キュレーターズノート
アトミック・サンシャインの中へin沖縄 イトー・ターリ「ひとつの応答」/花・風景
坂本顕子(熊本市現代美術館)
2009年07月15日号
5月、梅雨入り前の沖縄に行った。この連載において、九州のアートシーンを紹介するという目標を定めて以来、一度は取り上げておきたかったからだ。思い立ったその足で、職場の前の格安チケット店に駆け込み、熊本から飛行機で片道1時間半、正味滞在24時間の沖縄ツアーに旅立った。
目的は、沖縄県立博物館・美術館で開催された「アトミック・サンシャインの中へin沖縄──日本国平和憲法第九条下における戦後美術」である。インディペンデント・キュレーターの渡辺真也の企画で、ニューヨーク、東京で開催された展覧会に、新たに沖縄の作家を加えるかたちで再構成されたものだ。この展覧会を語るうえで、大浦信行の《遠近を抱えて》の不掲出問題は、避けては通れないだろう★1。しかし、問題は、作品そのものの表現の自由を担保するかどうかという点だけではなく、企画者のマネージメントの在り方、本連載でも過去に取り上げてきたが、公立美術館の館長人事や指定管理者制度まで含めて議論される必要がある。各種新聞報道などを見返すと、大浦問題ばかりが集中的に取りあげられ、個別の作品に関する批評が手薄になるのはもったいなく感じられる、密度のある展覧会だった。
さて展示である。冒頭から、照屋勇賢の巨大な赤いゲート型の作品《私のひいお婆ちゃん、名前はウサ》に迎えられる。ウサ=USAであり、好むと好まざるに関わらず、「私」がアメリカの隔世した「子」として生まれてきたことが、さりげなく暗示される。ゲートは、アメリカのAであり、Aサイン(approved-sign、米軍の営業許可店舗)であり、米軍施設に見られる鳥居を連想させる。無意識に頭を垂れながらくぐると、その中には、沖縄を代表する巨大輸入衣料・雑貨店アメリカン・デポから持ち込まれた古着や雑貨がひしめく魅力的な空間が設えられている。私たちがそこでごく自然に感じてしまう軽い興奮やときめきは、「親」であるアメリカへの愛にほかならない。そして作品は、沖縄の若者たちがアメリカ黒人文化の象徴であるヒップホップのブレークダンスに興じる映像作品《生まれたものは育てなくてはならない》に続く。古くは琉球王朝、そして日本とアメリカの混血の子としての沖縄の、それぞれの「親」に対する複雑な愛情が見え隠れする。
それ以外にも森村泰昌の《なにものかへのレクイエム》(森村が三島に扮したパフォーマンスの映像は熊本でも収蔵・展示し何十回と見たが、英語字幕付きで沖縄で見るとひどく違って見える)、柳幸典の《The Forbidden Box》、オノ・ヨーコ《White Chess Set(Play It by Trust)》などを手堅く押さえる一方で、沖縄ゆかりのアーティストにも細やかに目配りしてある。特に、今回初見だったが、返還前の沖縄の姿を切り取る比嘉豊光の《赤いゴーヤー》は非常に印象深かった。
そのなかで、とりわけ注目したいのが1976年生まれの沖縄のアーティスト、山城知佳子だ。《にほんへのたび》(2004)は、国会議事堂前で写真を掲げながら沖縄について大声で語るパフォーマンスである。会場内に「世界遺産登録ありがとうございます」「観光名所は首里城がいいと思われます」「モノレールはタクシーの初乗りより安いようです」「男性の長寿番付で26位に転落、女性はまだ健在で長生きです」「マンゴーはもともと沖縄のものではないと思います」など強烈に違和感ある絶叫が響く。それ以外にも、苦しげな呼吸音を響かせながら、男性性の象徴である髭のようにも、濡れた女性の体毛のようにもみえる沖縄名産の海藻、アーサ(ヒトエグサ)を口の周りにのせて、物憂げな表情でたゆたう《アーサ女》(2008)などの映像が展示された。作品としては、まだまだ粗削りだが、山城の魅力は、ポリティカルな内容を正面から扱っていながら、無意識に漂ってくる滑稽さ、笑いにある。森村泰昌やブブ・ド・ラ・マドレーヌがそうであるように、笑いは救いだ。時に滑稽なまでの山城の真剣さは、私たちの心を打ち、閉塞した状況を内破する力を持つ。
照屋や山城は、松井みどりが「90年代後半から2000年代前半にかけて現れたアーティストに顕著な、断片を組み合わせて独自の世界観を表現し、時代遅れなものや凡庸なものに新たな用途や意味を与える」★2とするマイクロポップの作家たちと同世代である。しかし、それとは一線を画し、強い切実さを持って、沖縄、戦争、支配/被支配といった問題と向き合っている。