アート・アーカイブ探求
阪本トクロウ《アフターイメージ》──ニュートラルで自由な余白「大野正勝」
影山幸一
2011年10月15日号
日本画のコンテンポラリーアート
大野氏が初めて阪本の作品を推薦した「第3 回東山魁夷記念 日経日本画大賞展」の《デイライト》(2006, 図参照)や、次に推薦した「VOCA展2008」の《山水》(2007, 図参照)、そしてこの《アフターイメージ》(2009)、今年GALLERY MoMo 両国での個展に出展された《夜景》(2011, 図参照)と、時系列に沿って見てみると、車や信号機、遊覧船、送電線鉄塔、高層ビルディングといった人工物の背景には、常に自然を対置させ、また阪本の絵画の特徴である空気感を取り扱う創意工夫が、画面のサイズや設定、色彩の滲ませ方、余白の取り方、明暗のバランスなどに見て取れる。日本画制作で鍛えた技術と精神力を、自由度の高いアクリル絵具を含ませた筆先に集中させ、伝統的な日本画の領域を越えたコンテンポラリーアートに昇華させつつある。
大野氏は、阪本の推薦理由を次のように語った。「日経日本画大賞展は、日本画が対象だが阪本の《デイライト》は通過した。車と電柱がなければ、立ち暗みする前の何もない一瞬のようだ。自分というものがどこにもない感じ。阪本のリアリティそのままの作品だと思い、決して表現主義的にならないところがいいなと思い推薦した。阪本の自分の立ち位置、どこでどのように見ているかがしっかりと伝わってくる。見る人が阪本になれる。だから親しみが湧くのか、わかったということに近づくのかもしれない。自己中心ではない、いい作家だなぁと思った。阪本の絵がすごいと思うのは、描いていないように見える余白の部分、これが無ではなく、そこもしっかり処理している。《アフターイメージ》では山の部分だが、言ってみれば均質な画面。そこが阪本の絵の魅力であり、これからの課題でもある。おそらく本人もどうしようかと思っているはずだ。画面の中の小さなモチーフ(《アフターイメージ》では送電線鉄塔)が自分で、広い余白(《アフターイメージ》では山)は他者。他者の部分を他者らしくつくっている。そのことに阪本は気付かず、あるいは今の表現のままで耐え続けていけるかが、問題になってくるような気がする。今後の展開をとても興味深く思っている」。
構造と関係性
阪本は次のように述べている。
「過去のことを思い出し、未来のことを想像しながら現代を表現するという意識で制作しています。また私自身の生活の中から作品を作ろうと思っています。…(中略)…人々が生きていくうえで生まれてしまう疎外感や孤独感を作品をとおして他者とコミュニケーションすることで希望にかえていけたらいいなと思っています」(Webサイト『アートフロントギャラリー』「阪本トクロウ コメント」より)。
また「私が生きてきて得た情報と、他者が生きてきて得た情報は違いますがその関係性を考え、共有できるものを視覚化できたら良いと思っています。構造を見るということと物事の関係性を見るということといえます」(個展「交差点」リーフレットより)とも述べている。
なんの変哲もない日常がいかに大切であるかということに気づかされる。阪本は3.11以降にこうした作品を制作しているわけでなく、それ以前から日常の風景を簡略化して描いている。冷徹に切り取られた日常のシンプルな美しさは、日常の風景を非日常的にも見せる。日常というリアルな現実から、関係性を見出し、余分な情報を捨象し、共有できるものを視覚化して純度の高い現代日本の風景として記録、表現している。
スローライフのこれからの時代に応じた美術館やアートのあり方を考えていきたいと大野氏は言う。「高度成長期時代に阪本のこの《アフターイメージ》があったら、“なんだあの塗り絵みたいな作品は”で終わっていたかもしれない。しかしこれからの時代は久隅守景の《夕顔棚納涼図屏風》に描かれているような和みのある生活が受け入れられると思う。美術館の窓の向こうに子どもが遊んでいるのが見える。その子どもの声は聞こえないが、想像によってバーチャルなコミュニケーションを子どもとしている。そういう想像するためのニュートラルで自由な場所として美術館があることに気が付いてもらいたい。教養のためでなくぶらりと美術館に寄ってお茶とか。これから美術館はホテルのようにいろんな楽しみ方があっていい。それが贅沢で楽しいことだとわかってもらう人が増えれば日本はもっとよくなる。阪本の絵の空白部分は、そのニュートラルで自由な状態をつくっている」。
去る10月5日、米国アップル社会長のスティーブ・ジョブズ氏が56歳で死去したという訃報を耳にした。悲しみとともにコンピュータに初めて触れたときのドキドキした喜びを思い出した。実際には会ったこともないジョブズ氏に感謝する人は多かったのではないだろうか。長年Macを使ってきた者としては寂しさだけでなく、未来への水先案内人を失った失望感を覚える。Macというコンピュータは未来というものを実感させてくれる最も身近な日常品だった。チャーミングでシンプルなデザインにも関わらず豊富な機能を内蔵し、創造すること、人とつながることの可能性を広げ、夢を与えてくれた。このセンスは阪本トクロウの絵画にも共通したものがある。
大野正勝(おおの・まさかつ)
阪本トクロウ (さかもと・とくろう)
デジタル画像のメタデータ
【画像製作レポート】
参考文献