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秦 致貞《聖徳太子絵伝》「和を以て貴しと為す」和国教主の神話──「村重 寧」

影山幸一

2012年01月15日号

伝説を引き継ぐ

 富士山を《聖徳太子絵伝》の第3面右上に発見したときは、ユーモラスなそのダイナミズムに仰天した(画像参照)。富士山は1,000年前も絵のモチーフとなるだけの魅力があったのだ。仏教信仰の支柱となる自然の威容は、聖徳太子の緯業を伝説として庶民の心に遺す大きな役割を果たしていた。
 絵伝では色彩にむらがあり、富士山は茶色に見えるが、これは緑青(ろくしょう)が変色し、剥落したためで、本来は鮮やかな緑色だ。また山の傾斜が急峻であり、致貞は実景を見ながら写実的に描き起こしてはいない。実際富士山は太古から噴火を繰り返して形を変えているが、ここでは霊峰として理想化した表現となっている。
 富士山と空中に浮かぶ聖徳太子の場面は、甲斐国から献じられた四脚の白い黒駒に太子が乗り、空に駆け上がり東へ向かったファンタスティックなシーンとして描かれている。太子は、垂纓(すいえい)の冠と黄褐色の袍(ほう)、白色の袴を付け、舎人(とねり)の調使麻呂(ちょうしまろ)を馬の右に従わせた。三日後に戻った太子は“富士山の頂上に至り、信濃まで飛び、越前・越中・越後の三越をめぐって帰ってきた”と語り、付き従った麻呂の忠心を褒めた。麻呂は空を行っても両足は陸地を踏むようで、ただ多くの山が脚下に見えたと申し上げたという。この説話は釈迦が出家されたとき、愛馬カンタカに乗り、従者チャンダカを連れて、一夜にして雪山に登った伝説に倣ったものといわれている。太子27歳のときの活気あるシンボリックな絵である。


太子黒駒に乗り富士山頂に至る《聖徳太子絵伝》(部分)

日本の記号

 聖徳太子は、574年に第31代用明天皇の第2王子として誕生。蘇我・物部合戦に参戦し、蘇我氏の勝利に寄与した。推古朝では摂政として政権に参入し、人々が仲好くやっていくことが世の中で最も尊いという「和を以て貴しと為す…」から始まる十七条憲法や冠位十二階を制定。また遣隋使を派遣して対等外交を主張したり、仏教を移入し寺院を建立するなど、政治家、宗教人として有能な人であったようだ。「日月があまねく照らし神水が絶えることなく湧き出るように、この世の隅々まで公平に慈愛が行き届いた“寿国(じゅこく)”を実現したい」(『週刊 絵で知る日本史17 聖徳太子絵伝』)というのが太子の夢で、生涯日本仏教の興隆に尽くし、622年49歳で亡くなった。
 「太子は実際にいたかどうか、いたのでしょうが信仰の対象に神格化され、神話になった。元来日本は神の国。神道です。そこへ6世紀に中国から仏教が入ってきた。それ以来日本は仏教の国になるが、神道も生き残っている。グレードの高い外来の文化を採り入れながらも日本固有のものを大事にし、進歩していったのでしょう」と村重氏。9世紀の終わりから10世紀の初頭、神と仏のもとは同体であるという本地垂迹(ほんじすいじゃく)説が完成し、日本の仏教各宗と神道はなんらかのかたちで太子と関連を持ち、宗派や時代を超えて太子は尊崇された。その追慕の念は太子信仰、和国の教主へと昇華し、象徴的な日本の記号と化していった。
 「《聖徳太子絵伝》は心の拠り所になる大きな絵です。しかも古いものは皆で見られる。きれい汚いではなく、本物の趣を実感してほしい」と村重氏は語った。少し前まで1万円札の肖像は、聖徳太子(1958〔昭和33〕年〜1986〔昭和61〕年発行)だったが、懐かしく、復興にふさわしい紙幣にも思え、千年の時を超えていま、ぐっと身近な人物となった。




主な日本の画家年表
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村重 寧(むらしげ・やすし)

早稲田大学名誉教授。1937年東京都生まれ。1967年早稲田大学大学院博士課程修了。1967年東京国立博物館学芸員、1994年早稲田大学文学部教授、2008年より現職。専門:日本美術史(やまと絵・琳派)。主な著書に『宗達』(三彩社, 1970)、『琳派 1〜5』共編著(紫紅社, 1989-92)、『日本の美術 宗達とその様式』(至文堂, 2004)など。

秦 致貞(はたの・ちてい)

平安時代の絵師。生没年不詳。摂津国大波郷在住。代表作《聖徳太子絵伝》。

デジタル画像のメタデータ

タイトル:聖徳太子絵伝。作者:影山幸一。主題:日本の絵画。内容記述:秦 致貞, 平安時代・1069年, 綾本著色, 10画面各縦185.2〜186.2×横134.5〜145.9cm, 国宝, 東京国立博物館蔵。公開者:(株)DNPアートコミュニケーションズ。寄与者:(株)DNPアートコミュニケーションズ。日付:2011.12.20。資源タイプ:イメージ。フォーマット:Photoshop, 344.2MB。資源識別子: C0045108(TIFF, 57.1MB)・C0045110(TIFF, 57.1MB)・C0045111(TIFF, 56.7MB)・C0045113(TIFF, 56.9MB)・C0045114(TIFF, 56.7MB)・C0045116(TIFF, 57.0MB)・C0045118(TIFF, 56.9MB)・C0045119(TIFF, 57.0MB)・C0045120(TIFF, 56.8MB)・C0045122(TIFF, 57.2MB)。情報源:(株)DNPアートコミュニケーションズ。言語:日本語。体系時間的・空間的範囲:─。権利関係:東京国立博物館, (株)DNPアートコミュニケーションズ。



【画像製作レポート】

 作品画像を借用する依頼書を(株)DNPアートコミュニケーションズへメール送信。5日後画像(カラーガイド・グレースケール付き)をダウンロードするURLがIDとパスワードとともに返信されてきた。
 iMacの21インチモニターをEye-One Display2(X-Rite)によって調整後、画像の色調整作業に入る。モニターに表示されたカラーガイドと作品の画像に写っているカラーガイド・グレースケールを参照しながら、目視により色を調整。作品が水平に撮影されていない画像があったため、1, 2, 3, 5面の画像を0.1度、7面を0.3度時計回りに回転させ、10面の画像をつなぎ、縁に合わせて切り抜いた。Photoshop形式:344.2MBに保存する。モニター表示のカラーガイド(Kodak Color Separation Guide and Gray Scale Q-13)は事前にスキャニング(brother MyMiO MFC-620CLN, 8bit, 600dpi)。
 今回初めて10画像をひとつにつなげ、拡大縮小の機能を効果的に利用した。各画像の角度や色彩が微妙に異なり調整に時間が掛かった。法隆寺に《聖徳太子絵伝》が展示されていたときは、第1面・第2面と第9面・第10面が正面(第3面〜第8面)に対して90度手前に設置され、上から見ると冂型に配置されていた。鑑賞者は絵に包まれる感じだったにちがいない。デジタル画像はCG技術を駆使して立体的に見せることもできる。
 セキュリティーを考慮して、画像には電子透かし「Digimarc」を埋め込み、高解像度画像高速表示Flashデータ「ZOOFLA」によって、コピー防止と拡大表示ができるようにしている。
[2021年4月、Flashのサポート終了にともない高解像度画像高速表示データ「ZOOFLA for HTML5」に変換しました]



参考文献

田中重久『聖徳太子繪傳と尊像の研究』1943.8.1, 山本湖舟写真工芸社
図録『聖徳太子絵伝──春の特別展』1965, 奈良国立博物館
図録『聖徳太子絵伝』1969.3.27, 奈良国立博物館
『法隆寺献納宝物』1975.3.15, 東京国立博物館
小林 忠「総説・富嶽三十六景」『浮世絵大系13 別巻・I富嶽三十六景〈愛蔵普及版〉』p.57-p.64, 1979.2.28, 集英社
家永三郎『日本の美術 10 やまと絵』1980.3.20, 平凡社
山根有三 監修『日本絵画史図典』1987.10.20, 福武書店
『真宗重宝聚英 第七巻 聖徳太子絵像 聖徳太子木像 聖徳太子絵伝』1989.2.28, 同朋舎出版
図録『特別展 やまと絵─雅の系譜─』1993.10.13, 東京国立博物館
今岡英子「法隆寺旧蔵『聖徳太子絵伝』研究─その画面構成の特質について─」『哲学会誌』第19号, p.63-p.76, 1995.11, 学習院大学哲学会
『四天王寺開創1400年記念 聖徳太子信仰の美術』1996.1.10, 東方出版
図録『特別展 法隆寺献納宝物』1996.10.8, 東京国立博物館
『聖徳太子事典』1997.11.30, 柏書房
図録『聖徳太子展』2001.10.19, NHK・NHKプロモーション
秋山光和『平安時代世俗画の研究』2002.10.10, 吉川弘文館
図録『聖徳太子と国宝法隆寺展』2005.8, 愛媛県美術館・愛媛新聞社・兵庫県立歴史博物館・神戸新聞社
成瀬不二雄『富士山の絵画史』2005.11.10, 中央公論美術出版社
辻 惟雄『日本美術の歴史』2007.8.31, 東京大学出版会
梅沢 恵「法隆寺献納宝物四幅本聖徳太子絵伝について」『日本美術史の杜 村重寧先生・星山晋也先生古稀記念論文集』p.193-p.209, 2008.9.2, 竹林舎
『法隆寺献納宝物特別調査概報 ⅩⅩⅨ 聖徳太子絵伝2』2009.3.31, 東京国立博物館
『週刊 絵で知る日本史17 聖徳太子絵伝』2011.2.17, 集英社

2012年1月

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