キュレーターズノート

第53回ヴェネツィア・ビエンナーレ Re: Membering - Next of Japan

住友文彦(ヨコハマ国際映像祭2009ディレクター)

2009年07月01日号

 今回ははじめてヴェネツィア・ビエンナーレをオープニングの時期に見に行った。その必要があったのはヨコハマ国際映像祭に参加してもらう予定の作家数名が新作を出しているのでそれを見ることと、援助をしてくれる関係者に会うことが目的で、もしそういう理由でもなければ、例えばヴェネツィア映画祭やイスタンブール・ビエンナーレなどと時期を合わせて行くことのほうがいいと思っていたのだが、やはり国外のさまざまな関係者と会える社交場としての役割は他に代えがたいものかもしれない。その役割と非日常性を帯びた街の魅力についてはすでに多くの人が十分に語っているので繰り返すまでもないが、国別パヴィリオンのあり方や、ダニエル・バーンバウムが企画した「Making World」について、あるいは日本館のやなぎみわの展示、ブルース・ナウマンやヴォルフガング・ティルマンス、パスカル・マルタン=トゥイユなど著名なアーティストがどういう作品を展示したかについても触れずに、それ以外に気になったこととして記しておきたいことがいくつかあった。

 まずは、ビエンナーレそのものに対して自己参照的な態度を示す作品がいくつかあったことである。初日から整理券が半日でなくなってしまったイギリス館のスティーヴ・マックイーンの作品はその名も展示会場の名前と同じ《Giardini》であり、展示が行なわれていない閑散とした時期の「公園」を徘徊する犬たちや、陽が変化し時間の経過を映し出す風景を淡々と美しい映像とシャープな音で再現する。まさにその鑑賞の瞬間身をおいている場所のまったく別の表情を眼にするわけである。時折、サッカー場から独特の低い歓声が聴こえてくるのも、しばらくしてから、そう言えばジャルディーニの裏にはサッカー場があったことをふと思い出させる。あるいは、ドミニク・ゴンザレス=フォルステルが自分の経験をもとに実施しようとしてうまくいかなかったヴェネツィアでの展示について語る作品もあった。それに加えて、オランダ館のフィオナ・タンが展示していた作品には、現代の博物学的な物の収集とエキゾチシズムがマルコ・ポーロの物語とともに映し出されていた。これも、またこの土地に由来する西欧中心主義的な展示収集の権力と他者への眼差しがテーマの作品である。また、アルセナーレの展示を奥のほうまで進んでいくと、アーティストではなくキュレーターの側から、イラン出身のキュレーター、ティルダッド・ゾルガダが現在経済成長が著しい中東で起きている文化事業への投資を例に挙げて、万国博覧会などと同じ政治的な力が働くことでそれが推進されていることを示すメタ展覧会のような企画を、アルセナーレ会場内に出現したアラブ首長国連邦パヴィリオンで実施していた。


アラブ首長国連邦パビリオン"It's Not You, It's Me"における俳優二人による偽の記者会見

 もちろん、ヴェネツィア・ビエンナーレは国際展の象徴でもあり、それへの批判は相当に繰り返されてきているし、街を歩き廻る際に眼にするゲリラ的な展示やパフォーマンスにもそれは溢れている。かつての制度批判は、不平等な富の分配やハイアートの境界を画定させる社会にはりめぐされた不可視の境界をめぐって、それを打ち破ろうとする前衛的な身振りであった。しかし、そうした政治性を訴えるにはある種の明解さが要求され、複雑な関係性が単純化される危険もある。そのために、いつのまにか批判の対象に取り込まれてしまうこともしばしばあった。先に挙げた作品や展示には、アートが政治や経済に絡めとられていくことのなかで、単純には固定的な位置づけをすることができない個人が感じ取った違和感のようなものが作品というかたちをもって現われている。それは前衛の身振りとは明らかに違う。ここに挙げたそれぞれの作品のあいだに直接的な関係性はもちろんないが、そのとき身を置いている鑑賞のための制度とは別の方法で表現との接点をつくることを必要としている声がそこかしこでたちあがっているように感じられたのが印象深い。
 直接、ビエンナーレそのものに言及してはいないが、ベルギー館のJef Geysは既存の慣習やシステムを、そのまま受け入れるのではなく独自の実践的な方法でコンセプチュアルに示す作品で1960年代から活躍しているアーティストである。今回は都市の中で採取できる植物がどのようにして生育しているかを各地で記録したものを、分類的に展示していた。自然光が溢れるギャラリーの中でいろいろな種類の植物を眺められる一見エコロジー的で穏やかなものだが、その根底を動かしているものは徹底的なアナーキズムであり、経済システムに依存しない自律的な生への強い意思とも言うべきものだ。これは継続的な仕事して実施されてきたものだし、ビエンナーレのために考えられたものではないが、こういった国家制度の枠組みを与えられた場で見ることで、アーティストの意図がより一層伝わってきたのではないだろうか。

第53回ヴェネツィア・ビエンナーレ

会場:ジャルディーニ地区、アルセナーレ地区ほか
会期:2009年6月7日(日)〜11月22日(日)