アート・アーカイブ探求

秦 致貞《聖徳太子絵伝》「和を以て貴しと為す」和国教主の神話──「村重 寧」

影山幸一

2012年01月15日号


秦 致貞《聖徳太子絵伝》平安時代・1069年, 綾本著色, 10画面各縦185.2〜186.2×横134.5〜145.9cm,
国宝, 東京国立博物館蔵, Image:TNM Image Archives 無許可転載・転用を禁止

聖徳太子と富士山

 新たな年を静かに迎えた。昨年の東日本大震災による価値観の転換が、日本人の絵画にも変化をもたらすように思える。生きるための力になる絵は、社会が動揺しているこんなときに生み出されると思う。日本人が絵のモチーフとして思い浮かべるものに富士山がある。富士山は時代を超えて描き続けられてきた不滅のモチーフだ。富士山の絵を見ながら晴れやかに過ごしたいと思い探してみると、ゴッホに影響を与えた葛飾北斎の《富嶽三十六景》、富士に映る自分の心を描くと言った横山大観の《或る日の太平洋》、骨を埋めるまで富士山を描こうと決心した片岡球子の「富士山シリーズ」など、並々ならぬ気概が結実したような富士山の絵がたくさん残されていた。最も古い富士山の絵と思える国宝《聖徳太子絵伝》(東京国立博物館蔵)は、なんと馬に乗った聖徳太子が富士山を横切って空を飛んでいる。奇抜でありながら進取の気象を絵にしたような聖徳太子と富士山、この日本人のアイデンティティーの底流にいつでも生きているような二つのモチーフが組み合わさっている。新年の気分もあいまって《聖徳太子絵伝》を探求することとした。以前は法隆寺にあったというこの絵伝。現在は東京国立博物館の法隆寺宝物館に収蔵されている。
 2005年度から5年計画で法隆寺献納宝物特別調査の一環として《聖徳太子絵伝》を調査してきた早稲田大学名誉教授の村重寧氏(以下、村重氏)に、その絵の特徴と見方を伺いたいと思った。村重氏はやまと絵と、琳派を専門にする日本美術史家で、東京国立博物館の学芸員でもあった。
 富士山をモチーフとして登場させ、聖徳太子の生涯を描く背景に何があったのか。日本にとって特別な年となった2011年の年の瀬、「殿様も犬も旅した 広重 東海道五拾三次」展の内覧会日に東京・サントリー美術館の喫茶店で話を伺うことができた。


村重 寧氏

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