アート・アーカイブ探求
小林正人《Unnamed #7》──反重力の光「保坂健二朗」
影山幸一
2011年06月15日号
対象美術館
【Unnamed #7の見方】
(1)サイズ
252×230×80cm。
(2)画材
油彩、キャンバス、木。小林は「油彩が一番はっきり色が見える」と言う。
(3)モチーフ
光。ルクス(照度の単位)やルーメン(光束の単位)など、いろんな光の概念があるが、目に見える明るさと、意識の上での明るさを分けて考えている。
(4)色彩
赤、黄、黒、白。
(5)技法
床に広げたキャンバスの背後に手を回して、それを支えながら油絵具を塗り込めるように手で描く。また描くと同時に木枠に張り、張りの加減と絵具の量を調整しながら、その中に入り込む光の量や質感をつくる。Oil on canvasではなくOil with canvasと小林は呼んでいる。
(6)タイトル
Unnamed #7。Untitledでなく、Unnamedなのはタイトルの習慣的制度に対し、存在論に関わる名前という概念を前提にしており、「名づけえぬもの」として認識していることを意味している。小林がクリスチャンであることからかなり意識的なのだろうと思われる。「人間が何かを創るなどはおこがましいと思った」という言い方を小林はしており、そういう人だからこそ名づける行為に対しての畏怖を持っていると思う。またタイトルと作品の間の断絶は絵画を抽象に存在させる一助となっている。小林が絵に対してどういう距離をとろうとしているか、絵にどういう存在であってほしいか如実に表われているタイトル。
(7)制作年
1997年。
(8)鑑賞のポイント
重心が下に引っ張られてずり落ちていく感じがするが、色としては下の方に明るい色が溜まっており、色が喚起する重さで言えば下の方が軽い。視覚的な印象として感じる重力の感覚と、色から受ける重力の感覚と、物体として見る重力の感じが反転している。ドラスティックな流動性はないのだが、黄色の色が昇っていき、この絵が持つ反重力的な感覚は、この世の中の物体すべてが引き受けている重力から解き放してくれる。それは言い換えると、この世の中の物体ではなくなっていく。言い直せば、黄色だから光を表現しているというのではなく、全体の流れの中で非物質的なものに変わっていく。
非物質性としての物体
保坂氏は「この作品に限らず、絵が面白い理由には、物質性と非物質性のゆれ動きみたいなものをどこまで表現できるか、というのがきっとある。つまり絵というのはキャンバスと絵具という物質です。よくそこからイリュージョンの話になっていくのですね。単なる絵具で描いた図像が山に見えたり、空に見えたりという言い方をするんです。でも、イリュージョンとは違うもうひとつの方向として、絵を、それ自体として非物質的に見せていくあり方もある。20世紀初頭の、いわゆる抽象絵画といわれる人たちがかなり熱心にやっていたことです。カンディンスキー、モンドリアン、マレーヴィチが、あのような絵を描いたのは、抽象的な図像を描きたかったわけでもなければ具象を否定したかったからでもない。具象でやるとそれは何の再現か気になってしまうことがほとんどであって、一端気になるとそれは単なる絵になってしまう。だから、具象性を感じさせなくすることで、その絵を光や精神的なものや音などの非物質性の方向へシフトさせていく。絵画という存在はそういうものになりうるのだと信じて。そうした試みを画家たちはやっていて、小林もそのひとりだろうと思う。しかし、よく考えると矛盾もある。小林は非物質を表現しなければいけないのに、絵を床に下ろし、フレームを見せていくわけで、当然物質性は強くなっていくわけですから。でもそれは言い換えると、カンディンスキーたちの後では、絵がイリュージョンであることの方程式に乗っかるのは無理で、もっと前の条件、絵は物体であるというところから始めなければいけないと小林がわかっていたということでもある。彼が言う“キャンバスに張ってからでは遅い”は、そういうことだと思う。絵画の前提から問い直していく、あるいは前提を壊していく。前提というか、概念的にも物体的にも目に見えない枠組みというものを疑ってかかっていく。そうやって絵画が担ってきた非物質性という表現に取り組んで前に進む」と小林の作品に対する姿勢を、抽象絵画の画家たちを投影させながら語った。