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谷 文晁《富士山図屏風》折衷様式の“写意”──「上野憲示」

影山幸一

2012年12月15日号

“写意”

 上野氏は「文晁は画業から見ると第一流の作家。3次元、4次元の世界をどのように2次元の平面世界に描くか。これがすごく上手い画家であり、教育者としても力がある。自分の画風を押しつけるのではなく、弟子のよいところを伸ばすために材料をどんどん提供している。最初は臨摸(りんも)といって手本そっくりに写させ、それを段々と自分のものにしていく。意を写す“写意”である。魅力の本質を感じ取って表現していくと、日本的な穏やかな南画が出てくる。中国の伝統的な水墨画は自然があまりにも険峻で人間を遠ざけてしまうが、日本は箱庭的で自然の中に人の声が聞こえる感じがする」と言う。南画は祇園南海(ぎおんなんかい)や柳沢淇園(やなぎさわきえん)らが先駆者となり、池大雅(いけのたいが)と与謝蕪村(よさぶそん)が江戸中期に大成した。ゆったりとした南宗風の関西の南画に対し、文晁率いる関東の南画は、南宗画と、厳しい自然の一角をとらえた鋭い輪郭線を用いる北宗画を折衷し、諸派を取り入れた画風となっていった。
 “写意”と“写生”“気韻生動”の理念を持ち、異質の美術概念を得て、伝統的な日本画をより高い極みに止揚しようという信念を文晁のように持つことが大事であると上野氏。折衷様式を確立した文晁から学ぶものは多い。

出現した富士

 大晦日の夜に富士を描き、大きく文晁と落款した扇子を江戸市中に何百本となくばら撒いたという逸話が残っている文晁。明けてお正月になれば、当代屈指の画家が描いた富士の扇子が町中に散らばっている。なんとも粋なめでたい年明けの風情である。
 上野記念館も文晁の富士山図を所蔵している。金地金泥の清涼な《富士筑波図屏風》と臨場感溢れる《富嶽図屏風》(図参照)である。《富士山図屏風》と同じ作家が描いた富士山とは思えないほど表現は異なるが、これは制作年代によるものなのだろうか。「晩年期、文政の後半から天保にかけては、筆が走っているというか、運筆の速いものが主流である。あらゆる様式を学び、構図もそのパターンを数多く頭に入れていた文晁にとっては、名人芸として、すばやいタッチで密画に負けない名品を生みだすことができる、そんな自負心もあったようである。当然、粗画と評される失敗作は多いが、成功したものは確かに人を唸らせるだけの魅力を備えている」(上野憲示「写山楼谷文晁の隆盛と作画の軌跡」図録『没後160年「谷文晁展─若き日の憧憬」』p.71より)。制作年代によって描写表現の特徴はあるが、作品の質は必ずしも制作年代に関係しないと上野氏は述べている。多作であった文晁の作品は贋作が多く、画面の奥行き感や作品の品格、落款などを合わせて見て、真贋を判別していると上野氏は言う。
 およそ千年前に制作された《聖徳太子絵伝》にも描かれていた富士山だが、《富士山図屏風》は近年出現し、2002年静岡県立美術館に収蔵された。文晁研究に新たな作品が加わり、濫作期といわれている「烏文晁」時代の作品も評価が高くなってくるかもしれない。


左:谷文晁《富士筑波図屏風》(左隻)1823(文政6)年頃, 紙本金地着色, 六曲一双, 196.5×371.8cm, 上野記念館蔵/右:谷文晁《富嶽図屏風》江戸時代後期, 紙本着色, 四曲一隻, 159.3×292.0cm, 上野記念館蔵
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主な日本の画家年表
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上野憲示(うえの・けんじ)

文星芸術大学学長。上野記念館館長。1948年大阪府生まれ。1972年東京大学文学部美術史学科卒業。1972年栃木県立美術館学芸員、1976年上野記念館館長、1983年県立美術館退職後、宇都宮学園に入り学校経営に参加、1989年宇都宮文星短期大学開学、1999年文星芸術大学開学、現在に至る。美術評論家連盟会員。専門:日本美術史。主な著作:『鳥獣人物戯画(日本絵巻大成6)』(中央公論新社, 1977)、『伴大納言絵巻─国宝絵巻』(岩崎美術社, 1978)、『渡辺崋山の写生帖 毛虫魚冊』(グラフィック社, 1980)、『文晁・崋山・椿山』(駸々堂出版, 1993)、『おもしろ日本美術I』(文星芸術大学出版, 2008)など。

谷文晁(たに・ぶんちょう)

江戸後期の画家。1763〜1840。江戸生れ。田安家の家臣で漢詩人でもあった谷麓谷の長男。通称は文五郎。号は写山楼、画学斎、無二庵主など。初め絵を加藤文麗、渡辺玄対らに学ぶ。狩野派、土佐派、四条派、中国画、洋風画など、さまざまな画派を取り入れた折衷様式を確立し、多彩な画才を発揮。山水画を中心に、肖像画にも優れた。酒井抱一と交遊、立原杏所、渡辺崋山、高久靄厓、椿椿山など門弟も多い。1792年松平定信の近習となり、相模伊豆湾岸巡視に随行し《公余探勝図》を制作、古社寺の文化財記録による『集古十種』編纂、『文晁画譜』刊行。1837年に法眼となる。主な作品:《公余探勝図》《木村蒹葭堂像》《富士山図屏風》など。

デジタル画像のメタデータ

タイトル:富士山図屏風。作者:影山幸一。主題:日本の絵画。内容記述:谷文晁, 1835(天保6)年, 紙本墨画, 六曲一隻, 163.1×363.2cm。公開者:(株)DNPアートコミュニケーションズ。寄与者: 静岡県立美術館。日付:─。資源タイプ:イメージ。フォーマット:Photoshop, 12.9MB(350dpi, 8bit, RGB)。資源識別子:JBD16。情報源:静岡県立美術館。言語:日本語。体系時間的・空間的範囲:─。権利関係:静岡県立美術館






【画像製作レポート】

 《富士山図屏風》は静岡県立美術館が所蔵する。企画書をFaxして画像貸出係へ電話。4日後4×5カラーポジフィルム(カラーガイド付き、グレースケールなし)を送って頂いた。ポジに同封してあった「特別観覧承認申請書」に必要事項を記入し、社版を捺印後、美術館へ送付。一週間後「承認書」と「納入通知書」が届き、特別観覧料3, 000円を納入。ポジフィルムはプロラボにて350dpi, 20MB(8bit, RGB)にスキャニングし、TIFFファイルに保存、2,100円。
 iMacの21インチモニターをEye-One Display2(X-Rite)によって調整後、図録の作品画像を参照しながら、デジタル画像を時計回りに0.3度回転させ、屏風に沿って切り抜きPhotoshopファイルに保存。紙の白色がやや黄色味がかっていたため、色相と彩度の微妙な操作で白色を調整した。画像では群青色がよく見えないのが残念。画像のセキュリティーを考慮して、画像には電子透かし「Digimarc」を埋め込み、高解像度画像高速表示Flashデータ「ZOOFLA」によって、コピー防止と拡大表示ができるようにしている。
[2021年4月、Flashのサポート終了にともない高解像度画像高速表示データ「ZOOFLA for HTML5」に変換しました]



参考文献

図録『写山楼谷文晁 1979』1979, 栃木県立美術館
図録『江戸派の絵画』1979.10.27, 神奈川県立博物館
河野元昭 編著『日本の美術 谷文晁』No.257, 1987.10.15, 至文社
小林忠・河野元昭 監修『江戸名作画帖全集III 文人画(3)文晁・崋山・椿山』責任編集:上野憲示, 1993, 12.3, 駸々堂出版
小林忠監修『画集 文晁の東海道勝景』解説:平林彰, 1998.11.29, 羽衣出版
図録『特別展 江戸南画の潮流I ─谷文晁と鈴木芙蓉─』1999, 飯田市美術博物館
上野憲示「写山楼谷文晁の隆盛と作画の軌跡」図録『没後160年「谷文晁展─若き日の憧憬」』pp.70-71, 2000.9.9, 田原町博物館
図録『岩手県立博物館 第60回企画展図録「日本名山図会」と川村寿庵』2008.10.11, 岩手県立博物館
星野鈴「谷文晁筆 富岳圖屏風」『國華』第1273号, p26-p.30, 2001.11.20, 國華社
渥美國泰『写山楼谷文晁のすべて 今 晩期乱筆の文晁が面白い』2002.5.25, 里文出版
Webサイト:「谷文晁」『静岡県立美術館』2003(http://www.spmoa.shizuoka.shizuoka.jp/_archive/collection/item/J_147_836_J.html)静岡県立美術館, 2012.12.11
図録『富士山の絵画 収録品図録』2004.2.20, 静岡県立美術館
成瀬不二雄『富士山の絵画史』2005.11.10, 中央公論美術出版
Webサイト:「収蔵品展 日本画の世界 文雅の心─谷文晁など」『静岡県立美術館』2005(http://www.spmoa.shizuoka.shizuoka.jp/_archive/exhibition/shuzouhin1112_1218.html)静岡県立美術館, 2012.12.11
図録『江戸文化シリーズNo.23 谷文晁とその一門』2007.9.8, 板橋区立美術館
『別冊太陽 日本のこころ150 江戸絵画入門 驚くべき奇才たちの時代』2007.12.20, 平凡社
Webサイト:「谷文晁〔富士山図屏風〕」『美の巨人たち』2007(http://www.tv-tokyo.co.jp/kyojin/backnumber/070526/index.html)テレビ東京, 2012.12.11
上野憲示『おもしろ日本美術I』2008.4.20, 文星芸術大学出版
土井白亭「関東画壇の雄(江戸時代後期)谷文晁その美の世界」『日本書法』第5巻第3号通巻20号、p.4-p.5, 2009.12.25, 書道芸術社
Webサイト:飯田 真「アマリリス2009年度春No.93 研究ノート 天保期の富士山図・谷文晁筆〔富士山図屏風〕をめぐって」『静岡県立美術館』2009(http://www.spmoa.shizuoka.shizuoka.jp/japanese/amaryllis/no_93/04.php)静岡県立美術館, 2012.12.11
鈴木利昌「江戸後期の風景表現」図録『渡辺崋山没後170年・田原市博物館/秋の企画展 江戸後期の新たな試み──洋風画家谷文晁・渡辺崋山が描く風景表現』p.103-p.107, 2011.9.10, 田原市博物館
Webサイト:「谷文晁派(写山楼)粉本・模本資料データベース」『東洋文化研究所 東アジア美術研究室』2012.8.12(http://cpdb.ioc.u-tokyo.ac.jp/edo/buncho.html)東京大学, 2012.12.11
図録『江戸絵画の楽園』2012.10.7, 静岡県立美術館
Webサイト:「コレクション 風景の交響楽 心にひびく富士山水墨画の傑作」『静岡県立美術館』(http://www.spmoa.shizuoka.shizuoka.jp/japanese/collection/symphony/fukei/pt1_13.php)静岡県立美術館, 2012.12.11

2012年12月

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