アート・アーカイブ探求
杉戸 洋《two tree songs》──知覚の転換「松井みどり」
影山幸一
2011年07月15日号
祖国で異邦人
杉戸洋は1970年名古屋に生まれた。父親の仕事の関係で4歳から14歳までニューヨークで暮らし、その後帰国。MoMAやメトロポリタン美術館によく行ったそうだが、MoMAで見たピカソの《ゲルニカ》に強く惹かれ、初めて買ってもらった画集もピカソだという。アメリカ時代は家庭でも英語を話していたため、一から日本語の勉強をしなければならなかった杉戸は、祖国のなかで異邦人となった。思ったことを日本語でうまく言い表わせないもどかしさが、絵画を知覚表現の手段として選ばせたと告白している。絵を描こうと思った切っ掛けは、16歳の時に予備校でアルバイトの講師を務めていた奈良美智が見せてくれた、米国の美術家で去る7月5日83歳で亡くなったサイ・トゥオンブリ(1928-2011)の画集だそうだ。杉戸は近代の日本画の細密な線や美しい色彩に憧れて愛知県立芸術大学で日本画を専攻した。
1991年杉戸は名古屋の「ラヴコレクションギャラリー」で初個展を開いた後、1996年までの5年間は展覧会を続けながら山で木を伐り、畑を耕す生活を送った。1996年から97年杉戸は米国ネブラスカ州のビーメス・ファウンデーションのアーティスト・イン・レジデンスに参加。これを契機に、ロサンゼルス、ニューヨーク、サンフランシスコで個展を開催し、1998年の「VOCA’98展」ではVOCA奨励賞を受賞して、世界を舞台に個展やグループ展を続けている。杉戸の絵画は、杉戸の夢に出てくるパーソナルな神話を画面に定着させたものといわれている。
【two tree songsの見方】
(1)モチーフ
カーテン、木、壁、窓。
(2)サイズ
280.0×450.0cm。
(3)画材
アクリル・岩絵具・キャンバス。
(4)色彩
原色を使わず、明度を高くして彩度を低くしたマットな色彩。鮮やかな蛍光色のピンクと、ミントグリーンなどのキャンディーカラーや淡いパステルカラーが特徴。
(5)技法
絵具を画面全体に薄く塗る。
(6)構図
画面の両脇にカーテンがある部屋の構造を用いて、正面から二本の木を大きくとらえている。
(7)タイトル
two tree songs。
(8)制作年
2006年。
(9)サイン
裏に英文で署名。
(10)松井みどり氏が示唆する鑑賞のポイント
「真正面から見られ、絵画の枠内に収まるように描かれているにも関わらず、この絵には想像力が別のところへ逃走して行くための工夫がたくさん含まれている。それは、計算された錯視作用というわけではない。まず、ここにありながら別の所に向かう印象を引き起こすのは、“線”だ。流動するという線の性質や、線と線の間のカーブや向きの呼応によって、離れているものが繋がり、事物を閉じ込めている表象的な定義から逸脱することを可能にする。
次に重要なのは、細部の小さな身振りや色を通した、イメージの境界を超えた異なる事物の結びつきだ。タイトルからも、この絵に、「木」という形を見ることを多くの鑑賞者は求めるかもしれないが、木の輪郭はごく省略的なものにとどめられている。向かって左側の木はスケルトンの容器のように内側が透視できるように描かれ、顕微鏡で見たミジンコの細胞のようにも見える。実体よりも部分が強調され、見える部分とそうでない部分の関係が流動化されているために、この絵では、事物が消えていく感覚や、消えることによって際立ってくるものがあるという感覚が重視されている。木の実体は消えていくかもしれないが、中に隠れていた線は浮き上がってくる。鑑賞者の目は、ピンクからピンクへと移動し、輪郭によってつくられた境界や限界は崩され、事物の輪郭や表象の外側へ向かって、観客の想像のなかで、不定形なイメージは逃走し続ける。この変容の想像を促すことが、この絵の二つ目の見どころなのだ。
不定形であったり、開かれていたりする形を通して事物の変容の過程を想像させるのは、本来は、ドローイングの特徴だ。そして、この絵は、ペインティングでありながらドローイングの原理を強調するように描かれている。ここでは、形態の象徴性よりも、線の動きや方向性、色の呼応が重視され、それによって表象的な定義とは関係のないところにある細部同士が結びついたり、離れたりする。それが、鑑賞者の視線を流動化させる。部分の類推的呼応が生み出す新たな領域、線が生み出すカーブの方向性の予感、違う場所にあるもの同士が自由に結びつく脱領域的な関係性といったドローイングの特徴が生かされているところが、この作品の独創性だと言える。
さらに、鉱物を思わせるような硬めの乾いた質感がひんやりと冷たい触感を呼び起こす画面全体の質感も、この絵の魅力のひとつだ。大きなサイズも、この絵の観賞に影響を与える。画像で見たら線にしか見えないものが、実物では、幅のある色面になる。木の輪郭が表れたり消えたりする感覚も、スケールが大きいことによって、より強い運動性を感じさせる。最後に付け加えれば、「かわいらしさ」の印象は、観客の意識が、この絵の中に入って行くための入口なのかもしれない。ここでは、ピンクやミントグリーンなどの、いわゆるキャンディーカラーが効果的に使われている。キャンディーやドロップは、子どもにとってはきれいで小さな宝石だ。そこに、「おいしそう」という関心が加わって、より「貴重」という感じと結びつく。素直な欲望みたいなものが、色選びにも影響している。作品の叙情性や爽やかさの印象には、子どもの素直な欲望を受け入れる作家の柔軟さが関係していると思う」。
世界は流動的
杉戸は、遠く過去の画家に憧憬の念を抱きながら、今の生活のなかで描ける絵を素直に描いていくつもりだと語っている。奈良美智の生徒だった1996年頃、松井氏は杉戸の展覧会で初めて杉戸に会い、とても素直な人だったと思ったことを覚えている。その時はファンタジー的な一種のドローイング的絵画だと思ったそうだ。関心を持ったのは99年頃《shark man》など幾何学形が全面に押し出されてきた作品だと言う。特に《elephant and buckle》(1999)と《lobster man》(1999)は印象的な作品であった。線と色面が常に反転し合っているのを初めて見た時、杉戸の世界の中にある知覚的なアプローチに気がついた。松井氏は奈良とはまったく違う作家だとその時わかったそうだ。
そして杉戸の世界を松井氏は次のように述べた。「杉戸は幾何学形を基調とした世界の構造の把握を通して、一貫した世界観を持つに至ったのかもしれない。そこでは、世界は流動的なものとして、とらえられている。けれども、その流動の根源には幾何学形という非常にシンプルな形があって、それをひとつの祖型として人は一個の次元から別の次元へと感覚を移動させたり行ったり来たりすることが可能になる。それは、哲学的でありながら、人が世界と接するときの根源的な共通感覚に根ざしているようにも思える感覚だ。しかも、そういう世界観が理論や知識としてあってそれを描きたいから現在の絵画スタイルを選び取ったというより、むしろ自然や日常のなかで見出される幾何学形の魅力に心を開くことによって、その世界観を呼び寄せた感じがする」。
4月下旬に開催が予定されていた青森県立美術館開館5周年記念展「青木淳×杉戸洋 はっぱとはらっぱ」は、東日本大震災の影響による物流事情、資材確保の困難により残念ながら中止となったが、高さ8.5メートルある奈良の立体作品《あおもり犬》のもとで、杉戸がどのように作品を展開するのかその関係性が楽しみであった。東北の復興とともに、再開されることが望まれる。
*上記の文章には松井みどり氏による加筆修正が入っています。
松井みどり(まつい・みどり)
杉戸 洋(すぎと・ひろし)
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【画像製作レポート】
参考文献