2019年08月01日号
次回9月2日更新予定

キュレーターズノート

松島俊介《VOICE-PORTRAIT 〜self-introduction〜》/小泉明郎《僕の声はきっとあなたに届いている》

住友文彦(ヨコハマ国際映像祭2009ディレクター)

2009年10月01日号

 最近、少しぞっとした経験をした。それは、自分がかつて行なったレクチャーのタイトルが手元のPCに残っていなかったので、もしかしたらネットに出ていないかと思って検索したところ、タイトルどころか動画まで残っていた。

 そもそもこうして自分の記憶さえネットに依存しているわけだし、掲載の承諾をしたような気もするのでまったく不思議ではない。しかし、ほんの数年前であってもいまとは違う過去の自分が表情豊かに映し出されるのに、少しぞっとしたのだ。ビデオの記録などと大きく違う点は、これが誰でも見られる公開性を持ち、しかも半永遠的に残存し続けることだろう。過去に自分が間違ったことを話したり、考えが変わったり、見た目が変わったり、そういうことを隠すよりも公開したほうがいいと思うし、基本的にネットのこうした使い方には賛成である。おそらく若干の違和感をおぼえたのは、日時の記載がとくに強調されない限り、そうした変化が時系列的に受け止めづらく、すべてネットにアクセスして鑑賞されたときの「今」として「自分」が見られると感じたからかもしれない。

 それにもかかわらず、ネット上にはいつ挙げられたのかも知れない大量の「ポートレイト」が溢れている。松島俊介の《VOICE-PORTRAIT 〜self-introduction〜》は、そうした動画から借りた声を使って、自分自身がリップシンクによって本人になりきる動画を多数ウェブサイトに挙げている。さらに、その元になるウェブへのリンクをたどると、当然ながらまったく異なる顔つき、服装、表情の当人の自己紹介を見ることができる。そして、tumblrというウェブサービス(簡易な操作でウェブ上の記事や写真、動画などをスクラップしてブログにすることができる)によって、これらの動画が増殖していくことを意図している。
 この作品は、ヨコハマ国際映像祭2009のCREAMコンペティションで大賞を受賞した。ネット上では、MADなどと呼ばれるいろいろな動画素材を加工する二次創作がとても盛んであり、そうした点では至ってごく普通の手法に見えるが、リンク先をたどって元の自己紹介動画を見るときに松島自身の動画との比較によって、その人自身が持っている個性が際立つように感じられる。多くの二次創作が面白可笑しいツッコミを積み重ねていくのに対して、松島の作品ではネットにあがっている多様な個人が抱える社会的な属性が浮かび上がる。また、映像作品の制作の第一人者でもある審査委員たちからは、人の表情や身振りをとらえ、伝えようとすることや、こうしたメディア上で他人を演じる行為が映像の本質的な問題と触れ合い、かつ情報化時代の拡散するアイデンティティを新しいウェブサービスを使いシンプルに提示したことなどにも評価の声があがった。


松島俊介《VOICE-PORTRAIT 〜self-introduction〜》
URL=http://voice-portrait.tumblr.com/

 もう一人、森美術館で個展を開催している小泉明郎は、私も過去に企画した展覧会で何度か作品を上映してもらい、独自の映像表現を切り開こうとする試みに期待しているアーティストである。今回の作品は、日本のCMやドラマに蔓延にしている典型的な親子を感傷的に描く設定を使いながら、じつは見えないところで噛み合わないコミュニケーションが同時進行していることを暴露する。この典型と受け止められる形式のなかに、どのような社会文化的な了解があり、それを作り出す権力と抑圧の構造は繰り返し小泉の近年の作品の題材となっている。
 もともとは初期の作品で、作家本人が集中度の高いパフォーマンスを行なう際に、撮影するカメラの位置、身体と周囲の物や空間とに、そうした社会文化的な関係性を読み取ることができるところに大きな関心を持っていたが、2003年のアーカス・プロジェクトの滞在中に、本人が他人に演出を加えるスタイルへ移行した。それは、過去の記憶、社会的に共有されたコードを極端な設定にしたうえで演じる者に与え、その反応をカメラで撮影するものである。この手法には、アルトゥール・ジミェフスキやジェレミー・ディラーなどが実践している「再演」的な映像作品と共通するところがある。彼らは、ある実験室のような状況を役者ではない人々に与え、それまで繰り返され慣習化された声や身振りが殻を破るようにして感情を迸らせ、生を管理統制する制度を逆照射するような作品で高い評価を得ている。小泉のここ最近の作品は、多くの人々が影響を受けているテレビや映画への関心もあるためか、そうしたメディアに登場する人の代表として役者が持っている声や身振りが作品の素材となっている。


《僕の声はきっとあなたに届いている》2009年
ハイビジョン・ビデオ・インスタレーション

 作家が演出家という抑圧的な立場として君臨し、極限的な感情の状態に置かれた役者がカメラに向かって見せる表情や身振りには、私たちの眼を奪うなにかがある。それは、映像が相反したり、矛盾したりする感情が同時に共存してしまう複雑な状況をとらえるのに適しているため、それまでの理解のための了解事項に沿って鑑賞することから大きく逸脱するものが映り込むのである。
 しかし、そこには作者が見せたいものがあらかじめ設定され、鑑賞者が追随してそれを見る場合と、それを大きく超えてしまうものを見出だす場合とがあり、作品によって揺れ幅があるようにも感じている。この制作スタイルが成熟していきている今後、どういう作品をつくっていくのか楽しみである。

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