キュレーターズノート
ARITA-mobile/祝祭と祈りのテキスタイル──江戸の幟旗から現代のアートへ
坂本顕子(熊本市現代美術館)
2010年04月15日号
どうもいま、佐賀が熱いらしい。そんな噂を、昨年あたりからよく耳にした。縁あって今回、その噂の真偽を確かめる機会がようやく巡ってきた。佐賀の「熱さ」の源泉とはなんなのか。筆者が見たその一端をご紹介したい。
その場所は「有田」にあった。いわずもがな「有田焼」で知られる、佐賀市内から西へ40キロほど行った、日本を代表する磁器の一大産地である。そこで2005年から行なわれてきた「有田現代アートガーデンプレイス」が、今回、「原榮三郎回顧展」と、文化庁メディア芸術祭優秀作品上映およびその関連シンポジウムと並行して実施された。
そのなかで、もっとも注目された企画が「ARITA-mobile」だ。香蘭社や深川製磁、今右衛門などの有名窯元が軒を連ねる通りを抜けた有田・上有田地区の各サイトで、九州を中心とした約30名の若手アーティストが滞在制作を行なった。
八谷和彦や真島理一郎といった佐賀ゆかりのメディア・アーティストらの招待作品もあわせた参加作家のなかで、群を抜いた作品を出してきたのが鈴木淳だ。鈴木は、もはや若手と言えるキャリアではないが、メイン会場となる富右エ門窯において、通常のビデオ作品だけではなく、工場スペース全体を使ったインスタレーションを発表した。
富右エ門窯は、約10年前の当主の急逝をきっかけに、展示場のディスプレイや工場の成型した碗や皿もそのままに、その呼吸を同時に止めたかのような無音の沈黙のなかにある。そのなかに置かれたビデオで、鈴木は雑踏のなかに現われ、路上に壺を置き、どこかへ立ち去る。するとそれがまるで世界のスイッチをオフしたかのように、人々のざわめきが壺の中に吸い込まれて消える。それは、往時の富右エ門窯に集う職工や客の熱気やエネルギーが、工場の中に残された何百という無数の皿や壺の中に、いまも静かに湛えられていることを想起させる。往時の写真から切り抜かれた小さな人影、それと対照的に工場全体をダイナミックに渡らせた乾燥棚の板が、過去と現在をブリッジし、私たちを知るはずのない世界へと接続するのだ。鈴木自身が積極的に作品のなかに登場し、大がかりなインスタレーションを行なったという点で、非常に興味深かった。
鈴木は当館で九州の若手作家に焦点をあてて開催した「ピクニックあるいは回遊」展に出品したが、冨永剛もまたその一人であった。冨永は、滞在制作のなかで、工場脇の土手の竹林を一本一本伐採して切り開き、聖性を持った緊張感のある空間をつくり出した。それは、つくり出したというよりも、その場所に立った時から、自然に導かれたといったほうが良いのだろう。冨永が丁寧に整えたその場所は、土地の古い方々によると、いまでは知る人のほとんどいない、かつての登り窯跡だったそうだ。
これらの佐賀の一連の動きの中心には、以前本稿でも紹介した佐賀出身の城野敬志がいる。同じく浦田琴恵とともに、九州の若手アートシーンの核となっていることは言うまでもない。若手中心の企画では、作品のクオリティが二の次にされることが多いなか、八谷や鈴木のような経験のある作家をうまく組み込み、同じ場で制作する若手に刺激を与え、「展覧会」としての質をぐっと高めたことに感心した。