【枯木鳴鵙図の見方】
(1)タイトル
枯木鳴鵙図(こぼくめいげきず)。同名の武蔵作品が熊本の島田美術館にも収蔵されている。
(2)サイズ
縦125.5×横54.3cm。掛軸としては大きい。
(3)モチーフ
鵙(もず)と虫、枯木。鵙を描いた作品は少ない。小型の野鳥ではあるが獰猛、その生命力に武蔵は興味を持ったのではないか。
(4)構図
鵙を頂点とし、下方には茂み、右には低木の枝を配し、画面全体の均衡が保たれるよう配慮している。また鵙と虫に意識が集中するよう枯木を画面の中央に布置。余白を画面の左右に大きくつくったのは、中国絵画や日本絵画では異例の武蔵独自の構図。中国宋元時代の写意性を備えた水墨画の構図、例えば伝牧谿筆《竹雀図》(根津美術館蔵)などを参照した可能性も考えられる。
(5)画材
紙本墨画、一幅。竹紙を使用している。
(6)色
黒、灰色。墨の濃淡の諧調が、量感と姿態の表出に効果を上げている。
(7)技法
墨の濃淡だけで立体感を表わす没骨(もっこつ)法と、筆数を減らして形象を略し、本質を端的に表わす減筆体が基本である。対象の内面性や精神性を、墨の重なりや凝縮された筆線によりとらえようとしている。一本の線に見える枯木だが、上からの線と下からの線を交差させた二筆である。一筆一筆を目で辿って行くと、無駄のない適材適所に置かれた線であることがわかる。
(8)季節
寒々とした冬の光景。
(9)落款
白文楕円頭長方印「武蔵」の印章、署名はなし。
(10)制作年
江戸時代初期、熊本にて武蔵50歳台。
(11)鑑賞のポイント
画面の真ん中に立つ細い枯木の上部に一羽の鵙が静かに止まり厳しい目つきで前方を見据えている。下方の竹とみられる幹と枝の先端は鋭く、茂みには霧がかかり、地平には冷気が流れている。枯れ木の中間にはゆっくりと這い上がる尺取虫がおり、鵙の餌食になるかもしれないという緊迫した事態を発見する。鵙は気性が荒く攻撃性の高い鳥で、昆虫だけではなく、ヘビやトカゲなどの獲物を細い枝に刺す“はやにえ”と呼ばれる行動をとることが知られる。鵙と尺取虫は動作においては“静と動”、力関係では“強者と弱者”、そしてその運命は“生と死”である。静寂の世界の思いもかけぬ緊迫したドラマに気づき、鑑賞者は独特の緊張感に包まれる。生態へのつまびらかな観察と、一瞬をも見落とさない洞察力があって初めてなされる的確精妙な表現である。重要文化財。
静と動は生と死
「武蔵にとって絵は、兵法の真髄を獲得するための手段のひとつであった。対象物を見抜く洞察力とその再現であるこの作品に見られる筆の冴えは、余技の枠を越え、絵師としての力量を示すに余りある。鵙と虫との位置と関係を『五輪書』に照らすと、戦において場の優位を生かす(場の次第といふ事〔火の巻〕)、初めは静かにして突如攻撃する(三つの先といふ事〔火の巻〕)とあるように、鵙は武蔵にあてられる。武蔵の兵法がうかがえる作品である。対象をつぶさに観察することによって、その精神にまで肉薄する洞察力を得た武蔵が、対象物の形を切りつめ、限られた描線でその特質を表現することに成功した作品である。生き物の宿命や武蔵の死生観も表わしている。鵙と虫の静と動の関係が、次の瞬間ドラマチックに逆転することを想起させる。静止していた鵙は、前進している虫を殺す。“静と動”は一瞬にして“動と静” に置き換えられ、“生と死”という命のテーマが出現してくる。《枯木鳴鵙図》は鳴いていないという指摘があるが、鳴くということはすごく力のいることだ。鳴く寸前というか心の叫び。それは獲物を見て生きていけるという喜びの声なのか、苦痛の声なのか。声をあえて出さない内なる心の声を武蔵は表現したかったのかもしれない。ひとつの道を極めた武人ならではの気魄や主張が込められた作品に結実している」と、河田氏は語った。
《枯木鳴鵙図》の箱蓋(旧箱)には武士出身の文人画家、渡辺崋山(1793-1841)による「文政庚辰(1820年)嘉平月(12月)四日渡邉登審鑑謹書」の箱書きと「登」の朱文印があり、添状から、武蔵と同様に対象の特質に肉薄する絵を描いた崋山がこの絵に惹かれ、所蔵したといわれている。
400年の時空を超えて
鵙の頭部の細密画的表現など、《枯木鳴鵙図》は優れた画技と完成度の高さに、一部からは武蔵作ではないと疑問が発せられている。
武蔵の作品は主題や描く対象に、達磨や花鳥画が多く風景や美人画はなく、定形化しているといわれ、すべてが安定した優品ではない。しかし、人生における剣術修練の一環として画技を磨いてきた武士の最高傑作と見ることができるのが、《枯木鳴鵙図》である。たとえ武蔵が描いていなくても名作には違いなく、鑑賞者は《枯木鳴鵙図》という絵画の力に引き込まれる。「むしろ、あのような枯木の表現は、本職の画家ならば恐らく試みないであろう。描けないのではなく、枯木にあるあの鋭さを宿すことは専門画家の立場では邪道であるからだ。それをあえてするところに、宮本二天の余技画家たる所以であるところであり、また二天であればこそ、あの枯木の筆法と作品が生きてくるのであり、また意義もあるわけだ」(谷信一『日本美術工芸』p.15)。
武蔵の創意によって従来の花鳥画の伝統にとらわれずに、鵙の内面をも表わす描写を完成させた。全身を集中させて画面と対した武蔵のその緊張感が、約400年の時空を超えて一瞬にしてわれわれに伝わってくるようだ。《枯木鳴鵙図》は、2015年5月、和泉市久保惣記念美術館にて展示公開される予定である。大阪府の鳥は“もず”という。美術館のガラスに突き当たって気絶した鵙を助けようと近づいた河田氏だったが、小型の鳥ではあっても野生味が強く手で触れられない怖さがあったという。鵙はしばらくして飛び立って行ったそうだ。
河田昌之(かわだ・まさゆき)
和泉市久保惣記念美術館館長・大阪芸術大学芸術学部教授。1954年京都府京丹後市生まれ。1978年関西学院大学文学部美学科日本美術史専攻卒業、1983年同大学大学院文学研究科博士課程後期課程退学。1985年和泉市久保惣記念美術館学芸員、同美術館主任学芸員を経て2004年館長、2013年より館長は非常勤、大阪芸術大学教授となる。専門:日本近世絵画史。所属学会:美術史学会、美学会、国際浮世絵学会。主な論文:「宮本武蔵の画業─近世絵画史における意義をたずねて」『特別展図録 宮本武蔵 筆の技』(和泉市久保惣記念美術館,1997)、「野鳥ウォッチャー・武蔵」『野鳥』No638, 特集 宮本武蔵の野鳥画を読み解く(日本野鳥の会,2001)、「重要文化財 宮本武蔵筆「枯木鳴鵙図」(和泉市久保惣記念美術館蔵)」『刀剣美術』第558号(日本美術刀剣保存協会,2003)など。
宮本武蔵(みやもと・むさし)
江戸初期の兵法家。二天一流(二刀流)の祖。1584?〜1645(天正12?〜正保2)年。前半生は不明な点が多い。出身は播磨国〔現・兵庫〕(一説に美作国〔現・岡山〕)、新免武蔵守藤原玄信(しんめんむさしのかみふじわらのげんしん〔はるのぶ〕)を名乗る。号を二天。1596(慶長元)年13歳で有馬喜兵衛と初試合をし、1612(慶長17)年29歳のとき下関の船島で佐々木巌流(小次郎)と決闘。六十余度の勝負を無敗で過ごした。1640(寛永17)年細川忠利に招かれて熊本に移り住む。水墨画をよくした。没骨法と減筆体を独学、画系には属さなかった。連歌、書、工芸、彫刻、庭園の作品がある。著書『五輪書』(1645)。主な水墨画作品:《枯木鳴鵙図》《鵜図》《紅梅鳩図》《芦雁(ろがん)図屏風》《正面達磨図》《芦葉(ろよう)達磨図》《布袋観闘鶏図》(ほていかんとうけいず)》《野馬(やば)図》など。
デジタル画像のメタデータ
タイトル:枯木鳴鵙図。作者:影山幸一。主題:日本の絵画。内容記述:宮本武蔵,江戸時代初期,紙本墨画,一幅,縦125.5×横54.3cm,重要文化財,和泉市久保惣記念美術館蔵。公開者:(株)DNPアートコミュニケーションズ。寄与者:和泉市久保惣記念美術館,(株)DNPアートコミュニケーションズ。日付:─。資源タイプ:イメージ。フォーマット:Photoshop,142.3MB(2400dpi,8bit)。資源識別子:Kobokumeigekizu.jpg・8.19MB(カラーガイド・グレースケールなし)。情報源:和泉市久保惣記念美術館。言語:日本語。体系時間的・空間的範囲:─。権利関係:和泉市久保惣記念美術館
【画像製作レポート】
《枯木鳴鵙図》は、和泉市久保惣記念美術館が所蔵。和泉市久保惣記念美術館へ「画像貸出申込書」をFaxした後、電話で概要を説明。後日指定のURLから作品画像をダウンロード。JPEG 8.19MB(カラーガイド・グレースケールなし)の画像ファイルを入手した。
iMacの21インチモニターをEye-One Display2(X-Rite)によって調整後、画像の色調整作業に入る。図録などの印刷物を参照しながら、目視により色のみを調整。Photoshop形式:142.3MB(2400dpi,8bit,RGB)に保存。セキュリティーを考慮し、画像には電子透かし「Digimarc」を埋め込み、高解像度画像高速表示Flashデータ「ZOOFLA」によって、コピー防止と拡大表示ができるようにしている。
《枯木鳴鵙図》は掛軸だが、今回受け取った画像は表装のないものだった。初めて作品を見る人や外国の方にも作品の全体像が伝わるよう、作品表示には表装や額などを入れるように努めたいと思う。
[2021年4月、Flashのサポート終了にともない高解像度画像高速表示データ「ZOOFLA for HTML5」に変換しました]
参考文献
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添田達嶺『画人宮本武蔵』1936.6.25, 雄山閣
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田中一松「宮本武蔵の芸術」『群像』pp.46-52, 1950.12.1, 大日本雄辯會講談社
宮本武蔵『五輪書』訳:神子侃, 1963.8.1, 徳間書店
谷信一「宮本二天(武蔵)と剣禅画」『日本美術工芸』通巻309号, pp.11-15, 1964.6.1, 日本美術工芸社
三山進「名品流転(12)崋山が買えなかった宮本武蔵の「枯木鳴鵙図」」『芸術新潮』第22巻第12号, p.88-92, 1971.12.1, 新潮社吉澤忠「江戸初期の異色作家─宮本武蔵を中心に─」『宮本武蔵展』図録, pp.1-5, 1979, 佐野美術館
吉澤忠「江戸初期の異色作家─宮本武蔵を中心に─」『宮本武蔵展』図録, pp.1-5, 1979, 佐野美術館
図録『生誕四百年記念 宮本武蔵の生涯展』監修:丸岡宗男, 企画編集:共同通信社, 1984, 永青文庫
宮本武蔵『五輪書』校注者:渡辺一郎, 1985.2.18, 岩波書店
今東光「画人宮本武蔵」『古美術読本 絵画』pp.89-100, 1987.5.28, 淡交社
五井野貞雄「流転─重文「枯木鳴鵙図」考 時代に翻弄された「二天」の号をもつ宮本武蔵筆水墨画への詠唱」『日本及日本人』pp.130-138, 1992.4.1, 日本及日本人社
河田昌之「宮本武蔵の画業─近世絵画史における意義をたずねて─」『特別展図録 宮本武蔵 筆の技』pp.3-17, 1997.10.19, 和泉市久保惣記念美術館
Webサイト:和泉市久保惣記念美術館「デジタルライブラリー 枯木鳴鵙図」『和泉市久保惣記念美術館』1999(http://www.ikm-art.jp/cgi-bin/library/index.cgi)和泉市久保惣記念美術館, 2014.7.30
金澤弘「二天の水墨画と気韻生動─あるいは「画の六法」の解釈について」『剣禅一如 宮本武蔵の水墨画』pp.1-28, 2002.9.20, 秀作社出版
宮元健次『芸術家 宮本武蔵』2003.3.30, 人文書院
守安收「宮本武蔵の画事」『大法輪』pp.124-128, 2003.7.1, 大法輪閣
河田昌之「[表紙解説]重要文化財 宮本武蔵筆「枯木鳴鵙図」(和泉市久保惣記念美術館蔵)」『刀剣美術』第558号, pp.22-23, 2003.7.10, 日本美術刀剣保存協会
大倉隆二「武蔵の絵と書」『熊本三館共同企画・宮本武蔵展図録』pp.8-9, 2003.10.7, 熊本三館共同企画・宮本武蔵展実行委員会
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宮本武蔵『五輪書』校注・訳:佐藤正英, 2009.1.10, 筑摩書房
細川護煕・守安收・島尾新「座談会 宮本武蔵の画と人」『國華清話会会報』第14号, pp.1-11, 2009.11.15, 國華社
Webサイト:「宮本武蔵《枯木鳴鵙図》」『KIRIN ART GALLERY 美の巨人たち』2011.9.10(http://www.tv-tokyo.co.jp/kyojin/backnumber/110910/)テレビ東京, 2014.7.30
『和泉市久保惣記念美術館 新蔵品選集』2012.10.13, 和泉市久保惣記念美術館
図録『開館三十周年記念 特別展 美の宴─東洋の古美術、印象派と古地図が織り成す珠玉の世界』2012.10.14, 和泉市久保惣記念美術館
末廣幸代「[茶席の書画]重要文化財 宮本武蔵筆 枯木鳴鵙図 和泉市久保惣記念美術館蔵」『遠州』通巻571号, pp.6-7, 2013.12.1, 大有
Webサイト:播磨武蔵研究会宮本武蔵研究プロジェクト『宮本武蔵 THE MUSASHI』2014.7.26(http://www.geocities.jp/themusasi1/index.html)播磨武蔵研究会, 2014.7.30
主な日本の画家年表
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2014年8月