【少女の見方】
(1)タイトル
少女(しょうじょ)。
(2)サイズ
縦53.2×横41.2cm。
(3)モチーフ
上半身ヌードの女性。
(4)構図
無背景の画面に、正面を向いたひとりの女性をやや左に配置。利行は複雑な構図はとらない。
(5)画材
キャンバス、油彩。
(6)色
白、青、赤、黄、橙色。髪や顔の輪郭線などの赤の使い方に特徴が見られる。
(7)技法
下地は厚く物質感があるが、線は薄い絵具でデリケートに引いている。
(8)サイン
「T. HASEKAWA/35」と画面右下に署名。
(9)制作年
1935(昭和10)年。利行44歳。
(10)経歴
栃木県の足利銀行から、美術館開館5カ月後の1975年3月31日に寄贈された。
(11)鑑賞のポイント
少女の清らかさ、あるいはこの作品を描いた時の利行の心の安らかさを感じさせる。少女のまわりに漂っている空気は、この少女が何者かということを何も感じさせない。しかし、少女に存在感がないのではなく、実在感がある。そんなことを考えながら利行は制作していないだろうが、哲学の命題がこの絵の中から立ち現われてくる。見る人によってこの絵は大きく変わってくる。例えば絶望感で死のうと思っている人は、希望を持つだろうし、楽観的に生きている人間は、自分の生きる立ち位置をもう一度考えさせられるだろう。客観的に存在するもの、永遠不変の価値を内包している。この少女のモデルは、利行が思慕の思いを秘めていた二科会の画家・藤川栄子や、雑誌『美之國』の婦人記者・花岡千枝といった実際の人物ではない。利行の理想の女性像で、顔のモデルはおそらくその頃足繁く通っていた新宿の喫茶店の女の子と思われる。胸の表現が特にいい。肉を形でなく、身体全体のつながりのなかから質感としてとらえている。1989年に厚塗りの荒れた絵肌の謎を究明するため、《少女》を赤外線写真によって所蔵館が撮影したそうだが、キャンバスには少女以外に何も描かれていなかったという。利行入魂の代表作のひとつである。
希望の色と絶望の線
「利行の絵画は4つの時期に分類できる」と尾﨑氏は述べる。第一期は1923年から1926年。日暮里や上野周辺の東京と、京都を往復していた頃で、関東大震災後の復興が目覚ましい東京のモダンな建造物を、直線を中心に筆圧の強い画面で残している。第二期は1927年から1930年。建造物の内部描写や人物画を描き、利行にとって最も心休まる時代。第三期は1931年から1935年。浅草や上野界隈で生活する人々の生活を素早く把握し速筆で描いている。第四期は1936年から晩年の1940年。新宿にあった天城(あまぎ)画廊を中心に、市井の女性や下町の風景画を凄まじい勢いで量産。しかし、1937年には胃痛が次第に激しくなり、第24回二科展、第1回一水会展を最後に公募展への出品を断念している。
独学で絵を始め、派閥に属することはなかった利行だが、個性的な原色づかいと速写による強い線の画風からフォーヴィスムや表現主義、あるいは日本のゴッホと称されることもある。尾﨑氏は「中途半端な半塗りや半出来がいいという人と、反対に馬鹿にしている人もいた。早描きのために半塗りになったわけではなく、色彩純化を求めた利行が、色が 混ざることを嫌った結果としての半塗りであった。どこまでも透明な色と、これ以上省略しきれない線を描く利行の絵には、希望の色と絶望の線がある」と語った。
第二次世界大戦が近づく状況下で、その時、その場を刹那的に生きていた利行の生活は作品に直結した。瞬間的洞察力を身につけて一瞬のうちに対象の魂をとらえ、具象を抽象に変化させ、不均等な美しさをキャンバスへ速写した。その粗描力による作品は、生活の暗さがなく、少なくとも重くはなっていない。
利行の無頼的芸術活動を顕彰していこうと、利行が闊歩していた上野に1969年利行碑(図)が建てられた。上野・不忍池弁天島に建つ「利行碑」の揮毫(きごう)は洋画家の熊谷守一(1880-1977)、利行の短歌「人知れず朽ちも果つべき身一つの いまがいとほし 涙拭わず」「己が身の影もとどめず水すまし 河の流れを 光りてすべる」を記した歌碑は、洋画家・文学者の有島生馬(1882-1974)が揮毫したものである。
上野・不忍池畔に建つ利行碑
尾﨑眞人(おざき・まさと)
京都市美術館学芸課長。1952年栃木県茂木町生まれ。1980年早稲田大学第二文学部美術史学科卒業、1983年同大学大学院文学研究科芸術学博士前期課程修了。1983年板橋区立美術館学芸員(1992〜1993, ハイデルベルク大学客員教授)、平塚市美術館学芸員を経て、2004年京都市美術館学芸員、現在に至る。主な展覧会企画:「回顧 石井鶴三 たんだ一本の線展」(板橋区立美術館, 1983)、「東京の落書き1930 's展─長谷川利行と小熊秀雄の時代」(板橋区立美術館, 1988)、「京都と近代日本画 : 文展・帝展・新文展一〇〇年の流れのなかで」(京都市美術館, 2007)、「美の競演 京都画壇と神坂雪佳:100年の時を超えて:京都市美術館・細見美術館コレクションより」(高島屋, 2013)など。所属学会:明治美術学会。主な編・監修:『池袋モンパルナスそぞろ歩き:読んで視る 長谷川利行 視覚都市・東京の色』(オクターブ, 2009)、『池袋モンパルナスそぞろ歩き:日本画篇』(オクターブ, 2010)、『池袋モンパルナスそぞろ歩き:培風寮/花岡謙二と靉光』(オクターブ, 2013)など。
長谷川利行(はせがわ・としゆき)
画家。1891〜1940(明治24〜昭和15)年。五人兄弟の三男として京都府に生まれる。通称りこう。父の利其は其南の俳号をもち伏見警察署に勤務、母テルは淀藩御典医小林家の出身。1906年和歌山県の私立耐久中学在学中から短歌に関心をもつ。1911年大下藤次郎の水彩画講習会へ参加し、感想文が『みづゑ』80号へ掲載される。1919年歌集『長谷川木葦(もくい)集』 を自費出版。1923年第4回新光洋画会で《田端変電所》が入選し画壇デビュー、同年関東大震災を詠んだ歌集『火岸』を自費出版。1926年第7回帝展に《廃道》を出品、第13回二科展では《田端電信所》が二科初入選。1927年第14回二科展に《酒売場》《鉄管のある工場》《麦酒室》を出品し、樗牛賞受賞。1928年第3回1930年協会展に《瓦斯会社》《地下鉄道》《詩人Y氏像》を出品し、協会奨励賞を受賞。1936年新宿・天城画廊で個展を5回開催。1937年第1回一水会展に《ノア・ノア》などを出品。1940年三河島駅付近の路上で倒れ、東京市立養育院板橋本院に行路病者として収容され、10月12日胃癌で死去。遺品はすべて焼却された。享年49歳。代表作:《田端変電所》《酒売場》《靉光像》《汽罐車庫》《タンク街道》《地下鉄ストアー》《少女》《ノアノアの少女》《新宿風景》など。
デジタル画像のメタデータ
タイトル:少女。作者:影山幸一。主題:日本の絵画。内容記述:長谷川利行《少女》1935年, 縦53.2×横41.2cm, キャンバス・油彩, 群馬県立近代美術館蔵。公開者:(株)DNPアートコミュニケーションズ。寄与者:群馬県立近代美術館, (株)DNPアートコミュニケーションズ。日付:─。資源タイプ:イメージ。フォーマット: Photoshop, 16.7MB(350dpi, 8bit, RGB)。資源識別子:1402 KODAK, F R 3(デュープ143)。情報源:群馬県立近代美術館。言語:日本語。体系時間的・空間的範囲:─。権利関係:群馬県立近代美術館
【画像製作レポート】
《少女》の写真借用は、「作品画像掲載許可願い」を作成し、作品を所持している群馬県立近代美術館へ郵送。後日「館蔵作品の掲載許可について」と、4×5カラーポジフィルム(カラーガイド付)が送られてきた。使用代金は無料。
iMacの21インチモニターをEye-One Display2(X-Rite)によって調整後、画像の色調整作業に入る。画面に表示したカラーガイドと作品画像に写っているカラーガイドを参照しながら、目視により色を調整し、縁に合わせて切り抜く。Photoshop形式:16.7MBに保存。モニター表示のカラーガイド(Kodak Color Separation Guide and Gray Scale Q-13)は事前にスキャニング(brother MyMiO MFC-620CLN, 8bit, 600dpi)。セキュリティーを考慮し、画像には電子透かし「Digimarc」を埋め込み、高解像度画像高速表示Flashデータ「ZOOFLA」によって、コピー防止と拡大表示ができるようにしている。
デジタル作品画像の原本として、4×5カラーポジフィルムを使用することが多いが、フィルムのデュープが多く、画質の劣化を感じる。オリジナルのフィルムを保管し、デュープが貸出用と思われるが、実物とフィルム画像の差異が進んでしまうので、定期的に画質の確認をすることが大切だ。フィルムメーカーがフィルムの製造中止を告知する時代に入り、美術館は作品画像のデジタル管理、あるいはフィルム管理に注意を払うことが求められている。
[2021年4月、Flashのサポート終了にともない高解像度画像高速表示データ「ZOOFLA for HTML5」に変換しました]
参考文献
高崎正男「長谷川利行追憶」『長谷川利行遺作画集』pp.20-26, 1941.9.25, 明治美術研究所
長谷川利行『夜の歌(長谷川利行とその芸術)』編:矢野文夫, 1941.11.15, 邦画荘
長谷川利行『空しき青春』編:矢野文夫, 1947.10.5, 白樺書房
井上長三郎「リベラリスト長谷川利行」『みづゑ』No.673, pp.42-44, 1961.5.3, 美術出版社
小倉忠夫「異端の文人画家──長谷川利行について(口絵解説)」『世界』第285号, pp.291-295, 1969.8, 岩波書店
矢野文夫『長谷川利行』1974.5.30, 美術出版社
図録『放浪の天才画家 長谷川利行展』(日本橋三越本店)1976.2.3, 毎日新聞社
小倉忠夫「長谷川利行 野獣派の文人画家・長谷川利行──その燃焼と破綻の軌跡」『愛蔵版 日本の名画 5 小出楢重・長谷川利行・萬鉄五郎』編著:匠秀夫・小倉忠夫・陰里鉄郎, pp.80-84, 1977.8.20, 講談社
長谷川利行画集刊行委員会『長谷川利行画集』1980.6.10, 協和出版
図録『東京の落書き1930'S展図録─長谷川利行と小熊秀雄の時代』1988.9.16, 板橋区立美術館
図録『生誕100年記念 長谷川利行展』1991, 朝日新聞社
川本三郎「今日はお墓参り(9)雑踏に生き、雑踏を描く 長谷川利行 ◎京都・妙教寺」『太陽』No.440, pp.173-176, 1997.9.12, 平凡社
図録『歿後60年 長谷川利行展』2000, 東京新聞
北澤憲昭「無頼派画家の蛮力と律儀 長谷川利行展」『朝日新聞』(夕刊)2000.6.22, 朝日新聞社
岡本隆明「見る者を慰めて 長谷川利行『少女』」『読売新聞』(中部版)2000.9.30, 読売新聞社
長谷川利行『長谷川利行画文集:どんとせえ!』酒井忠康 監修, 2000.10.28, 求龍堂
木村東介『ランカイ屋東介の眼』2000.12.15, 羽黒洞木村東介
近藤富枝「この男となら逃げたい!大人になれなかった、田端の無法者。画家長谷川利行」『東京人』No.259, pp.48-49, 2008.10, 都市出版
図録『長谷川利行──幻の名作と、素描力!』2008.11.17, 不忍画廊
尾﨑眞人 編・監修『池袋モンパルナスそぞろ歩き 読んで視る 長谷川利行 視覚都市・東京の色』2009.3.31, オクターブ
Webサイト:辻 政博「長谷川利行&『ONE PIECE』」『ひつじカフェ』2010.8.1(http://blog.zaq.ne.jp/hitsujicafe/article/71/)辻 政博, 2014.2.1
Webサイト:日暮里富士見坂を守る会「バガボンド長谷川利行(1)」『今日も日暮里富士見坂』2013.8.21(http://fujimizaka.wordpress.com/2013/08/21/hasegawa_toshiyuki_1_first/)日暮里富士見坂を守る会, 2014.2.1
Webサイト:東俊郎/編「長谷川利行年譜」『三重県立美術館』(http://www.bunka.pref.mie.lg.jp/art-museum/catalogue/hasekawa/nenpu.htm)三重県立美術館, 2014.2.1
Webサイト:東俊郎「「かすかにわれはすみわたるかも」─利行が歌人だった頃」『三重県立美術館』(http://www.bunka.pref.mie.lg.jp/art-museum/catalogue/hasekawa/higashi.htm)三重県立美術館, 2014.2.1
Webサイト:「日本近代美術コレクション 長谷川利行《少女》」『群馬県立近代美術館』(http://mmag.pref.gunma.jp/collection/nihon/hasegawa.htm)群馬県立近代美術館, 2014.2.1
主な日本の画家年表
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2014年2月