、こうした規模の取り組みには必ずしも利用しやすいとはいえない。こうした現状や施設特性もあいまって、相対的に演劇の申請件数が多く、美術や音楽は少数にとどまっている。制作室の施設特性や、周辺環境にも依存する問題だが、少しずつ社会の状況に対応して制度を変化させていく必要があるだろう。



制作室でのワークショップの様子(「STUDIO OPEN DAY vol.1」、セレノグラフィカ)

「アート」と「ビジネス」の共創?

さて、この令和4年、京都市の新規事業として「アート×ビジネス共創拠点事業」が立ち上がった。

「伝統文化から現代アートまで多様な文化芸術の蓄積や創造力を活かして、文化と経済の融合を図る取組として、京都芸術センターの施設の一部を、スタートアップやソーシャルビジネスなどの企業・起業家向けのオフィスとして貸し出」すものであり、「若手アーティスト等芸術関係者と企業等との交流やマッチングの機会を積極的につくり、互いの創造的活動における相乗効果やさまざまな連携の創出を目指」すものである。

京都市は、この事業の取り組みとして、京都芸術センター内の既存の制作室2室を含む4室8区画を、企業に有償で貸与することになった。


国内外の財務状況が不安定ななか、京都市のみならず各自治体にとって、文化資本を維持する環境づくりのための不断の努力が必要であることは論をまたない。そんななか、先述のような制作室の無償提供の環境を維持するために、その存在意義を打ち出していく必要に迫られている。

こうした状況をうけて、「アート」には経済に対する何かしらの波及効果がある、ということを明らかにするひとつの取り組みとして、このような事業が立ち上がったといえるだろう。

さて、ここで「アート」と「ビジネス」と二項に分けられているものは、どのような区分に基づくものだろうか?

いうまでもなくデザインやエンターテイメント、ファッション等の業界における「作品」は企業による経済活動と、すでに分かちがたく結びついているので、ここでの「アート」とは、意味合いの異なるものだろうと推察できる。

ここで期待されている「アート」には、「『ビジネス』ではないなにか」が期待され、かつ同時に、「マッチング」から生まれる「ビジネスとの『相乗効果』や『連携』」によってなにかが「創出」される、未然の可能性がある、と読むことができる。

私としては、ここで「創出」されるものの最終的な評価が、単純な収益性に基づくもののみにとどまらないことを期待したいところである。


もうひとつ、ここで語られる「共創」とはいったいどういうことなのか。

今回その用例の原義に迫ることはできなかったが、少なくとも「共創(あるいは協創、co-creation)」という用語は1990年代には口にされはじめ、2000年代以降にひとつのコンセプトとして広がったように見受けられる。

近年では経済産業省「価値協創ガイダンス 2.0」(2017)、文部科学省の「オープンイノベーション共創会議」(2017)、「共創の場形成支援プログラム」(2022)などにおいて、「イノベーション創造」「産学連携」といった用語と紐付けて用いられている。

こうした資料ではいずれも、対話や共通言語の醸成に重要性が語られ、「価値」へとつながるプロセスやストーリーの多様性、また持続可能性(つまりは長期的な視座の重要性)が強調されている。


しかし、こうした話題は短縮して説明しようとすればするほど、資本主義のうえですでに流通した「価値化」に容易にスライドするだろう。曰く「ビジネスの場でもアートは注目されている」「イノベーションが新たな価値を生む」等。

これらはいずれも間違いではないのだろうが、イノベーティブであることや、アーティスティックであることそのものが資本を導くのではない。不断の取り組みのなかで、異なる着眼点や発見の積み重ねと、その対話言語と技術の流通が、新たな評価軸を醸成する。そして、その新たな評価軸に則ったあらたな貨幣が登場し、流通するのではなかったか(たとえば私たちは、昨今の暗号通貨[仮装通貨]の興隆に、こうした価値創造の流れを肌身に感じることができる環境にある)。



「KYOTO STEAM 2022国際アートコンペティション」展の様子[撮影:麥生田兵吾]

KYOTO STEAM

さて、この「アート×ビジネス共創拠点事業」の取り組みについて、京都市においては「KYOTO STEAM」の取り組みが、参照された先行事例として考えられる。これはテクノロジーとアートの新たな関わりについて模索された5カ年のプロジェクトであり、その全容はすでに公開されている報告書にみることができる。


とりわけ「KYOTO STEAM 2022 国際アートコンペティション」の取り組みが、「企業(ビジネス)」と「アーティスト(アート)」のコラボレーションの下絵となっているのではないだろうか。

この企画は、呼びかけに応じた企業と、これらの企業からの提供素材に呼応したアーティストによるタッグによるコンペティションであり、その最終的な成果は、企業によるプレゼンテーションとも、アートコンペティションとも少し異なる雰囲気を漂わせていた。 このコラボレーションについては、公開された記録に目を通すだけでも、アーティストと企業双方にとってかなりの時間と手間を要する作業であったことだろう。また、このコンペティションにかかるマッチング、あるいは共同作業におけるコーディネートの複雑さに思いを馳せることもできる。


ところで、この企画のユニークネスを生んだ部分に「コンペティション」という形式を取った面が指摘できるだろう。形式的には賞レースであり、目的的な指向性の形式である。しかし、参加各位やそれを評価する側にとっては、「コラボレーション」「イノベーション」そのものを評価付けするという、ある意味芸術作品を評価する以上に評価の序列付けが困難なものだったのではないだろうか。これは結果として「どうやって勝つのかわからない勝負」への模索となり、この「コンペティションなのに勝ち方がわからない」という目的的指向性の脱臼が、参加する各チームの関わりの多方面な──比べることもはばかられるほどバラバラな成果を生んだ一因になっているのではないか。

そして、そのバラバラさに関してのみ言うならば、私はこれを肯定的に捉えている。評価軸のないプロジェクトに対して、参加各チームが、対話の結果として異なる答えを提案した成果だからだ。



「KYOTO STEAM 2022国際アートコンペティション」展の様子[撮影:麥生田兵吾]

場をとなりあうことについて

先の「アート×ビジネス共創拠点事業」には、幸いにしていくつかの企業が手を挙げ、順次入居の次第が進んでいく予定である。

一覧すると特に若手の企業が多く、アーティストはもちろん、地域住民を含めた京都芸術センターの既存の来館者とどのような関わりがもてるものか、一職員としては正直なところ、楽しみなような不安なような気持ちでいる。


入居される企業にとって、京都芸術センターという「村」はまったく新たな環境であり、思いもかけないこともあるだろうとは想像する。このとき、とりわけ調和的なモデルのみを喧伝することの不十分さを、私たちはすでによく理解している。それこそ、2000年代以降の「リレーショナルアート」においてアーティストがコミュニティに入っていった経験が、水平展開できるだろう。

クレア・ビショップは「敵対と関係性の美学」において、エルネスト・ラクラウとシャンタル・ムフを引きながら、ティラバーニャ作品などを評するブリオーの『関係性の美学』(1998)における、調和的な共同体モデルを批判している。


最初に挙げる彼らの考え方は、「敵対」〔antigonism〕という概念である。ラクラウとムフによれば、十全に機能している民主的な社会とは、あらゆる敵対が消えてなくなった社会のことではなく、新たな政治的未開拓地(フロンティア)が絶え間なく描き出され、議論の俎上に載せられるような社会のことである。これを言いかえれば、民主的な社会とは、対立関係が消去されるのではなく維持されるような社会のことである。敵対が存在しなければ、残るのは権威的秩序によって押し付けられた合意〔consensus〕ばかりになってしまう──それは討論および議論の全面的な封殺であり、民主主義とは相容れない。(『表象』05、「敵対と関係性の美学」、クレア・ビショップ、星野太訳、月曜社、2011)


そして、このあとに続く論に則るならば、これから実現される成果はミクロトピア的な理想ではないはずだ。そのとき「共創」における興味は、「アート」にも「ビジネス」にも居場所はないかもしれない。


ヒルシュホルンやシエラの作品はそれに比べればまともな芸術であるが、そのように言えるのは、たんに両者の作品がよりまともな政治性をまとっているからではない(中略)彼らの作品は、芸術として可能な物事の限界を熟知している(「私は人に元気を与える人間でもなければ、教師でも、社会活動家でもない」とヒルシュホルンは述べている)。そして、芸術と社会の流動的な関係をめぐる安易な主張に、つねに目を光らせている。彼らの実践を裏打ちしている主体性のモデルは、調和的な共同体における虚構的な全体ではなく、絶えざる流れに開かれた、部分的にしか同一化を行なうことができない分断された主体である。(同上)


情報の流通はスピードを増し、より速く価値判断の決定を求められ、これに対応を迫られるなかで、私たちは日々の業務や生活を進めざるをえない。入居企業の方にもそれぞれ都合があり、入れ替わりはあるだろう。京都芸術センターを利用するアーティストも定期滞在的であり、実態としては部分的な関係にとどまる。しかしできるなら、ゆっくりと時間をかけて、新しい対話が新しい環境になり、新しい価値が当然のように社会に息づいていくまで、この事業が眼差され、展開していくことを願っている。

制作室のインフラとしての「価値化」も、10年の構想と20年を要した。「アート」と「ビジネス」が溶け合って、思わぬ価値を社会に位置付けるまで、気持ちだけでも、それくらいゆったりと構えてもよいのではないか。そのとき私たちは、どのようにその身を動かし、なにを流通させて日々を過ごしているのだろうか。この村で、なにを資本に、誰と新しい会話を交わしているだろうか。

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