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呉春《白梅図屏風》変容にみる暗香の余情──「冷泉為人」

影山幸一

2013年05月15日号

江戸時代の心

 冷泉氏は、呉春の軽妙なスマートさが眩しく若い頃は呉春を理解できなかったそうだ。とくに師蕪村没後に応挙へ私淑する変わり身の速さ、節操の無さが許し難かったというが、いま改めて《白梅図屏風》を見ると「《白梅図屏風》は、型を踏まえて、伝統を踏まえて先の人がいっぺん変容したものをもう一回変容している。江戸時代の“見たて★3”と“もじり★4”みたいな感じ。われわれ日本人は器用ですから、古典や伝統を自分流に解釈し、自分風に表現していく“変容”ということが特質ではないかと考えている。だから《白梅図屏風》は江戸時代の日本人の心とは何なのか、という一つの例になると思う」。  
 さらに「中国の「羅浮神仙(らふしんせん)」の逸話が思い出される。趙師雄(ちょうしゆう)が羅浮山(らふざん)の梅の名所で窈窕(ようちょう)たる佳人と一旗亭(いっきてい)(酒店)で酒を酌み交わし歌い舞ううちに酩酊(めいてい)して寝入ってしまい、翌朝、目覚めあたりを見回すと美人の姿はなく、梅樹の傍らに寝ていたという話である。その美人は梅の精の化身であったという。このように本屏風は妖しい美しさがあるのである」と述べている(冷泉為人『聚美』Vol.1, p.90)。

★3──対象を他のものになぞらえて表現すること。
★4──言葉を滑稽にまたは寓意的に変えたもの。

町家の奥座敷

 四条派の特徴を冷泉氏は「檀那衆の要望に応えて花鳥、美人画を静かに表現しているところ。四条派は中国の思想がわからないと描けない。結局教養がないとわからない。夜の梅を見てどこまで考えるかが問われる。呉春は“わかりまっかー”と非常に慎ましやかに表現している。“さぁ、見て頂戴”ということではない。これは四条派の芸の見せどころだと思う。いわゆる筆のみせどころ。いわば“本当にあんたらわかっているならかかっておいで”と。それがわかると、うーんと唸ってしまうわけです。僕の大学時代の恩師、加藤一雄先生がよく言ってましたが、江戸時代の後半、幕末に近づけば近づくほど、狩野派も土佐派も力をなくしてきて、残ったのは花鳥と美人だけ。これを上手に時代に合ったように展開したのが四条派。当時の町家の奥座敷に実にぴたりとよく似合った」と述べた。
 応挙を祖とする円山派と呉春を祖とする四条派を合わせて現在は円山四条派と呼んでいる。円山派以前は、画手本(粉本)をもとに作画する完成した型を伝授していくのが普通であったが、円山四条派は画手本に従わず、実物を写した作画方法として応用のきく基本を教えたところが斬新だった。その特色は生物の生きている様をスケッチする“写生”といわれるが、見えるがまま以上の本質の姿を描く“写実”を含む用語として説明される。
 呉春とともに四条派の基礎をつくり上げた弟子に、呉春より27歳年下の異母弟、松村景文(1779-1843)がいた。その他門下には岡本豊彦や柴田義董(ぎとう)がおり、多くの弟子が四条近くに住んでいたため、のちに流派名となった。四条派は、円山派と並んで明治以後の京都画壇に大きな影響を与え、近代日本画の礎として現代につながっている。




主な日本の画家年表
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冷泉為人(れいぜい・ためひと)

上冷泉家第25代当主、公益財団法人冷泉家時雨亭文庫理事長、立命館大学非常勤講師、同志社女子大学客員教授。1944年兵庫県加古郡稲美町生まれ。旧姓名、松尾勝彦。1968年関西学院大学文学部美学科卒業、1970年同大学大学院文学研究科修士課程修了、1973年同大学院文学研究科美学美術史専攻博士課程単位取得満期退学。1978年大手前女子大学専任講師、1983年同大学助教授、1993年同大学教授、1996年池坊学園理事評議員、1999年池坊短期大学学長、2002年同大学学長退職後、同年4月より財団法人冷泉家時雨亭文庫理事長。専門:日本近世絵画史。所属学会:美術史学会、美学会。主な編著書に『日本屏風絵集成〈第8巻〉花鳥画』(共著/講談社, 1978)、『花鳥画の世界6 京派の意匠』(共著/学習研究社, 1981)、『円山応挙画集』(共著/京都新聞社, 1999)、『京都冷泉家の八百年─和歌の心を伝える』(NHK出版, 2005)など。

呉春(ごしゅん)

江戸中期の画家・俳人。四条派の祖。1752-1811。京の堺町四条下る生まれ。本姓は松村。名は豊昌、字は裕甫、通称文蔵。その後姓名を中国風に、孫石(そんせき)、字を可転(かてん)。さらに存白(そんぱく)、字を允白(いんぱく)。号は月溪、蕉雨亭(しょううてい)、百昌堂(ひゃくしょうどう)、三菓堂(さんかどう)など。代々金座の役人に従事。画技を大西酔月に習い、20歳頃蕪村の内弟子となる。1782(天明2)年の春を呉服の里で迎え、姓を呉、名を春、字を伯望と改め、31歳で剃髪。1787(天明7)年円山応挙のもとで兵庫県香住(かすみ)の大乗寺障壁画を制作。1789(寛政元)年京都四条に転居。応挙の写生画を学び、軽妙瀟洒な画風をもつ四条派を樹立。60歳没。主な作品:《白梅図屏風》《四季耕作図襖》《夏冬山水図屏風》《山水図襖》《柳鷺群禽図(りゅうろぐんきんず)屏風》《松下游鯉(ゆうり)・岩上孔雀図双幅》《蔬菜(そさい)図巻》など。

デジタル画像のメタデータ

タイトル:白梅図屏風。作者:影山幸一。主題:日本の絵画。内容記述:呉春, 1790(寛政2)年頃, 絹本墨画著色, 六曲一双, 各隻縦175.5×横373.5cm, 重要文化財。公開者:(株)DNPアートコミュニケーションズ。寄与者: 逸翁美術館。日付:─。資源タイプ:イメージ。フォーマット:Photoshop, 左隻55.8MB・右隻55.6MB(1,504dpi, 8bit.RGB)。資源識別子:左隻(1179_1)・右隻(1179_2)〔各TIFF, 1,504dpi, 114.2MB〕。情報源:逸翁美術館。言語:日本語。体系時間的・空間的範囲:─。権利関係:公益財団法人阪急文化財団 逸翁美術館






【画像製作レポート】

 《白梅図屏風》は、逸翁美術館が所蔵。作品画像の借用についての依頼書を美術館へFax後、電話で用件を伝えた。数日後カラーポジフィルム(カラーガイド付き、グレースケールなし)をデジタル化した画像データを送信してもらう。右隻・左隻ともに1,504dpi, 114.2MB(TIFFファイル)、無料。
 iMacの21インチモニターをEye-One Display2(X-Rite)によって調整後、書籍の作品画像を参照しながら、デジタル画像を反時計回りに右隻0.18度、左隻0.3度回転させ、屏風の縁に沿って切り抜き右隻55.6MB・左隻55.8MB(1,504dpi, 8bit, RGB)、Photoshopファイルに保存。右隻と左隻ともにポジフィルムが古いのか画像全体の色味が薄く彩度を上げ調整した。
画像のセキュリティーを考慮して、画像には電子透かし「Digimarc」を埋め込み、高解像度画像高速表示Flashデータ「ZOOFLA」によって、コピー防止と拡大表示ができるようにしている。
[2021年4月、Flashのサポート終了にともない高解像度画像高速表示データ「ZOOFLA for HTML5」に変換しました]



参考文献

藤岡作太郎『近世繪畫史』1914.10.1, 金港堂書籍
稲束猛・吉田鋭雄『池田人物誌(下巻)』1924.8.31, 太陽日報社
稲束猛「呉春論要」『逸翁清賞』(1), p.29-p.31, 1957.10.1, 逸翁美術館
岡田利兵衛『俳画の世界』1966.7.7, 淡交社
鈴木進編『日本の美術』No.39(応挙と呉春), 1969.7.15, 至文堂
望月信成 監修『毎日放送文化双書3 大阪の文化財』1973.11.20, 毎日放送
山川武『日本美術絵画全集 第22巻 応挙/呉春』1977.4.25, 集英社
山川武『〈愛蔵普及版〉日本美術絵画全集 第22巻 応挙/呉春』1980.7.23, 集英社
西山松之助『芸の世界──その秘伝伝授──』1980.3.15, 講談社
『週刊朝日百科 世界の美術 江戸時代後期の絵画2 円山・四条派と若冲・蕭白』第129号 通巻249号, 1980.9.14, 朝日新聞社
山川武「呉春筆 白梅圖屏風」『國華』No.1053, p.24-p.25, 1982.7.20, 國華社
小嵜善通「寛政期以降の呉春について」『MUSEUM』No.455, p.24-p.34, 1989.2, ミュージアム出版
図録『清賞 逸翁美術館名品図録』1992.10.1, 逸翁美術館
源 豊宗監修・佐々木丞平編『京都画壇の一九世紀 第2巻 文化・文政期』1994.10.1, 思文閣出版
佐々木丞平・正子『文人画の鑑賞基礎知識』1998.12.15, 至文堂
岡田彰子「〈逸翁美術館〉早春展〔呉春と景文〕に寄せて 逸翁と呉春」『茶道雑誌』第68巻第2号, p.33-p.37, 2004.2.5, 河原書店
冊子『呉春筆白梅図屏風─円山四条派の絵画─』2010.1.16, 逸翁美術館
Webサイト:「呉春〔白梅図屏風〕」『KIRIN ART GALLERY美の巨人たち』2010.2.13(http://www.tv-tokyo.co.jp/kyojin/backnumber/100213/)テレビ東京, 2013.4.27
山川武『応挙・呉春・蘆雪 円山・四条派の画家たち』古田 亮編, 2010.6.18, 東京藝術大学出版会
Webサイト:内山章子「呉春筆《白梅図屏風》についての一考察─蕪村と応挙の影響について─」『京都造形芸術大学通信教育部サイバーキャンパス』2011(http://kirara.cyber.kyoto-art.ac.jp/digital_kirara/graduation_works/detail.php?act=dtl&year=2011&cid=551&ctl_id=94&cate_id=6)京都造形芸術大学, 2013.5.9
山下善也「呉春 都会的センスひかる才気」『別冊太陽 日本のこころ181 長沢芦雪』p.143-p.145, 2011.4.25, 平凡社
冷泉為人「呉春の生涯と芸術」『聚美』Vol.1, p.62-p.111, 2011.10.1, 青月社
図録『没後200年 呉春展』2011.10.21, 池田市立歴史民俗資料館
冷泉為人「呉春拾遺 呉春の器用な芸術」『聚美』Vol.7, p.96-p.111, 2013.4.1, 青月社
Webサイト:「絹本墨画淡彩白梅図」『文化遺産オンライン』(http://bunka.nii.ac.jp/SearchDetail.do?heritageId=180162)文化庁, 2013.5.9

2013年5月

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