キュレーターズノート

小島一郎:北を撮る──高橋しげみインタビュー

日沼禎子(国際芸術センター青森)

2009年04月01日号

──展覧会を終えた、いまのお気持ちをお聞かせ下さい。

高橋しげみ──いち段落ついたという気持ちと、これからという気持ちの両方ですね。小島一郎の持つ可能性をまずは提示できたと思いますが、今後そのことをどのように扱っていくかということのほうがむしろ大切なことです。この度の展覧会によって初めて興味を持ってくれた人たち、目を向けてくれた人たちもいますし、むしろ他に繋がれ、さまざまな人の手による新たな文脈がつくられていくことが重要です。

──高橋さんご自身の小島一郎との出会いは?

高橋──なによりも、小島一郎の写真が持つ力に惹かれました。私は青森の生まれですから、写真に写された風景はもちろん良く知っている場所のはずなのに、ここはどこ?と思わせる力があった。その強さ、魅力について考えてみたかったことがきっかけです。

──小島一郎をとりあげた意図、その魅力とはどのようなものでしょうか?

高橋──まずは、県立美術館として、郷土のさまざまな歴史、文化を紹介することはもっとも重要な役割です。そのうえで、写真表現を通して、人々に郷土について知らしめること。なかでも小島一郎は非常に重要な作家の一人です。
 調べていくほどに、多くの発見がありました。小島を知る方にお話を伺いましたが、写真の力はもちろんのこと、人間的な魅力が強く伝わってきました。聞くところによると、東京時代、師である名取洋之助からの紹介でようやく見つけた職場で、同僚が名取の陰口を言っていたのを耳にしたことが我慢ならず、辞めてしまったというエピソードがあったそうです。愚直といえるほど、真っ直ぐな人であったのでしょう。そのことが写真にも凝縮して現われていると思います。デジタルカメラが普及していることもあってか、現代の写真では光が均一で、画面をすーっと通り抜けていくような感覚があり、また、できるだけ意図を消し去るものが多くあります。しかし小島はそれとは正反対で、通り抜けるのではなく、むしろ突き当たる。そして、意図に満ちている。しかもその凝縮された意図の出具合がいやらしくないというのでしょうか。ピュアであり、正直さが定着して現われている気がします。おそらく「表現したい」という意欲がとても強かったのでしょう。そしてまたその背景には、その時代が写真を芸術として意識し始めた頃であったことも大きく影響していたのではないでしょうか。

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