アート・アーカイブ探求

小倉遊亀《浴女 その一》──強くしなやかな線、清廉の美「國賀由美子」

影山幸一

2013年02月15日号


小倉遊亀《浴女 その一》1938年, 絹本彩色・額, 210.0×176.0cm, 東京国立近代美術館蔵
無許可転載・転用を禁止

水の質感

 かつての現代美術が、いま、近代美術であり、やがて古典となり永遠の生命を得るということを実感した展覧会が「美術にぶるっ! ベストセレクション 日本近代美術の100年」(2012.10.16〜2013.1.14)であった。現代でもない、古典でもない、その中間に位置する近代の名品に、古典となり得る刻印を押すかのように総覧して見せた。戦争という深刻な時代をくぐり抜けてきた作品だからか見る者に力を与えてくれる。タイトルの軽みが似合うのは、近代美術作品の包容力なのだ。
 この東京国立近代美術館(以下、東近美)開館60周年を記念した特別展では、500点を超す作品が本館1階から4階の全フロアに展示された。普段は揃って鑑賞する機会の少ない東近美が収蔵する重要文化財13点も一堂に展覧され、見ごたえのある近代美術の回顧展であった。
 そのなかで、一段と冴えて見えた絵画が、小倉遊亀の《浴女 その一》(東京国立近代美術館蔵)であった。照明を落とした薄暗い展示室に、白い四角いタイルと緑色の揺らめく湯が近代の作品とは思えないほど、あるいは修復を終えたばかりのように鮮やかだった。近づいてみると意外に画面は大きく、湯気が微妙な絵具の濃淡によって表現され、タイルでない洗い場は点々と白い絵具を盛り上げ、家庭ではない日本の風呂場のリアルと、慎ましくも大胆な女たちの内面を想像した。また同時にイギリスの画家デイヴィッド・ホックニーのプールのある邸宅作品《Portrait of an Artist(pool with two figures)》が浮かんできた。光と水の存在で錯覚する歪んだ面や屈折した線が、透明な水の質感を表わしていて心地よい。
 浴漕内の湯に着眼した遊亀の感性に感心しつつ、モダンな日本画が誕生した時代背景や女流画家が裸婦を描く心境などに興味は増してきた。遊亀の出身地、滋賀県で小倉遊亀はどのように受け止められているのだろうか。2010年に開催された『没後10年 小倉遊亀展』の図録で「小倉遊亀の画業を振返って」を執筆している滋賀県立近代美術館主任学芸員の國賀(くにが)由美子氏(以下、國賀氏)に《浴女 その一》の見方と、画家小倉遊亀について伺いたいと思った。


國賀 由美子氏

  • 小倉遊亀《浴女 その一》──強くしなやかな線、清廉の美「國賀由美子」