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作者不明《吉祥天像》天下太平の女神としての尊像──「谷口耕生」

影山幸一

2011年05月15日号

神々による中央集権国家

 「奈良時代(710〜784)は日本の国家の骨格をつくった時代。奈良時代の遣唐使は、20年、30年に一回ほどだが、中国から政治制度、法律体系、仏教儀礼に至るまで、幅広くいろんな中国の知識を日本にもたらした。仏教はインドから中国で漢字に訳され、中国の思想を経て日本に伝えられた。インドのヒンドゥー教のなかから生まれ独立した。仏教の誕生にあたって、仏法を守護する神様としてヒンドゥーに祀られていた神々が、吉祥天や毘沙門天として仏教のなかに取り込まれていった。そしてまったく同じ発想で、日本の神々も仏法を守護すべき存在であると奈良時代の律令国家は、伊勢の神、八幡の神を仏法の守護に結び付けさせていった。土地土地に神様がおり、コミュニティーの中心には必ず神祀りがあった社会。奈良時代は中国をコピーして今までにない中央集権国家をつくろうとした時代。宗教政策は最も重要だった。全国津々浦々に国分寺という官立の寺を立て、その国分寺で吉祥天と在地の神々を結び付ける儀式を行なった。在地の社会が仏教を通じ、ひとつの国家に結びついていく『金光明最勝王経』による吉祥悔過というシステムに、《吉祥天像》が本尊としてあることがこの経典に明記されている。仏法を守護する神々(護法善神)によって、国家が守られるという考えだ」と谷口氏は語った。

古代絵画の名品

 奈良時代の絵画は、《吉祥天像》とボストン美術館に所蔵されている麻布著色《法華堂根本曼陀羅(釈迦霊鷲山説法図)》、正倉院宝庫の紙本著色《鳥毛立女屏風》や調度品の文様など、残っている作品が少ない。
 また当時は麻布を画布としても使っていた。絹本を本紙とする著色絵画が平安時代に多くなるのは、絵の裏側から顔料を塗ったり箔を押す、裏彩色(うらざいしき)や裏箔(うらはく)といった微妙な表現技法ができるようになったためであるが、奈良時代の現存作品の多くは麻布類だと言う。奈良時代の絵画には出典があって比較的それに忠実に描く傾向があるそうだ。《吉祥天像》も『陀羅尼集経』をもとに非常に高い技術で描かれており、日本古代絵画を代表する名品と見ることができる、と谷口氏は言う。
 ボッティチェリの研究家でもあった矢代幸雄にとって、《吉祥天像》には《ヴィーナスの誕生》や《プリマヴェラ(春)》にも似た美が見出されていたのではないだろうか。矢代は「この吉祥天を描いたであろう日本画家の細かい美の感覚と優しい趣味とが自然に溶け込んでいて、これを日本的に美化する機会を逃さなかったように見える」(『日本美術の特質』)と書いており、装飾的で繊細な表現センスから、日本を実感したのかもしれない。柔らかく丸味を帯びた白い頬と小さく肉厚な赤い唇、そして点のような黒い瞳。《吉祥天像》は、あまねく人々に幸福をもたらそうとする優しくも強い意志を発している。


主な日本の画家年表
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谷口耕生(たにぐち・こうせい)

奈良国立博物館学芸部保存修理指導室長。1972年仙台市生まれ。1994年東北大学文学部東洋芸術史科卒業、2000年同大学大学院文学研究科美術史学専攻博士課程単位取得退学。2001年8月より奈良国立博物館学芸員、その後現職。専門:日本仏教絵画史。所属学会:美術史学会、文化財保存修復学会。主な展覧会企画:『特別展 神仏習合──かみ と ほとけ が織り成す信仰と美』(2007)、『聖地寧波 日本仏教1300年の源流〜すべてはここからやって来た〜』(2009)など。主な共著:『奈良国立博物館所蔵 国宝 絹本著色十一面観音像』(中央公論美術出版, 2006)、『薬師寺所蔵 国宝 麻布著色吉祥天像』(中央公論美術出版, 2008)など。

作者不明

デジタル画像のメタデータ

タイトル:吉祥天像。作者:影山幸一。主題:日本の絵画。内容記述:作者不明, 奈良時代 8世紀, 麻布著色, 額装, 縦53.0×横31.7cm, 国宝, 薬師寺蔵。公開者:(株)DNPアートコミュニケーションズ。寄与者:薬師寺。日付:2011.5.7。資源タイプ:イメージ。フォーマット:Photoshop, 21.4MB。資源識別子:5×7カラーポジフィルム, 534 KODAK SoAFETY FILM, 04-01403。情報源:薬師寺, 飛鳥園。言語:日本語。体系時間的・空間的範囲:─。権利関係:薬師寺, 飛鳥園。



【画像製作レポート】

 作品画像を借用する依頼書を薬師寺へFaxとメール。折り返し「撮影・掲載・放送等について」がFaxされてきた。確認のため電話を薬師寺へしたところ、写真は「飛鳥園」から借用することがわかった。「飛鳥園」にも薬師寺と同様の依頼書をFaxとメール。電話で伺うと薬師寺からの許可証を提出すれば、ホームページにある使用規定に従ってカラーポジフィルムを貸し出すことができるという。「撮影・掲載・放送等について」に書かれていた「許可願書・申請書についての必要事項」に基づき書類を、ゴールデンウィークを控え急ぎ作成し、薬師寺へ速達。「飛鳥園」の配慮により早めに5×7カラーポジフィルム(カラーガイド・グレースケールなし)が郵送されてきた。ご志納金1万円、写真貸出料は35,000円(1年間の期間限定による掲載許可。サムネイル画像は無期限)。印刷会社にてポジフィルムを350dpi, 20MBにデジタル化し、TIFFファイルに保存。1,700円。今回は目次と記事のなかの「主な日本の画家年表」に使うサムネイル画像についても申請が必要だと知り、慌てて追加申請を行ない許可が下りて一安心。
 iMacの21インチモニターをEye-One Display2(X-Rite)によって調整後、画像の色調整作業に入る。モニターに表示されたカラーガイドと作品の画像に写っている図録などを参照しながら、目視により色を調整。画面を0.1度時計回りに画像を回転させ、上下が切れている額縁の内側に合わせて切り抜く。Photoshop形式:21.4MBに保存。
 セキュリティーを考慮して、画像には電子透かし「Digimarc」を埋め込み、高解像度画像高速表示Flashデータ「ZOOFLA」によって、コピー防止と拡大表示ができるようにしている。
 今回のように作品所蔵者と写真貸出者が異なる例は京都にもあったが、写真借用申請手続きの負担が倍増する。作品の写真貸出は権利処理を含めたワンストップ型のサービスはできないものか。作品所蔵者にとっても、ユーザーにとっても利便性が図れて有益に思える。文化財の保存と活用におけるテーマとして今日的な課題である。写真の形態や画質についても現状さまざまであるが、インターネット上に申請方法と仕様(スペック)を明示するなど、デジタル画像の流通の標準化やその基盤整備が望まれる。
[2021年4月、Flashのサポート終了にともない高解像度画像高速表示データ「ZOOFLA for HTML5」に変換しました]



参考文献

亀田孜「吉祥天像と上代の金光明経の美術」『薬師寺 近畿日本叢書 第五冊』pp.98-119, 1965.6.1, 近畿日本鉄道株式会社
矢代幸雄『日本美術の特質』第2版, 1965.8.14, 岩波書店
藤田経世「吉祥天像」『日本文化史1 古代』p.217, 1966.4.1, 筑摩書房
『原色版国宝2 上古・飛鳥・奈良II』1968.8.20, 毎日新聞社
望月信成「仏像に表れた女性美 2/吉祥天像」『日本美術工芸』2月号, 通巻第389号, pp.34-40, 1971.2.1, 日本美術工芸社
田中一松・亀田孜監修『日本の仏画 第二期・第四巻 国宝吉祥天像 薬師寺 国宝倶舎曼陀羅図 東大寺』1978.1.20, 学習研究社
山根有三 監修『日本絵画史図典』1987.10.20, 福武書店
有賀祥隆『仏画の鑑賞基礎知識』1991.5.10, 至文堂
林温「吉祥天像」『週刊朝日百科 日本の国宝 4 近畿2[奈良]』pp.56-158, 1999.11.1, 朝日新聞社
岩崎雅美・岡松恵・片岸博子・原田純子・馬場まみ「薬師寺吉祥天像の服飾について──仏画と実相の視点から」『日本服飾学会誌』第19号, pp.1-9, 2000.5.1, 日本服飾学会
図録『持統天皇千三百年玉忌 薬師寺大講堂復興記念「薬師寺」白鳳伽藍復興への道』2002.7.23, 薬師寺
Webサイト:大河原典子「薬師寺吉祥天画像に関する研究 : 奈良時代の麻布画」『東京藝術大学附属図書館』2004.3.25(http://www.lib.geidai.ac.jp/APHD/hakubi132.pdf)東京藝術大学, 2011.5.5
『国宝 吉祥天像』2004.7.27, 東京国立博物館
有賀祥隆「仏画の記述──何のために記述するのか」『講座日本美術史 第1巻 物から言葉へ』(佐藤康宏編)pp.13-44, 2005.4.26, 東京大学出版会
Webサイト:「吉祥天女画像【国宝】奈良時代」『薬師寺』2005(http://www.nara-yakushiji.com/guide/hotoke/hotoke_etc.html)薬師寺, 2011.5.5
東京藝術大学大学院美術研究科文化財保存学保存修復日本画研究室『日本絵画の謎を解く──東京藝術大学文化財保存学日本画博士の研究』2007.10.10, 東京藝術大学出版会
谷口耕生「豊饒の女神として描かれた尊像」『週刊朝日百科 国宝の美 09 絵画4』pp.25-26, 2009.10.18, 朝日新聞出版
谷口耕生「国宝を深く知る 美神に祈りを捧げた吉祥悔過」『週刊朝日百科 国宝の美 09 絵画4』p.27, 2009.10.18, 朝日新聞出版
谷口耕生「総説 神仏習合美術に関する覚書」図録『特別展 神仏習合──かみ と ほとけ が織り成す信仰と美』pp.6-16, 2007.4.7, 奈良国立博物館
稲本泰生「神仏習合の論理と造像─インド・中国から日本へ」図録『特別展 神仏習合─かみ と ほとけ が織りなす 信仰と美─』pp.225-232, 2007.4.7, 奈良国立博物館
図録『平城遷都1300年記念 国宝薬師寺展』2008.3.25, 東京国立博物館・読売新聞社・NHK・NHKプロモーション
奈良国立博物館・東京文化財研究所企画情報部 編『薬師寺所蔵 国宝 麻布著色吉祥天像』2008.5.15, 中央公論美術出版

2011年5月

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