アート・アーカイブ探求
作者不明《吉祥天像》天下太平の女神としての尊像──「谷口耕生」
影山幸一
2011年05月15日号
逆転した時代
緑が美しい季節になった。未曾有の地震で傷ついた日本だが、この季節の美もまた自然のなせる業なのだということが身に沁む。地震の恐怖もあって本棚を購入した。本を動かしている最中、美術史家・矢代幸雄の大著『日本美術の特質』を開いた。1965年発行の第2版である。巻頭にカラーの薬師寺蔵《吉祥天像(きちじょうてんぞう)》の顔があって引き込まれた。この本には228ページの図録の別冊もついており、戦争中に出版した初版を改訂し、6年に及んだという労作である。英国人学者との友情の書でもあるという。「日本美術の顕著なる特色の一つである色彩美を、幾分なりとも本書において示すことができたので、著者としては、すこぶる本懐である」「美術品それ自身の全体を正しく認識し、その美を深く感じ取るに最も適当なる写真を能(あた)うる限り選んだのである」(序 p.viより)。
なぜ、矢代は修正前の《吉祥天像》(部分)を巻頭にし、別冊には修理後の全体像をモノクロで掲載したのか。戦中から戦後と世の中が逆転した時代に、心をこめて編まれた美術の本に選ばれた一枚の絵。価値観が揺らぎ動揺している東日本大震災後の日本に、《吉祥天像》の頬笑みが特別な意味を持っているように感じた。
絵画は震災の復興に直接貢献することができないかもしれないが、被災者の心を支える力になるかもしれない。長年多くの人心を集めてきた《吉祥天像》を改めて見る価値があると思った。一枚の画像だが、その力は決して非力ではないはずだ。
《吉祥天像》の特色と信仰背景について考察し、『薬師寺所蔵 国宝 麻布著色(まふちゃくしょく)吉祥天像』(中央公論美術出版)の著者のひとりである奈良国立博物館保存修理指導室長の谷口耕生氏(以下、谷口氏)に、奈良時代の絵画《吉祥天像》の見方を伺いたいと思った。谷口氏は、日本仏教絵画史が専門で、博物館では絵画部門も担当している。ゴールデンウィークに向かった奈良は曇りかと思ったが黄砂だった。
単眼鏡
谷口氏は、『特別展 天竺(てんじく)へ 三蔵法師3万キロの旅』(2011年7月16日〜8月28日)の準備に追われていた。この夏、奈良博で全長総計190メートルを超える絵巻の国宝《玄奘三蔵絵(げんじょうさんぞうえ)》全12巻が初めて公開されるそうだ。
1972年仙台市出身の谷口氏は、2000年に東北大学大学院文学研究科美術史学専攻博士課程単位取得退学後、2001年8月より奈良国立博物館の学芸員となった。
子どもの頃は絵というより歴史が好きだったそうだ。遺跡や古墳が大好きで、特に仏像は純粋にかっこいいと思っていたと言う。東北大学でも仏像をやりたかったが、卒業論文はなぜか絵巻になった。そして絵画が専門となった。「なぜ絵が描かれたか、どういう社会的な要請があったのか、仏教美術では重要なところ。純粋に造形だけで美しいという見方もあるが、拝まれてきた意味を考えずにはいられない」と、ものを取り巻く社会や時代に関心が向くタイプと自己分析をする。
谷口氏が初めて《吉祥天像》の実物を見たのは大学生時代だった。教科書に出ている有名な仏画の本物を一度見てみたいと思い立ち、仙台から奈良へ《吉祥天像》を見に行ったという。第一印象は「小さいなぁ」。もっと近くで見たいと単眼鏡で緻密に描かれた絵を一生懸命見ていた。次の瞬間、よく比較される、同じ奈良時代の正倉院宝庫の《鳥毛立女屏風(とりげりつじょのびょうぶ)》以上に、きれいな女性像だと感じたそうだ。くすんだ赤、緑、紫など、色の種類が多く同時代の絵と比べても華やかに彩られていたと言う。