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菊畑茂久馬《天河 十七》──赤の実在「野中 明」

影山幸一

2012年07月15日号

鑑賞のポイント

菊畑が「タブローの総括をめざす」と決意して取りかかった「天河シリーズ」最後の作品である《天河 十七》は、色や光が質量を持ったような“色の存在感”が見所。ものと色の関係性は60年代から研究していた。「彩色することは、まやかしの、にせの、化かすこと、偽装することなのだ」と菊畑は色に無関心を装いながらも嘘ではない色を探していた。画面中央に向かうに従い煙の中に消えて行くような奥行き感があり、物質と光の関係性が探られている。菊畑は絵画の世界と四つにがっぷりと組んで格闘しており、絵画の世界にだんだん沈潜し、その表現は情念を宿した迫力へつながり、見る者を宇宙的な創造劇に立ち会わせてくれる。また、画面左右の支点を軸とした逆三角形のフォルムは、両眼で外界を見ている状況をそのまま定着させた“視界の形”。つまり素直にものを見る行為を描いたのかもしれない。

“膜”への挑戦

 オブジェの作家と見紛うほど「物質」に囚われた菊畑茂久馬であるが、すべては「絵画」のためにあった。絵画のルール(仮構性)を炙り出すためにオブジェのルールを対照させ、手と目を鍛え、他方では巧みな文章で言葉による独自の思考を強化していった。「『絵とはすべて「物」によって成り立っていながら、物性を徹頭徹尾拒絶する。つまり絵が絵として存在している理由は、ひとえに絵とはどのように見なければならないのかという、見ることに対する約束と概念規定が条件となる』。これはつまり「絵」も「モノ」であるはずなのに、我々が「絵」を「絵」としてみている限りどうやってもそこにイマジナルな世界が現象しないわけにはいかないということである。(略)これは、例えば鏡に映った自分の姿を見ながら、同時にその鏡自体をも見ようとすることにも似た不可能な試みにも思える(野中明『菊畑茂久馬──ドローイング』図録p.18)。そして「不可能なことではあるが、絵画を絵画たらしめる存在をひとつの膜(平面)に見立てて、そこをいかに触ろうとしているか、そういう考え方もあると思った」と野中氏。
 イリュージョンと物質を同時に手にしたい菊畑の挑戦は、創造と破壊を繰り返した結果を糧として神聖な“平面絵画”に普遍性を与えるための奮闘の痕跡となる。「それは〈絵画〉と〈物質(オブジェ)〉の相克である。いいかえると『形なきものの形を見、声なきものの声を聞く』(老子)という芸術姿勢である」(田中幸人『菊畑茂久馬展』図録p.2)。

菊畑の具象画

 《天河 十七》を目前にしたとき森厳なる霊山の中へ入ったような空気に包まれた。「平面というのは海みたいなもので、あらゆる要素が溶け合っている。もっと言い換えれば、絵画はそれ自体、抽象的現実なんだよ。抽象的な現実とは現実の純記述だと思う」(野中明『菊畑茂久馬 戦後/絵画』図録p.320)と、菊畑は言う。
 オブジェから離れて制作した《天動説》から《春風》へと連環するタブローシリーズ全体が壮大なひとつの作品にも読み取れる。オブジェを平面化する“作る絵画”から“描く絵画”へと移行したのか、《天河 十七》の次に描かれた「春風シリーズ」は、従来の暗く重い画風とは異なる明るく軽い菊畑の新境地といわれるが、次の高みのひとつとして菊畑の具象画は存在しないのだろうか。
 「具現化されるべき絵画は常に描くことに先立って在り、描くことはそれを具現化するために強いられた作業にすぎない」(野中明『菊畑茂久馬 戦後/絵画』図録, p.312)と、菊畑は具象画を意に介しないだろうが、生きるために絵画を求めた菊畑の「内なる必須の風景」のなかに、精神的な師と仰ぐ山本作兵衛の絵のような実直な具象画を加えてほしい。かつて菊畑が山本の絵について「幼稚で、下手糞で、色もひどいし、デッサンも何もあったものではない」(菊畑茂久馬『現代の眼』No.350, p.5)と評したが、菊畑の具象画との新たな遭遇は「もの」と「絵画」がピタリと噛み合い、温かい感触が実感できる可能性がある。





主な日本の画家年表
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野中 明(のなか・あきら)

長崎県美術館事業企画グループリーダー学芸員。1969年福岡市生まれ。1995年九州大学文学部哲学科美学美術史専攻卒業。1995年米子市美術館学芸員、2001年長崎県都市再整備推進課、2005年長崎県美術館学芸員、現在に至る。主な受賞:第23回倫雅美術奨励賞。主な展覧会担当:「エドゥアルド・チリーダ展」(2006)、「デジタル遊園地─ネットワーキングアートの未来」(2006)、「彫刻家 舟越保武─かたちに込める祈り─」(2008)、「ダニ・カラヴァン展」(2008)、「菊畑茂久馬──ドローイング」(2009)、「長澤英俊展 オーロラの向かう所」(2010)、「菊畑茂久馬 回顧展 戦後/絵画」(2011)など。

菊畑茂久馬(きくはた・もくま)

画家。1935年長崎県長崎市生まれ。1956 年第24回独立美術展に入選。1957年〜1961年前衛美術家集団「九州派」に参加。1964年山本作兵衛を知り、南画廊で《ルーレット》シリーズを発表。その後19年の沈潜期間を経て1983年絵画の大作《天動説》シリーズを発表。以後《月光》《月宮》《海道》《海 暖流・寒流》《舟歌》《天河》《春風》シリーズを制作。主な展覧会:第10回読売アンデパンダン展(1958, 東京都美術館)、現代美術の実験展(1961, 国立近代美術館)、新しい日本の絵画と彫刻展(1965, ニューヨーク近代美術館他)、菊畑茂久馬展(1988, 北九州市立美術館)、九州派──反芸術プロジェクト(1988, 福岡市美術館)、菊畑茂久馬:1983-1998 天へ、海へ(1998, 徳島県立近代美術館)、菊畑茂久馬──ドローイング(2009, 長崎県美術館)、菊畑茂久馬 回顧展 戦後/絵画(2011, 福岡市美術館・長崎県美術館)など。主な著書:『フジタよ眠れ:絵描きと戦争』(葦書房, 1978)、『天皇の美術:近代思想と戦争画』(フィルムアート社, 1978)、『反芸術綺談』(海鳥社, 1986)、『絶筆:いのちの炎』(葦書房, 1989)など。主な受賞:ストラレム優秀賞第二席(1964)、第56回西日本文化賞(1997)、第53回毎日芸術賞(2011)など。代表作:《奴隷系図(貨幣)》《奴隷系図─円鏡による》《ルーレット》《天動説 二》《海 暖流一》《天河 十七》など。

デジタル画像のメタデータ

タイトル:天河 十七。作者:影山幸一。主題:日本の絵画。内容記述:菊畑茂久馬, 2003年制作, 縦260.0cm×横583.0cm(200号F×3), 油彩・蜜蝋・キャンバス。公開者:(株)DNPアートコミュニケーションズ。寄与者:長崎県美術館。日付:─。資源タイプ:イメージ。フォーマット:Photoshop, 44.7MB(350dpi, 8bit, RGB)。資源識別子:作品を3分割したEPS画像(「5-6-17左」:9.4MB, 「5-6-17中」:11.8MB, 「5-6-17右」:9.1MB)をPhotoshopで統合。情報源:長崎県美術館。言語:日本語。体系時間的・空間的範囲:─。権利関係:菊畑茂久馬, 長崎県美術館






【画像製作レポート】

作品の画像は、菊畑氏にまず電話とFaxにて著作権の許諾を口頭でいただき、その後作品を所蔵している長崎県美術館へ作品画像の借用を電話で依頼した。野中氏に概要を説明したところ、オンラインストレージ「firestorage」にてスムーズに画像を送信していただいた。3枚のキャンバスをつなぐ《天河 十七》は、各キャンバスごとに撮影されており、EPSファイルの各画像にはそれぞれカラーガイドとグレースケールが付いていた。無料。
iMacの21インチモニターをEye-One Display2(X-Rite)によって調整後、図録の作品画像を参照しながら、Photoshopで目視により明度を落として色調整。作品の縁に合わせて切り抜き統合した。350dpi, 44.7MB(8bit), Photoshopファイルに保存した。セキュリティーを考慮して画像には電子透かし「Digimarc」を埋め込み、高解像度画像高速表示Flashデータ「ZOOFLA」によって、コピー防止と拡大表示ができるようにしている。
作品のデジタル画像は取り扱いが便利だが、誰が、いつ、どこで撮影したのかを記録したメタデータがない場合が多く、今回も確認ができなかった。メタデータ記述のフォーマットを決める必要があるだろう。
[2021年4月、Flashのサポート終了にともない高解像度画像高速表示データ「ZOOFLA for HTML5」に変換しました]



参考文献

岡本信治郎・菊畑茂久馬・針生一郎(司会)「特集18座談会 現代日本の美術の底流 戦後美術 日常性の逆用」『美術ジャーナル』No.48, pp.16-33, 1964.5.15, 美術ジャーナル社
ヨシダ・ヨシエ「戦後前衛所縁の荒事十八番 〈九州派〉の英雄たち」『美術手帖』No.347, pp.222-230, 1971.10.1, 美術出版社
三上次男・河北倫明『九州文化論集5 九州の絵画と陶芸』1975.4.10, 平凡社
菊畑茂久馬「一兵卒の戦後 浜田知明論」『みずゑ』No.904, pp.43-51, 1980.7.3, 美術出版社
菊畑茂久馬「虚妄の刻印」『みずゑ』No.920, pp.35-41, 1981.11, 美術出版社
「〔作家訪問〕 菊畑茂久馬 生活者としての絵描きということ」『美術手帖』No.516, pp.138-145, 1983.10.1, 美術出版社
菊畑茂久馬「私の好きな一点 山本作兵衛画 筑豊炭坑記録画」『現代の眼』No.350, p.5, 1984.1.1, 東京国立近代美術館
『七色パンフ 創刊号 菊畑茂久馬特集』1985.9.1, なないろ文庫
図録『九州派展──反芸術プロジェクト』1989.3.20, (財)福岡市美術館協会
菊畑茂久馬『絶筆──いのちの炎』1989.4.10, 葦書房
図録『現代絵画の展望──祝福された絵画』1989, 日本国際美術振興会・毎日新聞社
三田晴夫「現代をになう作家たちⅩ 菊畑茂久馬──絵画─虚無への生贄(いけにえ)」『美術手帖』No.645, pp.170-185, 1991.10.1, 美術出版社
菊畑茂久馬『絵描きと戦争(菊畑茂久馬著作集1)』1993.9.5, 海鳥社
菊畑茂久馬『戦後美術と反芸術(菊畑茂久馬著作集2)』1993.11.25, 海鳥社
菊畑茂久馬『絵画の幻郷(菊畑茂久馬著作集3)』1994.3.15, 海鳥社
菊畑茂久馬『素描のままに(菊畑茂久馬著作集4)』1994.8.20, 海鳥社
田代俊一郎『駆け抜けた前衛 九州派とその時代』1996.3.25, 花書院
図録『菊畑茂久馬展』1996.6.3, カサハラ画廊
図録『開館5周年記念 山本作衛展』監修:菊畑茂久馬, 1996.10.29, 田川氏美術館
図録『菊畑茂久馬:1983-1998 天へ、海へ』1998.1.24, 徳島県立近代美術館
田中幸人「大航海──〔絵画〕という海へ乗り出して 菊畑茂久馬展の意味するもの」『美術手帖』No.755, pp.109-120, 1998.5.1, 美術出版社
菊畑茂久馬・坂本克彦「光ファイバ利用の光のオブジェ〔天河〕」」『照明学会誌』第83巻第3号, pp.182-183, 1999.3.1, 社団法人照明学会
図録『菊畑茂久馬』1999.10, 東京画廊
菊畑茂久馬『絵描きが語る近代美術 高橋由一からフジタまで』2003.8.15, 弦書房
図録『第3回円空大賞展』2005, 岐阜県美術館
中井康之「画家たちの美術史 菊畑茂久馬」『美術手帖』No.896, pp.157-160, 2007.7.1, 美術出版社
図録『菊畑茂久馬──ドローイング』2009.11.12, 長崎県美術館
山口洋三「オブジェから/タブローへ:生活思想と幻想」図録『菊畑茂久馬:戦後/絵画』pp.296-308, 2011.7.9, grambooks
野中 明「春風へ到る道──菊畑茂久馬の絵画」図録『菊畑茂久馬:戦後/絵画』pp.310-321, 2011.7.9, grambooks
Webサイト:『菊畑茂久馬 回顧展 戦後/絵画』2011(http://www.fukuoka-art-museum.jp/jb/html/jb01/2011/mokuma/mokuma2.html)福岡市美術館, 2012.7.9,
Webサイト:大西若人「オノ・ヨーコ展・菊畑茂久馬回顧展 前衛の2人、対照的な軌跡」『asahi.com』2011.8.6(http://www.asahi.com/culture/news_culture/TKY201108050239.html)朝日新聞社, 2012.7.9
Webサイト:クリティック「菊畑茂久馬 戦後/絵画」2011.10.18『Living Well Is the Best Revenge』(http://tomkins.exblog.jp/16460519/)2012.7.9

2012年7月

  • 菊畑茂久馬《天河 十七》──赤の実在「野中 明」