命名「復古やまと絵」
「復古やまと絵とは、1931年近代になってつくられた便宜的な言葉である。訥言と浮田一蕙は師弟関係にあったが、冷泉為恭は訥言が亡くなった年に生まれ、訥言に私淑し自分は訥言の生まれ変わりだと言っていたという。また尾張では、訥言に習った渡辺清(1778-1861)や、訥言から影響を受けた森村宜稲(よしね)とその息子宜永(よしなが)等を尾張土佐とも呼んでいる。訥言は尾張の茶会の掛物に欠かせない画家であり、復古やまと絵派の作品は名古屋で今も人気がある。特に昔は茶掛けで一家に一幅訥言といわれ、ステータスでもあった」と、訥言は茶の文化で現代に生きていると吉川氏。
「復古やまと絵派」と命名したのは、美術史家の相見香雨(あいみこうう, 1874-1970)であった。『近世繪畫史』(藤岡作太郎著, 1903, 金港堂)で取り上げていた“古土佐の画道を復興する一派”に着想を得て、『復古大和繪集』(1931, 日本美術協会)で発表し、以後この呼称が広まったといわれる。
吉川氏が復古やまと絵派の有名な逸話を教えてくれた。「訥言が《伴大納言絵巻》を模写し、その模本を冷泉為恭が肌身離さず持っていた。為恭は実物を見てみたいと《伴大納言絵巻》を所蔵していた若狭の国(福井県)小浜藩主の酒井家に出入りし、倒幕運動の時代、武士たちにとがめられて斬殺されてしまったという」。
国学が人気の学問であった当時、やまと絵は時代の潮流にも合っており。特に名古屋周辺は本居宣長をはじめ国学が栄えた地域だった。尾張の画家は、京の都と江戸の中間で京都の雅な文化に対する憧れも強かったと思われる。絵の購買層の要求に応えるようなかたちで、古きよき由緒正しき日本の有識故実(ゆうそくこじつ)★2や歴史ものを描いたのだろうと吉川氏は語った。
狩野派や土佐派、その他の流派などからも描法を習得し、幅広く多彩な描き方が自由にできた絵師訥言は、学んでも表現の模倣はしないという態度で、技法や作風を変えて多様な表現に挑んだ。復古やまと絵の概念はいまだ流動的だが、少なくともやまと絵の古典に学び、写生風の画風を強調するという流れが特徴であり、特定の作品や画風を指すものではないようだ。
★2──朝廷や武家の礼式・典故・官職・法令などに関する古来のきまり。
斬新と優美
訥言作品の振幅の大きさを表わすものとして《日月図(じつげつず)屏風》(名古屋市博物館所蔵)(図参照)がある。「『日月図屏風』は、右隻に夏の朝荒波から昇る金の日輪、左隻に雪の夜水流を照らす銀の半月を描くもの。(略)『百花百草図屏風』が題材・色彩の多彩さを誇るのに比べ、『日月図屏風』は題材色彩ともに極限近くまで削り去る。前者(百花百草図)が時間や題材を並列的に連続させるのに対し、後者(日月図)は季節・時間・場所のすべてを左右隻で対比する。このように両者は対極に位置するように見えるが、実は大きな共通項がある。それは、金地大画面における余白と墨・色の調和という『古今著聞集図屏風』以来の課題への挑戦である。『百花百草図屏風』は、檀紙という凹凸のある紙を用い着彩においては淡彩部を残すことにより、遮蔽感を減じる。『日月図屏風』は金地に種々の切箔を撒き重ね単調さからの離脱を図る」(朝日美砂子「田中訥言の遺産」『美術史家、大いに笑う』pp.360-361より)。
斬新で象徴的な《日月図屏風》と優美で装飾的な《百花百草図屏風》の制作年は数年違いでほぼ同じ時期とみられるが、金地の余白に時間や季節感をイメージさせる《日月図屏風》と、直接草花の配列により季節を示す《百花百草図屏風》。訥言の画業の幅の広さと力量に驚かされるばかりである。
田中訥言《日月図屏風》(左隻・右隻)
江戸時代後期, 紙本金地着色, 六曲一双, 各169.0×361.2cm, 名古屋市博物館蔵
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甦る独創世界
「文化財は私蔵すべきでなく、“保存と公開”すべき」とする岡谷家十代惣助(1887-1965)の遺志を継ぎ、岡谷コレクションのなかから88点の作品が選択され、1965(昭和40)年に徳川美術館所へ寄贈された。《百花百草図屏風》はそのなかの一点であった。訥言と岡谷家とが協力して完成させたこの絵は、現在年に一回ほど不定期に展示公開されている。
「文字の記録だけが残されていても伝わりにくいので、それを絵で示せばよりわかりやすい、と松平定信を中心に模写がつくられた。特に江戸時代は火災が多く、古い絵巻を模写して残す動きがあった。平安時代の古式ゆかしい有識故実などを復興する気運が京都の公家や大名家でも高まってきた。そういった社会的背景のもと模写に長けた画家として訥言は浮上してきた」と吉川氏は語る。
田中訥言による「復古やまと絵」は、先人の画業を後世に残すというより、自身の画風を確立するための修練のひとつとしてやまと絵であったのだろう。自身の経歴を一切記録に残さなかった田中訥言は文字通り“訥言”として作品を残し、独自の画業を達成させたのだ。《百花百草図屏風》からは科学的な写実の目を持った訥言の独創世界が甦ってくる。
主な日本の画家年表
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吉川美穂(よしかわ・みほ)
徳川美術館企画情報部主任学芸員。1971年愛知県一宮市生まれ。1993年名古屋大学文学部哲学科美学美術史専攻卒業。同年徳川美術館学芸員、2011年より現職。専門:日本近世絵画史。所属学会:美術史学会。主な論文:「田中訥言と尾張のパトロン─田中訥言研究(一)」『金鯱叢書』第27輯(徳川黎明会, 2000)、「パトロネージが生んだ傑作─田中訥言筆 百花百草図屏風」図録『豪商のたしなみ─岡谷コレクション』(徳川美術館, 2012)など。
田中訥言(たなか・とつげん)
江戸後期の画家。1767〜1823。尾張出身(推定)、本名など不明。復古やまと絵派の祖。幼少期に日蓮宗の寺に入門、後に比叡山延暦寺で天台宗を学ぶ。京狩野の石田幽汀に手ほどきを受け還俗。土佐光貞を師事し、1788年22歳で法橋。1790年新御所造営の障壁画製作。平安・鎌倉時代の古土佐や漢画の古典を模写・研究。落款に見られる号として訥言、癡翁(ちおう)、虎頭(ことう)、晦存(かいそん)、求明(きゅうめい)。1817年尾張で展示即売会「二百幅画会」を開催。1818年色彩研究書『色のちくさ』刊行。1823年57歳没。主な作品:《古今著聞集(ここんちょもんじゅう)図屏風》《百花百草図屏風》《日月図屏風》など。
デジタル画像のメタデータ
タイトル:百花百草図屏風。作者:影山幸一。主題:日本の絵画。内容記述:田中訥言, 江戸時代後期, 紙本金地着色, 六曲一双, 各縦155.2×横353.8cm, 重要文化財。公開者:(株)DNPアートコミュニケーションズ。寄与者: 徳川美術館、(株)DNPアートコミュニケーションズ。日付:─。資源タイプ:イメージ。フォーマット:Photoshop, 右隻44.9MB・左隻45.1MB(1,000dpi, 16bit, RGB)。資源識別子:TAM000184(右隻)、TAM000188(左隻)。情報源:徳川美術館、(株)DNPアートコミュニケーションズ。言語:日本語。体系時間的・空間的範囲:─。権利関係:徳川美術館、(株)DNPアートコミュニケーションズ
【画像製作レポート】
《百花百草図屏風》は徳川美術館が所蔵する。写真画像は「徳川美術館イメージアーカイブ」を扱うDNPアートコミュニケーションズより入手。作品画像を使用する依頼書をDNPアートコミュニケーションズへメール送信。翌日画像(カラーガイド・グレースケールなし)をダウンロードするURLがIDとパスワードとともに返信されてきた。右隻114.6.9MB・左隻114.2MB(TIFF, 1,000dpi, 16bit, RGB)を収納。
iMacの21インチモニターをEye-One Display2(X-Rite)によって調整後、図録の作品画像を参照しながら、右隻は時計回りに0.2度、左隻は反時計回りに0.4度回転させ、屏風に沿って切り抜きPhotoshopファイルに保存。《百花百草図屏風》は金箔の調子を整えるのに苦労した。特に右隻と左隻のバランス調整に時間が掛かった。画像のセキュリティーを考慮して、画像には電子透かし「Digimarc」を埋め込み、高解像度画像高速表示Flashデータ「ZOOFLA」によって、コピー防止と拡大表示ができるようにしている。
●画像と文字の関係構築や表示方法など、美術雑誌のデジタルアーカイブ事例として参考になるWebサイト「『みづゑ』の世界 東京文化財研究所所蔵資料アーカイブズ」試行版が2012年10月から公開されている。雑誌『みづゑ』の創刊号から10号までだが、東京文化財研究所と国立情報学研究所との共同研究による成果である。
参考文献
東海美術協会編『訥言画集』1931.11, 中島嶸
山田秋衛『田中訥言』1938.6.16, 曾保津之舎
木下稔「田中訥言と復古大和絵─略伝と作品の考察─」『金鯱叢書─史学美術史論文集─』第3輯, pp.737-757, 1976.3.30, 徳川黎明会
木下稔「─基礎資料─田中訥言の落款について」『金鯱叢書─史学美術史論文集─』第9輯, pp.515-538, 1982.6.30, 徳川黎明会
木下稔「田中訥言筆〔百花百草図〕屏風について─徳川美術館蔵─」『金鯱叢書─史学美術史論文集─』第12輯, pp.517-543, 1985.6.30, 徳川黎明会
吉川美穂「田中訥言と尾張のパトロン─田中訥言研究(一)─」『金鯱叢書─史学美術史論文集─』第27輯, pp.289-324, 2000.11.30, 徳川黎明会
Webサイト:龍澤彩「春季特別展 百花百草〜花と木によせる日本の心〜」『徳川美術館』2003(http://www.tokugawa-art-museum.jp/planning/h15/01/description.html)徳川美術館, 2012.11.7
Webサイト:「春季特別展 百花百草〜花と木によせる日本の心〜」『徳川美術館』2003(http://www.tokugawa-art-museum.jp/planning/h15/01/obj07.html)徳川美術館, 2012.11.7
朝日美砂子「田中訥言の遺産」『美術史家、大いに笑う─河野元昭先生のための日本美術史論集』pp.347-365, 2006.4.20, ブリュッケ
図録『尾張のやまと絵 田中訥言』2006.10.22, 名古屋城特別展開催委員会
Webサイト:「企画展案内」『徳川美術館』2008(http://www.tokugawa-art-museum.jp/planning/h20/01/obj08.html)徳川美術館, 2012.11.7
吉田英俊『尾張の絵画史研究』2008.11.20, 清文堂出版
Webサイト:横山明子「田中訥言筆《百花百草図屏風》にみる江戸時代のやまと絵─描かれた草花表現を中心に─」『京都造形芸術大学通信教育部サイバーキャンパス』2009(http://kirara.cyber.kyoto-art.ac.jp/digital_kirara/graduation_works/detail.php?act=dtl&year=2009&cid=551&ctl_id=67&cate_id=25)京都造形芸術大学, 2012.11.7
Webサイト:山本真美「田中訥言の模写に関する考察」『金沢美術工芸大学 芸術学』2011(http://www.kanazawa-bidai.ac.jp/www/contents/gallery/zuroku/11book/aesthetics/14.html)金沢美術工芸大学, 2012.11.7
Webサイト:津木林洋「画道遥かなり」『津木林洋の作』品倉庫』2011(http://www.eonet.ne.jp/~yo-tsukibayashi/work49.htm)津木林洋, 2012.11.7
Webサイト:「企画展案内」『徳川美術館』2012(http://www.tokugawa-art-museum.jp/planning/h24/04/obj01.html)徳川美術館, 2012.11.7
図録『新館開館25周年・徳川園80周年記念 春季特別展 豪商のたしなみ─岡谷コレクション─』2012.4.14, 徳川美術館
2012年11月