キュレーターズノート

アトミック・サンシャインの中へin沖縄 イトー・ターリ「ひとつの応答」/花・風景

坂本顕子(熊本市現代美術館)

2009年07月15日号

 その1カ月後、激しい豪雨に見舞われた九州・福岡で、偶然にも再び「沖縄」と出会った。久留米で見た、イトー・ターリの性暴力をテーマにしたパフォーマンス《ひとつの応答》である★3。
 この《ひとつの応答》は、3つのシークエンスからなる。ひとつは渡嘉敷村にあった慰安所に連行された韓国人慰安婦の描いた童画風の絵が投影される場面、もうひとつは嘉手納基地ゲート前に広がるミュージックタウンの夜景、そして、普天間飛行場と六本木の国立新美術館にも程近い米陸軍施設、赤坂プレスセンターで離発着するヘリの映像である。
 それらを前にして、イトー・ターリは、胸・腹・尻につけたゴム風船を自ら膨らませ、快楽や恍惚とは異なる次元の苦しげな呼吸の末、身悶えし、果てる。無聊な面持ちで生の玉葱を芯まで剥き続けながら、幾度も仰向けに倒れ、くりかえし体を通過して行く小さな「私」の死を見送る。コンバット・シューズを履き、撒き散らした釘を巨大なマグネットで集めてまわる。沖縄での米兵による性暴力のデータが記されたマスキングテープの文字を読み上げながら、女性用のキャミソールの一つひとつを葬るように素早く丁寧に貼り付けていく。時に慰安婦に、米兵に、そしてアクティヴィストに、性別や時間や空間を超えて、自身を自在にトランスフォームする。まるでユタかシャーマンのように。
 パフォーマンスの中盤、イトー・ターリは観客の中に分け入り、玉葱の汁で濡れそぼった手で一人ずつがっちりと握手を交わした。涙の光る赤く腫れたまなざし、温かく力強い手を通して、沖縄での歴史から消え去ろうとする小さな無数の「私」の死が、遠く九州の地で暮らす「私」の中に伝わり、宿ったような錯覚に陥っていった。
 
 《戦争を体験していない私たちのカラダは、沖縄の戦争体験を受け継ぐことができるのか?》山城の最新作のタイトルはこう語っている。優れた文学や音楽、そしてなにより美術は、さまざまな境界を超えて、世界に共感しつながることを可能にすることを教えてくれるのだ。



イトー・ターリ《ひとつの応答》

★2──イトー・ターリの福岡でのパフォーマンスは、ART BASE88、西南学院大学で連続して開催され、7月20日〜26日にかけて東京のトキ・アートスペースでも同内容のインスタレーションとパフォーマンスが行なわれる。

「アトミック・サンシャインの中へin沖縄 日本国平和憲法第九条下における戦後美術」

会場:沖縄県立博物館・美術館
沖縄県那覇市おもろまち3-1-1/Tel.098-941-8200
会期:2009年4月11日(土)〜5月17日(日)

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