アート・アーカイブ探求
東山魁夷《道》──未完に見る希望「菊屋吉生」
影山幸一
2014年07月15日号
対象美術館
名画の連鎖
子どもの頃、機関車や特急電車の写真を撮るのが好きだった。父親から借りたカメラを首から下げて、時刻表を手に始発と到着時刻を調べ、停車するホームへ走り、電車が到着するのを待ち構えた。ターミナルステーションの東京駅か上野駅にだいたい一日いればお目当ての電車をカメラに収めることができた。特にその頃の上野駅の地平ホーム(現13〜17番線)は、東北の哀愁が漂う頭端式(とうたんしき)ホームで、電車の先頭を真正面から撮影できてお気に入りのホームだった。行き止まりの線路を見ながら、反対に続いている遠い線路の先を想っていた。線路の先端はきっと青森駅にちがいない。
一本の道だけを描いた東山魁夷の《道》(東京国立近代美術館蔵)がある。直線の道が目の前に広がっている。心にしみじみと柔らかく訴えるものがある平凡な土の道。しかし、歩いて行きたくなる道である。構図は単純だが、凹凸のある道の表面や朝もやの空気感は、決して短時間で仕上げられた作品とは思えない。絵になりそうもないありふれた風景を、どうして東山は絵に描いたのか。会田誠の《あぜ道》(1991, 豊田市美術館蔵)を思い出した。《あぜ道》に会田独特の東山へのオマージュを感じ、名作の連鎖を引き起こす《道》の力に気がついた。東山の代表作である《道》を探求してみよう。
戦前から戦後にかけての日本画の状況に詳しく、『別冊太陽 東山魁夷』の監修を務めた山口大学教授の菊屋吉生氏(以下、菊屋氏)に《道》の見方を伺ってみたいと思った。菊屋氏は、山口県立美術館で近代日本画の成立と展開に関わる複数の展覧会を企画してきた学芸員でもあった。ゲリラ豪雨がいまにも降りそうな不安定な空もようのなか、羽田から山口宇部空港を経由して山口大学へ向かった。