2019年04月15日号
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アート・アーカイブ探求

中原浩大《海の絵》──創造の原基「能勢陽子」

影山幸一

2012年09月15日号


中原浩大《海の絵》1987年, キャンバス・油彩, 300.0×521.0cm, 国立国際美術館蔵
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夏の記号

 カラカラの蝉が生きていたころの形跡を残して死んでいた。秋の虫の声と一緒に蝉の声が猛暑の終わりを高らかに告げるかのように、土に返る間際の断末魔の叫びなのか、ひときわにぎわしい。しかし、どこか寂しくも聞こえるのは、視覚や聴覚により感受した記憶が、引き返せない思い出として甦るからなのかもしれない。感傷的になるが快いこの夏の終わりに、時を経て記号のように浮上してきたのは、中原浩大の《海の絵》(国立国際美術館蔵)である。
 いまから20年ほど前の1990年、東京・東高現代美術館で開催されていた「絵画/日本─断層からの出現」展だったと思う。青一色で描かれた巨大絵画が単純に気持ちよかった。作品に包まれる体験をしたに過ぎなかったのだが、生物の細胞を顕微鏡で拡大したような不思議な図が脳内に引っ掛かっていた。ヒトデや海草、サメ、エイ、人体を想起させる形が私のなかで夏の記号となった。
 中原浩大は絵描きではない。1980年代後半より、おもちゃのレゴブロックによる大きな立体作品などを制作し、彫刻家として活動している。現代美術界におけるアーティストの肩書が、いまどれほどの意味を持つのかわからないが、彫刻家・中原の本格的な絵画作品は《海の絵》以外見たことがない。おそらく《海の絵》は画家・中原では描けなかったと思う。彫刻家を名乗る中原が何ものにもとらわれず自由に描いた痕跡なのだろう。
 豊田市美術館の学芸員、能勢陽子氏(以下、能勢氏)に《海の絵》の見方を伺ってみたいと思った。能勢氏は2001年に中原浩大展を企画し、雑誌で何度か中原へインタビューを行なっている。名鉄豊田市駅から歩いて15分、丘の坂道を登ると建築家の谷口吉生が設計したモダンな美術館がある。


能勢陽子氏

  • 中原浩大《海の絵》──創造の原基「能勢陽子」

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