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酒井抱一《夏秋草図屏風》江戸の風趣──「岡野智子」

影山幸一

2012年08月15日号

昨日と今日は違う

 抱一の美意識を、岡野氏は抱一の植物観察眼から読み解いた。「夏秋といってもそのなかの限られた時期を切り取っている。右隻の女郎花が出てくるのは夏の早い頃ではないが、秋を示す薄はまだ穂が出ていない。女郎花は黄色いポチポチしたところがきれいで、普通は黄色のみでポチポチと描く。でも抱一はこだわりがあり、黄色でポチポチの頃は花が終わりで臭うため、もっと女郎花がきれいな花の若いとき、つぼみの硬い頃を描いている。こういう女郎花の変化がわかっており、しかもそれがしなだれているところが、雨に濡れている解釈を成り立たせている。抱一は俳句人でもあるので、昨日と今日は違うことを知っている人。昨日の風と今日の風は違う。抱一はそれを描き分けようとしている。だから左隻の野葡萄の葉では一枚として同じものがない。実際の紅葉がそうであるように、自然にしかない色や表情をとらえようとしている。また薄の葉を描くということは、曲線を描くことで、すごいのは葛や昼顔の蔓の先。植物の若い生命体が宿っていて先へ先へと伸びて行こうとする。でも弱いからすぐ風になびくし、傷んでもしまう不確かな存在である。抱一はそういうものを意図的に画面へ入れている。抱一は蔓や細い葉のしなやかな美しさをよく知っており、またそれを表現していくのが江戸琳派の一番の特徴になっている」。花を描く画家が多いなかで草や葉に着目する視点が抱一である。

静かなエネルギー

 当時の江戸には、雅で美しい生活や色彩や面に特徴のある琳派のような装飾的な画風はなかった。浮世絵などで賑やかになっていくが、江戸が文化的に成熟する18世紀末から19世紀初頭、いわゆる文化文政期を迎えるときに抱一だけでなく、文化人たちが日本の古い伝統へ思いを寄せた。「都ぶりへの憧れと言ってもいいかもしれない」と、岡野氏。俵屋宗理や立林何帠(かげい)など、抱一のほかにも江戸で琳派風の絵を描き始めた人たちがいたと言う。
 宗達、光琳、抱一と300年の間継承されてきた琳派は、西洋の画家たちにも影響を与えた。装飾的、デザイン的といわれる琳派であるが、「フランスの美術評論家エルネスト・シュノーによると、その特徴は ①思いがけない構図 ②巧妙な形態 ③豊かな色彩 ④絵画効果の独創性 ⑤絵画的手段の単純さに表れている」と言う(狩野博幸, Webサイト『高校生のための「超」教養講座』より)。
 また、《夏秋草図屏風》はインパクトのある銀屏風だが、抱一は経年変化する銀によって見るたびに印象が異なることを計算していたのだろうか。「《夏秋草図屏風》の銀地背景には、通常の銀箔を焼いて古色づけの効果をねらった箇所も存在する。また細部を観察すると、シミや傷、擦れたような跡など、一般的には経年変化によって生じるさまざまな表情が、じつは、物理的な損傷を除けば制作当初からのものが少なくない」(立木美江『九州藝術学会誌 デ アルテ』p.115より)。抱一研究が進むなかで、2011年興味深い論文が書かれていた。
 「《夏秋草図屏風》は制作当時と同じく裏として見るのが正しい。各屏風を外側(W型)に折って屏風絵の裏として鑑賞する。京都で生まれたスタンダードな琳派を基盤としつつ、そこを超えるのが《夏秋草図屏風》」と岡野氏は話す。
 抱一の屏風全体に及ぶ気づかいと創意工夫は、光琳の《風神雷神図屏風》との共鳴である。しぼんでいく花や枯れていく葉に見られる滅びゆく美、移ろいの美として呼応した。われわれはそこに神秘な銀の静かなエネルギーを感じるのだ。





主な日本の画家年表
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岡野智子(おかの・ともこ)

細見美術館上席研究員。三重大学、三重短期大学、皇學館大学非常勤講師。1962年東京生まれ。1985年学習院大学文学部哲学科(日本美術史専攻)卒業、1989年同大学大学院人文科学研究科哲学専攻博士後期課程単位取得中途退学。1989年東京都江戸東京博物館学芸員、1991年東京都江戸東京博物館学芸員、1995年細見美術館主任学芸員後、現在に至る。専門:日本近世美術史。所属学会:美術史学会。主な著書:「酒井抱一の画風展開とその特色」『美術史』126号(美術史学会, 1989)、「酒井抱一筆 夏秋草図屏風の成立とその背景」『MUSEUM』No.493(東京国立博物館, 1992)、「姫路酒井家の絵画─道具帖にみる酒井抱一とその周辺」『姫路美術工芸館紀要』4号(姫路美術工芸館, 2003)、図録『酒井抱一と江戸琳派の全貌』共著(求龍堂, 2011)など。

酒井抱一(さかい・ほういつ)

江戸後期の絵師。1761〜1828。江戸生まれ。徳川将軍家に近い譜代大名、姫路藩主である酒井雅楽頭(うたのかみ)忠恭(ただずみ)の長男忠仰(ただもち)と母里姫の次男として、神田小川町の酒井家別邸に生まれる。幼名を善次、のちに栄八。実名を忠因(ただなお)。出家後の法名を等覚院文詮暉真(とうかくいんもんせんきしん)。両親を幼くして亡くし、兄の忠以(ただざね)が、第二代姫路藩主、十六代雅楽頭に就任。抱一は、趣味人でもあった兄と共に江戸屋敷に住み多感な十代を過ごし、俳諧や書画をたしなむ。二十代で狂歌や浮世絵など市井文化に触れ、三十七歳で出家し自由な身となり、最後は根岸の「雨華庵」に落ち着く。宗達、光琳が京都で築いた琳派様式に傾倒し、江戸文化の洒脱を加え、今日の江戸琳派を確立。弟子に鈴木蠣潭、鈴木其一、池田孤邨ら。代表作は《夏秋草図屏風》《四季花鳥図巻》《秋草鶉図屏風》《白蓮図》《波図屏風》など。

デジタル画像のメタデータ

タイトル:夏秋草図屏風。作者:影山幸一。主題:日本の絵画。内容記述:酒井抱一, 江戸時代・1821(文政4)年頃, 紙本銀地著色, 二曲一双, 各縦164.5×横181.8cm, 重要文化財, 東京国立博物館蔵。公開者:(株)DNPアートコミュニケーションズ。寄与者:(株)DNPアートコミュニケーションズ。日付:2012.7.30。資源タイプ:イメージ。フォーマット:Photoshop, 51.1MB(8bit, RGB, 1,000dpi)。資源識別子:TNM000837.TIFF(Kodak EPY 7841〔94807〕), TNM00838.TIFF(Kodak EPY 7841〔94808〕)。情報源:(株)DNPアートコミュニケーションズ。言語:日本語。体系時間的・空間的範囲:─。権利関係:東京国立博物館, (株)DNPアートコミュニケーションズ。






【画像製作レポート】

作品画像を借用する依頼書を(株)DNPアートコミュニケーションズへメール送信。3日後画像(カラーガイド・グレースケール付き)をダウンロードするURLがIDとパスワードとともに返信されてきた。 iMacの21インチモニターをEye-One Display2(X-Rite)によって調整後、画像の色調整作業に入る。モニターに表示されたカラーガイドと作品の画像に写っているカラーガイド・グレースケールを参照しながら、目視により色を調整。作品を水平にするため、右隻を0.2度、左隻を0.3度反時計回りに回転させ、二つの画像をつなぎ、縁に合わせて切り抜いた。Photoshop形式:51.1MBに保存する。モニター表示のカラーガイド(Kodak Color Separation Guide and Gray Scale Q-13)は事前にスキャニング(brother MyMiO MFC-620CLN, 8bit, 600dpi)。セキュリティーを考慮して、画像には電子透かし「Digimarc」を埋め込み、高解像度画像高速表示Flashデータ「ZOOFLA」によって、コピー防止と拡大表示ができるようにしている。 銀色の再現が難しかった。色相、彩度、明度をひとつずつ調整したが、見本としている図録の色とは合わない。銀色を優先させたため草の緑色はもう少し黄緑色かもしれない。
[2021年4月、Flashのサポート終了にともない高解像度画像高速表示データ「ZOOFLA for HTML5」に変換しました]



参考文献

図録『酒井抱一展』1977, 日本経済新聞社
山根有三 編『琳派絵画全集 抱一派』1978.12.12, 日本経済新聞社
図録『酒井抱一と江戸琳派』1981, サントリー美術館
千澤楨治編『日本の美術』第186号, 酒井抱一1981.11.15, 至文堂
図録『姫路市立美術館開館記念 酒井抱一展』監修:中村溪男, 1983, 紫紅社
図録『日本の美「琳派」』総監修:山根有三, 1989.10.1, 福岡市美術館
岡野智子「東京国立博物館保管 酒井抱一筆〔夏秋草図屏風〕の成立とその背景」『MUSEUM』No.493, p.19-p.34, 1992.4.1, 東京国立博物館
玉蟲敏子『絵は語る13 酒井抱一筆 夏秋草図屏風──追憶の銀色』1994.1.17, 平凡社 日本アート・センター 編『新潮日本美術文庫18 酒井抱一』玉蟲敏子著, 1997.1.10, 新潮社
図録『琳派 RIMPA』2004, 東京国立近代美術館・東京新聞
玉蟲敏子『都市のなかの絵──酒井抱一の絵事とその遺響』2004.6.30, ブリュッケ
小林 忠 編『日本の美術』第463号, 酒井抱一と江戸琳派の美学, 2004.12.15, 至文堂
岡野智子「日本美術の叙情性──情趣の系譜」『美術フォーラム21』第16号, p.26-p.27, 2007.11.30, 醍醐書房
玉蟲敏子『アート・ビギナーズ・コレクション もっと知りたい酒井抱一 生涯と作品』2008.9.25, 東京美術
ほしよりこ「江戸琳派への歩み 抱一物語」『美術手帖』No.913, p.58-p.61, 2008.10.1, 美術出版社
図録『尾形光琳生誕三五〇周年記念 大琳派展 継承と変奏』2008.11.4, 東京国立博物館・読売新聞社
仲町啓子 監修『別冊 太陽 日本のこころ177 酒井抱一 江戸琳派の粋人』2011.1.15, 平凡社
宗像晋作「〈出光美術館〉酒井抱一生誕250周年 琳派芸術──光悦・宗達から江戸琳派」『茶道雑誌』第75巻第2号, p.16-p.23, 2011.2.1, 河原書店
立木美江「酒井抱一筆─《夏秋草図屏風》の銀地背景に関する一試論」『九州藝術学会誌 デ アルテ』第27号, p.103-p.127, 2011.3.31, (財)福岡文化財団
Webサイト:「4/6 WAO高校生講座〔世界を魅了した江戸の画家たち〕〜若冲、北斎、琳派〜同志社大学教授:狩野博幸」『高校生のための「超」教養講座』2011.4.17, ワオ・コーポレーション(http://www.youtube.com/watch?feature=endscreen&v=yQD7wU-ne90&NR=1)2012.8.10
玉蟲敏子「特別読物 酒井抱一──艶やかな隠者」『淡交』No.805, 第65巻第7号, p.14-p.15, p.24-p.31, 2011.7.1, 淡交社
図録『酒井抱一と江戸琳派の全貌』2011.9.25, 求龍堂

2012年8月

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