キュレーターズノート
坂口恭平「熊本0円ハウス」/岡田裕子「翳りゆく部屋」
坂本顕子(熊本市現代美術館)
2010年01月15日号
対象美術館
国と都がホームレス対策として開設した公設派遣村が閉村し、行き場を失った人々は用意されたカプセルホテルに移動したというニュースを見ながらこの原稿を書いている。1年前のデジャヴュのような光景が、新年になっても変わらず続いている。早いもので、すでに昨年末のことになるが、路上生活者や、人が生きる場所としての「家」のありようについて問うた、二つの展覧会について書いてみたいと思う。
手前味噌ではあるが、そのひとつが、当館で開催した「坂口恭平『熊本0円ハウス』」展だ。1978年に熊本市に生まれた坂口は、ソーラーパネルの付いたブルーシートハウスなど、路上生活者の驚くべき住まいの実態をとらえた写真集『0円ハウス』(リトルモア、2004)や、隅田川沿いで「都市の幸」を得ながら暮らす人々をモデルにした小説『隅田川のエジソン』(青山出版社、2008)などで知られる「建築探険家」である。近年は、海外のアートフェアなどでの活躍もめざましい。
当館での個展のテーマは、「熊本で集めた0円の材料で、1週間で美術館内に0円ハウスを建設してみる」という、ワークショップ形式の展覧会であった。スタート時に、坂口からは「窓枠で家をつくりたい」という希望がよせられてはいたが、まったくのノープラン状態。幸いなことに、坂口が学生時代に師事していた、商店建築界では知る人ぞ知る、サンワ工務店★1の保有する豊富な廃材を使わせていただくことが決まり、そこで借り受けた約60枚の窓枠を使って、実質ほぼ3日で組み上げられたのが、この《坂口自邸》である。
現在ではなかなか見ることのできない頑強なつくりの運搬用自転車に引っ張られるのは、3階建て、吹き抜け付きの、広さ1畳ほどの「家」。それぞれの窓枠は、熊本の古い民家や、当館の隣に位置する、カトリック手取教会★2で使われていたものだ。家の土台には台車が用いられているため、桜が咲けば公園で花見、夜になればどこかに駐車して眠ることもできる(2Fには狭いながら布団がある)。コインパーキング一台分の場所さえ確保できれば、銀座の一等地に住まうことだって可能かもしれない。材料費0円、3日間で建てた「家」から、その夢は広がっていく。
展覧会開催中、印象的だったのは、さまざまな観客がやってきては思い思いに感想を述べていく点であった。「こんなの絶対完成しない!」という男性から、「戦争が終わって、父親が嬉々としながら廃材を集めてきて、皆でバラックをたてたことを思い出した。貧乏だけど家族が肩をよせあって楽しく暮らした日々が懐かしく、胸がいっぱいになった」という年配の婦人まで、まるでそこが、0円ハウスを中心としたひとつの公園のように、人々が集い、たたずみ、語り、時間を過ごしていく。たとえ所持金0円で、住むかたちとしての「家」はなくとも、家族や仲間や、人との結びつきのなかから、人間は希望を見出し、その生を歩んでいけるのではないか。その小さな公園の中心に建つ、人間の自由と希望を象徴する、ハリボテのモニュメントが、この0円ハウスであったようにも感じられた。