意味を与えない作品と言葉
角田氏は述べた。「《SOLEIL BLEU(青い太陽)》は、車でトンネルを抜けてユーゴスラビアのアドリア海へ出た一瞬、波間に映る夕陽を象徴的に表わしたものではないか。菅井はポルシェを大事な絵の部品と考えていた。50メートル先からも認識できるというのは、標識から思いついた発想のようだ。自分の安全を確保するために大事なインフォメーションとなる標識、時速200キロでも認識できる。意味が伝えられることに価値があると思っていた。ただ菅井自身はその作品に意味を与えておらず、それはこれからユーザーがつくることだ、世の中が今後熟成していけばいいということを言っている。菅井の言葉にはセールストークが多く、注意深くふるいにかける必要があるが、その言葉は虚飾ばかりではなく、大事なものもある」。絵は観念そのものと言う菅井が、言葉に対して鈍感であろうはずはない。絵画を放棄したとされるマルセル・デュシャン(1887-1968)を認めてしまったら、仕事はできなくなる、と言う菅井の言葉は素直な気持ちに思えてくる。意味を与えていないという《SOLEIL BLEU(青い太陽)》に「屋外に置き、50メートル先から見る、を与えられたとせよ」とすれば、何やら価値が出てくるような気がする。
画材としてのポルシェ
パリでの菅井は当初、美術研究所グラン・ショミエールに入学し、エドゥアール・ゴエルグ(1893-1969)の教室に通った。広島県出身のファッションデザイナー川本光子と出会い37歳で結婚。1954年にはクラヴァン画廊と契約し、初個展を開催、翌年はロンドンで藤田嗣治(1886-1968)と2人展を開いた。1957年フランソワーズ・サガン原作の映画『悲しみよこんにちは』の冒頭に菅井の絵画作品が登場するという。
順調に進んだ海外生活だったが、1967年9月ユーゴスラビアでのバカンスを終え、愛車のポルシェ911Sでパリへ帰る途中、ドイツ国境を越えて間もなくナショナル・ルートNo.4の路上で大事故を起こした。無類のスピード・マニアとして知られる菅井は、同乗していて車外に放り出された夫人とともに病院で治療を受けたが、頸部骨折の重傷を負い、奇跡的に一命はとりとめたものの完治までに8年を要した。
事故の翌年、身体が不自由でドアも開けられない状態にもかかわらず「ここで車をやめたら負けやと思う」と、よりスピードの出るポルシェ・カレラRSの新車を購入した。「絵をつくっているときに迷ったら、必ずリスクがある方を選ぶ」と言う菅井。リスクがない方を選んだらつまらない絵になってしまう。絵のうえでいくら命懸けといっても死ぬわけはないが、車では死んでしまう。瞬時の判断力を車の中で鍛え、絵のうえで大胆に挑戦する、と言うのだ。ポルシェは絵を描くための画材と化している。
一億よりはみ出した日本人でありたい
交通事故後、菅井は、生活と制作に規則性を取り入れていった。食生活に複雑な変化を避けるようになり、朝はコーヒーとチーズ、昼はスパゲッティまたはサンドウィッチ、夜は調味料を加えない牛肉ステーキと季節の野菜、これを一定量365日繰り返した。反面作品は常に変わることを求め、画面に筆跡の残る作品から、単純明快なフラットな絵と、バリエーションを加えながら展開していった。
1969年50歳となった菅井は、東京国立近代美術館のロビーに展示する《フェスティバル・ド・トウキョウ》を設置するため、17年ぶりに世界の“SUGAÏ”として帰国している。1996年7度目の帰国中、展覧会「菅井汲 版画の仕事 1955-1995」の開催を直前にして、神戸で心不全のために死去してしまった。戦前グラフィック・デザイナーに始まり、単身パリで独自の表現に挑戦し、未来の新たなアートの在り方を追求し続けた菅井汲、77歳だった。
菅井の作品は、「神話とカリグラフィー」(1952-62)、「オートルート」(1963-69)、「ハード・エッジ」(1970-80)、「Sのシリーズ」(1981-96)の4期に分けられる。菅井は「作品自体のもっている鋭さ、美しさなどは、近代絵画に於ては問題でないと思います。たとえ如何に美しくみえる色のみを並べてあっても、その色が美しいのではなく、作者の強い意志によって、その色を選んでそこにおいたその行為自体が美しいのだと思います。またそれだけに現代芸術においては、その行為が何等かのかたちで社会と直接結びつかなければ、その行為の意義がないと考えます」(菅井汲「菅井汲展」図録p.180)。社会に広がる版画と一点もののタブローを並行して制作する菅井の作品には、日本を飛び出し“一億よりはみ出した日本人でありたい”菅井の強い意志が宿っている。
角田 新(かくだ・あらた)
広島県立美術館主任学芸員。1963年広島市生まれ。1987年京都精華大学美術学部造形学科洋画コース油画専攻卒業。同年広島県立美術館主事を経て、学芸員資格を取得し現在に至る。2012年4月より人事交流として静岡県立美術館へ出向、上席学芸員を務めている。専門:日本の洋画。展覧会企画:「異彩の洋画家 発掘 名井萬龜」(2000)、「復興への願いを込めて─コレクションで辿る広島県立美術館の歩み─」(2011)。その他展覧会運営を担当しながら地元ゆかりの作家を中心に調査・研究を進めている。
菅井 汲(すがい・くみ)
画家・版画家。1919〜1996年。兵庫県生まれ。本名は貞三。1952年パリへ渡る。主な国際展出品歴と受賞:パリ青年ビエンナーレ、東京国際版画ビエンナーレ、サロン・ド・メ展(1957)。ピッツバーグ現代国際絵画彫刻展(1958)。ドクメンタ、サンパウロ・ビエンナーレ、グッゲンハイム美術館開館記念収蔵作品展、リュブリアナ国際版画ビエンナーレ・ザグレブ市近代美術館賞(1959)。東京国際版画ビエンナーレ展・国立近代美術館賞(1960)。日本国際美術展・優秀賞、グレンヒェン色彩版画トリエンナーレ・大賞(1961)。エコール・ド・パリ展、ヴェネチア・ビエンナーレ・デイヴィッド・E・ブライト基金賞(1962)。カーネギー国際美術展(1964)。サンパウロ・ビエンナーレ・外国作家最優秀賞(1965)。クラコウ国際版画ビエンナーレ・自由テーマ部門大賞(1966)。モントリオール万国博覧会(フランス館)(1967)。リエージュ国際版画ビエンナーレ、ヴェネチア・ビエンナーレ、インド・トリエンナーレ、ブラッドフォード国際版画ビエンナーレ(1968)。大阪万国博覧会(万国博美術館)(1970)。ノルウェー国際版画ビエンナーレ・名誉賞(1972)。主な賞:レジオン・ドヌール・シュバリエ章受章(1971)、紫綬褒章受章(1996)。代表作:《森の番人》《鬼》《侍》《朝のオートルート》《ハイウェイの朝》《Masse Noir(黒い塊)》《フェスティバル・ド・トウキョウ》《12気筒》など。
デジタル画像のメタデータ
タイトル:SOLEIL BLUE(青い太陽)。作者:影山幸一。主題:日本の絵画。内容記述:菅井 汲, 1969年, 縦235.5×横236.0cm, キャンバス・アクリル, 広島県立美術館蔵。公開者:(株)DNPアートコミュニケーションズ。寄与者:菅井汲遺族, 広島県立美術館, (株)DNPアートコミュニケーションズ。日付:─。資源タイプ:イメージ。フォーマット: Photoshop, 280.6MB(3200dpi, 8bit)。資源識別子:o-644L.jpg(45.1MB)。情報源:広島県立美術館。言語:日本語。体系時間的・空間的範囲:─。権利関係:菅井汲遺族, 広島県立美術館
【画像製作レポート】
《SOLEIL BLEU(青い太陽)》の写真は、広島県立美術館が管理。「作品画像掲載許可願い」を美術館へ郵送。美術館を通して、菅井のご遺族から作品写真の使用について著作権の許諾を得た。後日指定のURLから画像をダウンロード。4×5カラーポジフィルム(カラーガイド付)からスキャニングしたという画像(46.1MB, JPEG)を入手。使用代金は無料。
iMacの21インチモニターをEye-One Display2(X-Rite)によって調整後、画像の色調整作業に入る。画面に表示したカラーガイドと作品画像に写っているカラーガイドを参照しながら、目視により色を調整し、縁に合わせて切り抜く。Photoshop形式:280.6MB(3,200dpi, 8bit, RGB)に保存。モニター表示のカラーガイド(Kodak Color Separation Guide and Gray Scale Q-13)は事前にスキャニング(brother MyMiO MFC-620CLN, 8bit, 600dpi)。セキュリティーを考慮し、画像には電子透かし「Digimarc」を埋め込み、高解像度画像高速表示Flashデータ「ZOOFLA」によって、コピー防止と拡大表示ができるようにしている。
PCのモニター内で絵画作品を加工していると、作品の歪みが目に付く。とくに《SOLEIL BLEU(青い太陽)》のように大きな正方形で色面が広い作品は、撮影時に作品を床に置いて撮影すると、作品の重さに左右のねじれが生じ、真四角でなくなるようだ。今回は歪みが少しあったが、照明は十分だった。画像に付着しているゴミはスキャニング時のものと思われる。
[2021年4月、Flashのサポート終了にともない高解像度画像高速表示データ「ZOOFLA for HTML5」に変換しました]
参考文献
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東野芳明「明日を創る人・5 菅井汲」『芸術新潮』第10巻第5号, pp.185-195, 1959.5.1, 新潮社
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徳大寺公英「《現代作家論7》菅井汲の芸術」『みづゑ』第689号, pp.19-27, 1962.8.3, 美術出版社
富永惣一・今泉篤男・勅使河原蒼風・海藤日出男「座談会“世界に進出するか現代日本美術”ヴェニスビエンナーレをめぐって現代美術を語る」『いけばな草月』第39号, pp.20-28, 1962.9.20, 草月出版部
小川正隆「訪ねる 菅井汲〈油絵〉」『新婦人』第21巻第10号, pp.109-113, 1966.10.1, 文化実業社
久保貞次郎「世界に通用する日本の美術家 その最低条件」『芸術新潮』第19巻第1号, p.13, 1968.1.1, 新潮社
松原特派員「17年ぶりの帰国を飾る大作 パリで油絵制作の菅井汲氏」『毎日新聞』(夕刊)1969.1.9, 毎日新聞社
東野芳明「菅井汲の帰国」『芸術新潮』第20巻第6号, pp.118-121, 1969.6.1, 新潮社
乾由明「表紙解説 シルクスクリーン 菅井汲」『美術手帖』No.315, 1969.7.1, 美術出版社
三木多聞「《作家訪問》 17年ぶりに帰国した菅井汲氏にきく」『現代の眼』No.177, pp.6-7, 1969.8.1, 東京国立近代美術館
中原佑介「明快さを目指して─1960年代以降の菅井汲」『菅井汲作品集』pp.134-142, 1975.1.20, 美術出版社
高見堅志郎「菅井汲と今日」『画譜』第4号, pp.3-5, 1976.9.1, 現代版画センター事務局
飯田善国「スガイの偉大さ〈この細き身体に無類に鋭き神経あり〉」『画譜』第4号, pp.6-8, 1976.9.1, 現代版画センター事務局
土方定一『土方定一著作集8 近代日本の画家論III』1977.6.12, 平凡社
宮迫千鶴「'60s ストリートシャワーNo.1 菅井汲の変貌と美術の現代化とは何か」『季刊アート』AUTUMN, pp.52-59, 1980.9.8, アート社出版
北川フラム「菅井汲の作品には膨張性がある」『PRINT COMMUNICATION』No.62, pp.2-3, 1980.10.15, 現代版画センター
向井修一「特集 菅井汲 SUGAI波を感知せよ」『PRINT COMMUNICATION』No.63, p.3, 1980.11.15, 現代版画センター
菅井汲「菅井汲インタビュー1 あのパターンをどこまで持続できるかにぼくは興味がある」『PRINT COMMUNICATION』No.63, p.p4-5, 1980.11.15, 現代版画センター
菅井汲・綿貫不二夫・原勝雄「CONTEMPORARY ART 現代美術へのアプローチ/作家・画商・コレクターの立場から No.2」『季刊アート』WINTER, pp.40-41, 1980.12.8, アート社出版
菅井汲「菅井汲インタビュー2 行きつくとこまで行ってみたい」『PRINT COMMUNICATION』No.64, pp.6-7, 1980.12.15, 現代版画センター
菅井汲『一億人から離れてたつ 異貌の画家 菅井汲の世界』1982.7.25, 現代企画室
図録『菅井汲 1960年代の仕事展』(監修:岡田隆彦)1983, 西武百貨店
大岡信「菅井汲──回想と展望」『菅井汲展図録』pp.57-63, 1983, 西武美術館
中川正夫「サライ・インタビュー 菅井 汲」『サライ』No.24, pp.16-19, 1990.12.20, 小学館
ジャン=クラランス・ランベール『菅井 汲』(翻訳:永盛克也)1991.11.13, リブロポート
山梨俊夫「連載 近代日本美術家列伝148 菅井汲」『美術手帖』No.757, pp.180-181, 1996.6.1, 美術出版社
図録『菅井汲 版画の仕事 1955-1995』(監修:河﨑晃一)1997, 東京新聞
図録『菅井汲展』2000, 菅井汲展実行委員会
「EXHIBITION SPOT変化し続けた画家、“SUGAI”の足跡を辿る 菅井汲展 パリに生きた抽象画家─没後初の回顧展」『ギャラリー』通巻180号, p.14, 2000.4.1, ギャラリーステーション
河﨑晃一「【特集 菅井汲展 パリに生きた抽象画家─没後初の大回顧展】 記憶の中の菅井汲」『ピロティ』No.115, pp.2-3, 2000.5.1, 兵庫県立近代美術館
速水豊「【特集 菅井汲展 パリに生きた抽象画家─没後初の大回顧展】 菅井の絵を見るための4つまたは5つのキーワード」『ピロティ』No.115, pp.4-5, 2000.5.1, 兵庫県立近代美術館
Webサイト:「菅井汲コレクション広島に 油彩、版画など224点」『47NEWS』2004.6.15(http://www.47news.jp/CN/200406/CN2004061601000015.html)全国新聞ネット, 2013.10.10
Webサイト:角田新「Amaryllis 2012年度 冬 No.108 研究ノート 菅井汲の求めた表現とその変遷について」『静岡県立美術館』(http://www.spmoa.shizuoka.shizuoka.jp/japanese/amaryllis/no_108/05.php)静岡県立美術館, 2013.10.10
東野芳明『虚像の時代 東野芳明美術批評選』(編:松井茂・伊村靖子)2013.4.30, 河出書房新社
Webサイト:「菅井汲」『ときの忘れもの』(http://www.tokinowasuremono.com/artist-b13-sugai/)(有)ワタヌキ, 2013.10.10
Webサイト:「菅井汲」『徳島県立近代美術館』(http://www.art.tokushima-ec.ed.jp/srch/srch_art_detail.php?pno=1&no=10049)徳島県立近代美術館, 2013.10.10
Webサイト:「菅井汲」『京都国立近代美術館』(http://www.momak.go.jp/Japanese/collectionGalleryArchive/2010/history/sugai.html)京都国立近代美術館, 2013.10.10
Webサイト:「菅井汲展 展覧会概要」『東京都現代美術館』(http://www.mot-art-museum.jp/exhibition/69)東京都現代美術館, 2013.10.10
Webサイト:『広島県立美術館』(http://www1.hpam-unet.ocn.ne.jp/)広島県立美術館, 2013.10.10
主な日本の画家年表
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2013年10月