アート・アーカイブ探求

中原浩大《海の絵》──創造の原基「能勢陽子」

影山幸一

2012年09月15日号

触感を誘う

 能勢氏は本を読むのが好きな少女だったが、家族で大原美術館へ行ったときに初めて芸術に惹きつけられることに気づいたという。そして、大学では16世紀ネーデルラントの画家ヒエロニムス・ボッシュ(1450頃-1516)を研究し、同時に学芸員を目指すようになった。
 ネーデルラント絵画といえば油絵の新しい画法を研究したという画家ヤン・ファン・アイク(1390頃-1441)の謎めいた《アルノルフィニ夫婦像》(1434, ロンドン・ナショナル・ギャラリー蔵)を知るくらいで、ボッシュの名はWebで検索し《快楽の園》(1500頃, プラド美術館蔵)を見て合点がいった。この絵はプラド美術館の至宝でありながら、摩訶不思議な絵としても有名である。しかし能勢氏は、豊田市美術館に勤めてからは主に現代美術を専門としていった。研究対象が変わっても抵抗がなかったというその理由は、ネーデルラント絵画の謎解きに共通するものがあるのかもしれない。
 能勢氏が最初に中原作品を見たのは、『美術手帖』に掲載されていた《無題(果物グラフ)》(1991, 豊田市美術館蔵)とそのドローイングであった。また美術館で作品を目にしたのは、1994年横浜美術館で開催された「戦後日本の前衛芸術」展に出展されていた《Making of Nakahara》(1992, 作家蔵)だった。これらの作品を見たとき、中原の枠にとらわれない自由な感覚が仄かな嬉しさを残して、はっきりと現代美術に開眼したという。
 《海の絵》を国立国際美術館で見たという能勢氏にそのときの感想を伺った。「《海の絵》は実際に海に行ってから描いたと聞いたことがある。海草やくらげ、魚のような有機的な形体が、すべて青のグラデーションで描かれていて、夏休みの絵日記のような自由で開放的な印象を与える。その絵画には、イメージが増殖してはみ出していくような感触があり、それは例えば《ビリジアンアダプター+コウダイノモルフォII》(1989, 豊田市美術館蔵)という毛糸でつくった、床面に拡張していく作品があるが、そうした彫刻とも通底するところがある」。

日常の隙間にある感覚

 中原は1961年岡山県生まれ、京都市立芸術大学の彫刻科教授も務める彫刻家である。「ブロックがたくさん手に入れば大きいものをつくることができるのに」という、子どもの頃の夢を果たした13万個におよぶレゴの巨大作品《無題(レゴ・モンスター)》(1990, 豊田市美術館蔵)が中原を象徴する。
 1980年代より彫刻、インスタレーション、写真など多彩な方法で作品を制作し、「関西ニューウェーブ」「ネオ・ポップ」の作家として、また海洋堂のキットを使ったフィギュア作品《ナディア》(1991-92, 個人蔵)は、村上隆に影響を与えたと言われている。1992年にはオタク的な事象を作品のモチーフとしていた中原のほか、村上隆、ヤノベケンジ、伊藤ガビンを配した「アノーマリ」展が美術評論家の椹木野衣によって企画、1993年はヴェネチアビエンナーレのアペルト部門に招待され、1996年からは文化庁派遣芸術家在外研究員として一年間ニューヨークに滞在するなど、90年代前半の活動は目まぐるしい。
 しかし、その後中原は意識的に現代美術から離れていった。1996年佐谷周吾美術室の「Oide Moukizur!!」展の後、2011年ギャラリーノマルの「paintings」展まで個展を開催していない。だがその間も若い世代から支持されており、2012 年9月22日より伊丹市立美術館で開催される「中原浩大 Drawings 1986-2012 コーちゃんは、ゴギガ?」展が期待されている。
 能勢氏は「中原さんは自らが制作を楽しみ、その動機に忠実でいる純粋さと、美術の流れやルールから巧妙に逃れていく知性が同居した、珍しいタイプの作家。その正反対のものを矛盾せず抱えるのは難しい。言葉にすると一瞬にして逃れていくような日常の隙間にある感覚を、視覚化することができる。中原さんの個人的な記憶や感性に基づいた作品は、誰にでも理解できる開かれたものではないかもしれないが、しかしそこに感応できれば、動的な解放感をある種のユーモアとともに、深く豊かに味わうことができる」と言う。

【海の絵の見方】

(1)モチーフ

海草、くらげ、魚など海の生き物。

(2)タイトル

海の絵。小学生が夏休みの宿題に出された絵日記に書くような題名。《海》としないところに中原の個性がひかる。

(3)制作年

1987年。同年の秋、国立国際美術館で開催された開館10周年記念特別展「絵画1977-1987」に際し、美術館からの依頼により制作された。

(4)画材

キャンバス、油彩。オーソドックスな画材を用いて絵画の形態を取りつつも、ライブ感のあるドローイングを現わす。

(5)サイズ

縦300.0cm×横521.0cm。壁画のような巨大画面。大きいことで鑑賞者は増幅感や揺らぎを感じ、包まれたり潜ったりする体感を得る。

(6)構図

練られた構図というより、楽しい気持ちを一気に定着させ、結果すべてに開かれた感じになった。

(7)色彩

基本的には青一色の諧調で描かれているが、部分的に白、紫、ベージュなども見える。

(8)技法

ペインティング的ではなく、ドローイング的。視線を動かすさまざまな太さの線、空間をつくる絵具の濃淡や余白、スピード感を表わす刷毛などのラフなタッチ、見る人は空間的な動きの面白さを感じる。

(9)サイン

なし。

(10)鑑賞のポイント

ドローイングが巨大化した絵画。画面全体を一瞬で把握することが難しいほど大きいにもかかわらず、厳密な構成をして時間をかけて描いた絵ではない。子どもが無邪気に海へ行って受けた身体的感覚を触覚的、直感的に画面に定着している。そして現代絵画の流れを踏まえたうえで、巨大なタブローの慣習からも逸脱するという2つの要素が重なっている。魚に見えるが抽象的な形態にも見える具象と抽象の揺れる間に往還関係が生まれ、鑑賞者は身体感覚が解放されて、あるひとつの海という有機的な生命体系のなかに身を置く感覚が味わえる。また海は魚が泳いでいたり、海草が揺らめいていたり、イソギンチャクが砂にもぐったりと多様な生態系を持つ一方、光を反射、透過する流動する水そのものでもあり、海の多面的なレイヤーを一枚の絵画にして、海が持つ生理的な触感を詩的に表わしている。

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