アート・アーカイブ探求
小倉遊亀《浴女 その一》──強くしなやかな線、清廉の美「國賀由美子」
影山幸一
2013年02月15日号
目線
JR京都駅から電車とバスで40分ほど、滋賀県大津市瀬田の「びわこ文化公園(文化ゾーン)」内に滋賀県立近代美術館はあった。美術館は冬期休館中で敷地の広い博物館のようだったが館内は暖かった。
1984年滋賀県立近代美術館の開館記念展のひとつは小倉遊亀展だったという。開館当初より小倉遊亀コーナーが常設され、常時遊亀の作品を20点ほど展示しており、遊亀との関係は深い。
國賀氏が小倉遊亀展を担当したのは、2000年に遊亀が亡くなったあとの2001年の追悼展からである。國賀氏は、1959年大阪府吹田市に生まれ、少女時代から古いものごとを調べるのが好きだったという。漢文や古文、文楽や歌舞伎、雅楽などに関心を持ち、正倉院展には高校生のときから毎年行き《鳥毛立女屏風(とりげりつじょのびょうぶ)》などを見ていた。大学では文学部の日本文化史学を専攻し、絵画史料から歴史を読み解くことを学んだ。卒業論文は国宝の《粉河寺(こかわでら)縁起絵巻》をテーマに歴史論文を書いたという。この卒業論文を書いていくなかで研究する面白さを知ったことが動機となり、卒業後の2年間は銀行に勤めたが、大学院へ復学した。「銀行を辞めるときは謝ってまわりました」。1988年滋賀県立近代美術館の学芸員となり、「近江八景:湖国風景画の成立と展開」展のアシスタントから仕事に入った。日本の絵画史の展覧会や近代日本画家の個展などを企画。京狩野四代目の狩野永敬(えいけい)に師事した滋賀県出身の絵師である高田敬輔(けいほ)の研究者でもあり、今年在勤25年目を迎える。
《浴女 その一》は、図録などを見て知っていたが、実物を意識的にじっくりと見たのは東近美が増築改修工事を行なった1999年ごろ、東近美の収蔵庫だったと思う、と國賀氏は言う。そして特に印象に残ったのは、「浴漕内のお湯。それから背景のタイル壁は水平の目線でありながら、手前の浴漕は上から下を俯瞰した目線であること。そのとき伝統的な日本の絵画の目線だと思った。また女性の身体のラインも、陰影が付いていない線だけで描く伝統的な描写であること。この絵がモダンと言われ、そのような解説も多いが、伝統的な線描の美しい日本画らしい日本画だと思う。でもこのお湯の表現は遊亀さんの造形への関心を端的に伝えている」と語った。
一枚の葉っぱ
小倉遊亀は1895(明治28)年、現在の滋賀県大津市の時計商の家に生まれた。旧姓は溝上(みぞがみ)といい、雅号のような遊亀は本名である。大津高等女学校から奈良女子高等師範学校(現奈良女子大学)に進み総代で卒業した遊亀は、体の弱かった母親を看病しながら京都、名古屋、横浜で教師を務め、1920年25歳のときに歴史画で著名な安田靫彦(やすだゆきひこ, 1884-1978)に入門した。安田は、遊亀の出来上がった型を破ることを説き、まず写生をしっかりと、見た感じを逃さぬように描けば、その度に違う表現に至ると、「一枚の葉っぱが手に入ったら、宇宙全体手に入ります」と伝授した。また速水御舟が1921(大正10)年院展に出品した作品《菊》(滋賀県立近代美術館永久寄託)を見て遊亀は目からうろこが落ちたという。盛りを過ぎて命を終えようとする菊の花に「菊の真髄を描いている。菊の命を描き取っている」と大きな影響を受ける。1926(大正15・昭和元)年遊亀は日本美術院展に《胡瓜》を出品し初入選、昭和という時代を日本画家として歩み始めていった。
1932年37歳で女性初の日本美術院の同人(どうにん) となり、1938年江戸無血開城に尽力した山岡鉄舟の門下である禅師・小倉鉄樹(てつじゅ)と結婚。神奈川県北鎌倉に移り住み、終生の地とした。戦争を経て、すべてのものに仏性を見る「物みな仏」という遊亀の制作姿勢から生まれた静物画を、安田は「北鎌倉の特産品」と称賛する。西洋モダニズム絵画を吸収し、1962年67歳で日本芸術院賞。70代を迎えて《径(こみち)》《菩薩》《観自在》《舞妓》《姉妹(あねいもと)》《舞う》《涼》《聴く》と、毎年秀作を生み出した。
【浴女 その一の見方】
(1)モチーフ
少女と年輩の女性。
(2)タイトル
浴女 その一(よくじょ そのいち)。ルノワールの《浴女たち》(1918-1919)と似ている。
(3)制作年
1938(昭和13)年9月。同年12月に43歳の遊亀は、73歳の小倉鉄樹と結婚する。
(4)画材
絹本彩色。額装。軸や屏風に代わって額装が多くなったころの作品。
(5)サイズ
縦210.0×横176.0cm。
(6)構図
遠くのものは水平の目線で、近くのものは屋内であれば吹き抜け屋台のように、上から見下ろす目線で描く構図は、伝統的な日本画の形式。また三角形の髪型の女性が足を重ねて三角形をなすポーズ、四角いタイルに四角い浴漕など、同じフォルムを重複させて全体を調和させる幾何学的で力強い構成。
(7)色彩
白、黒、緑、青、赤、黄、茶、灰色、肌色。繊細で澄んだ色調、色数やグラデーションの変化を抑えている。
(8)描法
直線とさまざまな曲線を用いた線描。髪の毛の質感表現など、一本ずつ細密な線描が施されている。
(9)落款
なし。
(10)鑑賞のポイント
湯によって直線が曲線になるところなどは、素直に造形の面白さが表現されている。古典的な線描表現のなかに、歪む線と不定形な色面を加え、静穏な空間を体感できる美しい日本画である。小林古径の《出湯》(1921, 東京国立博物館蔵)や《髪》(1931, 永青文庫蔵)の影響がうかがえるが、群馬県の四万(しま)温泉での印象をもとに、当時の日本画としては珍しいヌードの女性を描いた。湯に浸かる肌の色と裸体のしなやかな輪郭線に清廉な女性美を見出した。また点と線、直線と曲線、線描と着彩、白色と緑色、二人の女性など、対比することで差異は強調され、見る楽しさが増す。本作品は第25回院展に出品し、第26回院展へ出品した《浴女 その二》と対をなす作品。遊亀には風呂場を題材にした1925年制作の《童女入浴》があるが院展に落選。安田の勧めで1926年第1回革丙会(かくへいかい)に出品し、小林古径と速水御舟に注目された。綿密な下絵に基づいて制作された《浴女 その一》は、《童女入浴》の発展系と見ることができる。結婚直前、戦前期の代表作である。