キュレーターズノート

絵画について考える──椿昇、李禹煥、佐川晃司の作品から

中井康之(国立国際美術館)

2023年03月15日号

絵画と人類の関わりは、語り尽くすことができないほどに永い年月の積み重ねである。そしておそらくこれからも人類の歴史が継続する限り、絵画の歴史も終わることはないだろう。もちろん、絵画の存続に関しては、何を絵画とするのかといった人々の認識にも拘る問題であり、意見を違えるところではあるのだが。私は、昨年末から絵画について、いくつかの文書を綴りながら考える機会をもった。その過程で、このようなとてもナイーヴな文句が私の脳裏を過ったのである。

椿昇──立体造形のような姿形をした絵画



椿昇《Luna cognita 3E_15》(2023)[撮影:顧剣亨]


年末から考えてきた絵画譚。まずひとつには、椿昇という作家の、未だ見たことのない絵画を、コンセプト(のようなもの)を材料としながら解説を書く、という個展の案内状に記載する文章のためのひとつの典型的な依頼パターンに対応するものだった。椿の展示プランは、最初期に描いた未発表の「もの派的絵画」と新作を発表する、といったものである。椿の作品はこれまでいくつか体験してきた。それらは、絵画や彫刻といった旧来からある概念規定に収まらない(ことを意図した)作品が大半であった。近年では2年程前に東京藝大の陳列館等で開催された「PUBLIC DEVICE──彫刻の象徴性と恒久性」展で、同大学の天井高7~8mはあるであろう巨大な石膏室の中央に、同室の2割程の空間を占める巨大なバルーン彫刻《Mammalian》を展示していたことを記憶している。「バルーン彫刻」という言い方は、村田真氏のartscapeレビューの記事に倣ったものだが、従来のジャンル規定的には、ソフト・スカルプチュアに属する作品だろう。但し、形骸化したアカデミズムを象徴する巨大な石膏像等を圧倒的なボリュームで支配するかのような存在感を漂わせる「哺乳類」と名付けられたその作品は、従来的な表現を徹底的に否定する潔さを感じさせた。このような椿の既成概念破りは、初期作品から徹底していた。

1989年にアメリカを巡回した「アゲインスト・ネイチャー 80年代の日本美術」展に出品した《Fresh Gasoline》(1989)は、先述した近作同様、巨大な造形物で見るものを圧倒するインスタレーション作品である。改めて同作品を観察すると、その外形は未知の巨大な生物の脳を想像させる形態である。多くのアーティストは独自な世界像を描くことを望んでいるだろう。椿のこの作品は、唯心論(観念論)的な観点から世界像をイメージする頭脳器官を再現するというシニカルな観点による作品であると判断する。さらに私は、この作品を構成する素材の質感をまったく無視して黄色く着彩している点、さらに、あくまでも輪郭的な形象によって臓器を想像させるような点から、立体造形のような姿形をした絵画であるという解釈を施して文章化した。

展覧会場で、果たして椿は《Fresh Gasoline》の表皮を切り取ったような、黄色く着彩された月面のクレーターをイミテートした画面の作品を並べていた。このような符号に最初は少々驚いたものの、その額に納まった姿に少々椿らしさに欠けている危惧感を抱いたのだが、椿の眼目はまったく別のところにあり、それらの作品を(立体的な構造をもった作品を)NFTで扱うことを前提に考えるという、まったく違う次元の方向性を隠しもつ作品であった。

李禹煥──呼吸と行為による時間の経過



李禹煥《線より》(1977)、東京国立近代美術館蔵


もうひとつ昨年末から思いを巡らせていたのは、兵庫県立美術館で開催された「李禹煥」展のレヴュー依頼による絵画譚である。前述した椿昇は、常に逸脱することを信条として制作を続けてきた作家だろう。李禹煥は、その先達というわけではないが、西洋起源の美術界の在り方に疑義を呈し、「事物が、あるいは表示物がそれ自身において鮮やかに世界をあらわにする構造性を発現する」★1ことを目指し、それまで続けられてきた美術表現とは大きく隔たり、現代美術界の風景を一変させたグループの中心人物のひとりである。一般的な理解として、彼らは未加工の「もの」を単に並べているに過ぎないといった揶揄的な意味で「もの派」と当初から呼ばれていたが、次第に同グループのメンバー自身もその呼称を用いるようになった。

今日、「もの派」は、戦後日本を代表する美術運動のひとつとして確固たる地位を築いている。彼らの作品もまた、従来の概念規定に沿って分類するのが難しいだろう。未加工の木材や鉄板、紙等が無雑作に展示施設に置かれた状況は、ダダイズムの語法であるレディメイドの概念にもそぐわない。逆の立場から見れば、そのような既成の美術表現とは異なる在り方に「もの派」の存在意義がある。

日本に於いての彼らのデビューがひと通り済んだと思われる頃、1971年9月、李は韓国代表として第7回パリ青年ビエンナーレに参加する★2。しばらくヨーロッパに滞在した後にニューヨーク経由で日本に戻るのだが、その途上でバーネット・ニューマンの個展を観ることによって、絵画の可能性を見出すのである。今回の「李禹煥」展カタログに、李自身が著した挨拶文にも以下のように明記されている。

「ニューマンの空間提示に対し、私は幼児期に学んだ記憶を思い出し時間を示す方向を選んだ。はじめは濃い色がだんだん薄れてゆく過程を表した〈点より〉や〈線より〉シリーズがそれだ。呼吸と行為による時間の経過を示すシステマティックな仕事は10年程持続し展開した」★3

李は、「鮮やかに世界をあらわにする構造性」は、「もの」と「もの」との間にだけ生じるのではなく、カンヴァスと筆によってもあらわれることを、バーネット・ニューマンの大作が並ぶニューヨーク近代美術館の空間で体感したのである。書き振りは異なるが、兵庫県立美術館に寄稿したのはここまでであった。李禹煥に関して私は、彼の主著『出会いを求めて──現代美術の始源』(1971年、田畑書店より『出会いを求めて──新しい芸術のはじまりに』として初版刊行)に、彼が最初に著した、美術出版社による芸術評論募集に入選した「事物から存在へ」を掲載しなかった理由についても記しておきたかったので、李の絵画については、その端緒に触れたところで終わった。

李の初期絵画〈点より〉〈線より〉は、時間の経過を示すと、自身が語っている。将来、その件に関して改めて考える必要があるだろう。李の学んできた東洋に永く伝わる芸術の在り方についてである。李は幼少期、文人画家から運筆を学んでいた。その教えから外れることなく高等教育まで進み、ソウル大学へ進んだときに、突然、西洋美術の体系(一言で言えば、それは、芸術作品の創造を、自然・世界の本質の模倣[ミメーシス]であるとする、古代ギリシャ以来の芸術理論を根本とするものであったろう)に驚き、入学した夏に日本へ渡航する機会を得て、李は自らを立する場所をその隣国に賭けることになる。

佐川晃司──わからなさがつくるオリジナリティ



佐川晃司《公園の入口》(2022)[撮影:木田光重]


絵画を考えるということを、批評的な見地から取り上げるとすれば、ここであらわしてきたように、いま、話題となっている最新のスタイルを備えているか、あるいはまた、その作家の出自、もしくは文化的コードに基づいたオリジナリティの存在等が重要な論点になってくる。

しかしながら、そのようなことを考えるに至ったのは、本エッセイで取り上げてきた2人の作家の作品について探っている時期に開催された佐川晃司の個展にて、とてもストレートな(これは私自身が培われてきた芸術的環境を基準にしているが)油彩表現を見たことに基づいている。安易にストレートな、という表現を用いたが、およそこの4半世紀の間に巻き起こった情報技術革命によって、人々の視覚的経験は激変していることは間違いない。



佐川晃司《半面性の樹塊No.123》(2022)[撮影:木田光重]



佐川晃司《半面性の樹塊No.121あるいは道と土地》(2022)[撮影:木田光重]



佐川晃司《半面性の樹塊No.122あるいは公園の入口》(2022)[撮影:木田光重]


すでに時間が経った文献であるが、アーサー・C・ダントは1997年に刊行した『芸術の終焉のあと:現代芸術と歴史の境界』(三元社、2017)の「諸言」で、(現代の)画家たちが、まったく異なるメディア──彫刻、ビデオ、映画、インスタレーション等々──に属している仕掛けを用いて、彼らの絵画を設えることをもはや躊躇しないという実践である」(それは)「メディアの純粋性をその決定的な指針としたモダニズムの美的正統性から、現代の画家たちがどれほどかけ離れているかを証明している」と書いている★4[( )内は引用者が補記]。だが、ここで誰もが気付くように、ダントのこの意見に同意するということは、1950年代アメリカに於けるC・グリンバーグを中心としたフォーマリズム批評を基準として、美術作品の価値判断を行なっているということになる。

佐川晃司の個展で、作家が寄せた言葉でも、フォーマリズムとの関わりのなかで「半面性の樹塊」というタイトルが付いたことが述べられていた。そのタイトルに対する作家自身の気持ちが、自らが(自然と)共生している、伝統的日本の里山の風景を題材としているという点も含めて、折り合いがつかなくなってきたことも綴られていた。前述した現代の画家とそのスタイルとは別のベクトルであるが、フォーマリズムの教義との乖離を感じるところがある。ただ、その僅かな距離感をつくっているのは、佐川が生活する場所、あるいは世界から感じ取る「わからなさ」(佐川の言葉)であり、そのわからなさが、佐川のオリジナリティをつくりだす。観るものは、その言語化できない 間(あわい)をたのしむことになるだろう。


佐川晃司《雑木林のスケッチ》(2022)[撮影:木田光重]


★1──李禹煥「出会いを求めて」(『美術手帖』1970年2月号、p.17)
★2──日本からは小清水漸、吉田克朗、榎倉康二といった作家が参加した。
★3──李禹煥「開かれる無限」『李禹煥』カタログ(平凡社、2022年、p.18)
★4──アーサー・C・ダント『芸術の終焉のあと:現代芸術と歴史の境界』(山田忠彰監訳、三元社、2017年、p.10)

PUBLIC DEVICE ─彫刻の象徴性と恒久性

会期:2020年12月11日(金)~12月25日(金)
会場:東京藝術大学大学美術館(東京都台東区上野公園12-8)

開館20周年記念 李禹煥

会期:2022年12月13日(火)~2023年2月12日(日)
会場:兵庫県立美術館(神戸市中央区脇浜海岸通1-1-1[HAT神戸内])

佐川晃司 絵画意識 ─静かな場所6─

会期:2023年1月17日(火)~2月4日(土)
会場:galerie 16(京都市東山区三条通白川橋上ル石泉院町394 戸川ビル3F)

LUNA COGNITA-Noboru Tsubaki's Paintings-1978, 1986, 2022-2023

会期:2023年2月26日(日)〜4月2日(日)
会場:MtK Contemporary Art(京都市左京区岡崎南御所町20-1)

関連レビュー

開館15周年記念 李禹煥
|村田真:artscapeレビュー(2022年10月01日号)
PUBLIC DEVICE──彫刻の象徴性と恒久性|村田真:artscapeレビュー(2021年02月01日号)

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