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雲谷等顔《山水図屏風》広大無辺の型──「河合正朝」

影山幸一

2014年10月15日号

粉本と装飾化

 河合氏は「型を継承しながら自分の形をどうつくっていくか、造形としていかに表現していくかが問題。今は画家の個性や独自性を発揮しないと芸術として認められないが、昔はいかに伝統的な型を継承し、そのうえで自分の絵にするかだった。自然景を描くときも、現場に写生に行くことはほとんどないと言ってよく、古典としての手本になる絵を通して学び、独自の想像力を発揮した。その手本を“粉本(ふんぽん)”、もう少し古い時代だと“絵本”という。中国画に学んだ日本の室町時代以降の絵画の描き方は、粉本による学習で硬いブロック体の真体、やや自由にした行体、より抽象的な草体があり、これらを筆様(ひつよう)というが、画家は誰々の筆様で描いてくれと注文を受ける。もとになる粉本は非常に重要。絵について長谷川等伯が語った『等伯画説』という筆記録があるが、等伯は“画家はいかに沢山の粉本を集めるか”と、室町時代の人の言葉を引いて記している。古典を学び、古典を踏まえることが重要だと言っている。雲谷等顔は、忠実に雪舟を勉強しており、この《山水図屏風》も毛利博物館所蔵の雪舟筆《山水長巻》を学び、同じような図様が描かれている。しかし雪舟の山水は手に取って見る巻物、等顔の山水はいわゆる家具として大画面を見る屏風。同じ図様の絵でも視覚的な効果と機能が全く異なる。《山水図屏風》は、《山水長巻》の一部を近接化し、近景を強調することでインパクトを与えた。アングルを引いて、広角で見ていた雪舟の《山水長巻》を、等顔はだんだんとクローズアップして作画していったが、同時に奥行き性がなくなり平面的な絵にもなっていった。平面化を図ることで画面は装飾的になり、《山水図屏風》はこの頃の作品である。まさに桃山時代というのは絵画が装飾化されていく時代。等顔は雪舟の形を基本の型として、かたくなに型を踏襲した。雪舟と全く同じモチーフと描き方だが、時代の美意識に相応しい装飾化をした時代の画家でもあった。また、江戸時代の絵師・白井華陽(?-1836)が書いた『画乗要略』の「山水の結構、緊密脈絡井然(せいぜん)」の評には、《山水図屏風》があてはまり等顔の代表作といえる。雪舟とゆかりのある石見(現島根県)の益田家に伝わった屏風」と語った。

雲谷派

 等顔から始まった雪舟流の絵師たちを総称して“雲谷派”と呼んでいる。始祖である等顔の血脈を引く等益(1591-1644)など、“雲谷”を名乗る宗家を含めた6家、雲谷家の門弟になった弟子家の5家(三谷、波多野、来栖、津森、長冨)、これら11家系の絵師にその代限りの一代絵師を加えた萩藩雲谷派と、岩国藩の斎藤家、徳山藩の朝倉家、久留米藩の三谷家、細川藩の矢野家、厚狭(あさ)毛利氏の岡家、須佐益田氏の永冨家などが雲谷派の流れを汲む。
 雪舟の画法を基礎に置くことから、雲谷派は雪舟の画風を伝承した一派であるが、雪舟の教えを直接受けた秋月等観(しゅうげつとうかん, ?-1520)や如水宗淵(じょすいそうえん, 生没年未詳)らの系統とは区別されている。雲谷派は、桃山時代から幕末まで西国・萩を中心として約300年、型の継承が続き、水墨画のほかやまと絵の画法を取り入れた濃彩華麗な障壁画や、緻密な肖像画もあるという。その繁栄は武家の御用絵師である狩野派と比較されるが、毛利家とその支藩を拠点としていたため、地方絵師と目され積極的に紹介されることはなかったようだ。しかし、与謝蕪村(1716-1783)や曾我蕭白(1730-1781)ら、江戸画壇へ影響を与えたとも伝えられている。

越境する型の継承

 等顔は、自らのオリジナリティー向上よりも雪舟様式の伝承に努めた結果、各景物は類型化され、墨の濃淡と線による桃山時代の平面的装飾性をつくり出すこととなった。絵画の伝承に欠かせなかった粉本は、画技の習得のほか、図様の収集や鑑定する際にも役立ち、また失われた作品の復元や画家の画業を考察するときも必要な資料となる。雲谷派が長年繰り返してきた型の継承には、模写があり、原本の上に薄い紙を乗せてトレースする「上げ写し」や、原本を前に置きそれを見ながら写す「臨写」がある。振り返れば、等顔は100年前の雪舟に私淑し《山水長巻》を学び、雪舟は200年前の南宋(1127-1279)の山水画家・夏珪(生没年未詳)に私淑し山水図巻(真体山水図)を学んだ。国境を越えて脈々と続いた型の継承が、《山水図屏風》の洗練されたダイナミズムとなって表出してきた。
 雪舟とともに雲谷派の展覧会が山口県で開かれる。雲谷等顔の手本であり、雪舟の国宝として名高い《山水長巻》が毛利博物館で公開(特別展「国宝」2014.10.30〜12.7)されるのと併せて、山口県立美術館では、コレクション特別企画「テーマでくらべる 雪舟と雲谷派」展(2014.10.30〜11.30)が開催される。伝雪舟、雲谷等顔、雲谷等益の《山水図屏風》3点に高精細映像を組み合わせた実験的な展示のほか、雲谷派仏画の代表作といわれる雲谷等甫の《五百羅漢図》(東光寺蔵)14幅が2007年以来二度目の公開となるなど、雪舟から雲谷派への型の系譜を間近に見ることができる。

河合正朝(かわい・まさとも)

千葉市美術館館長。1941年東京生まれ。1964年慶應義塾大学文学部哲学科美学美術史学専攻卒業、1966年同大学大学院文学研究科哲学専攻修士課程修了、1971年同専攻博士課程単位取得満期退学。1969年慶應義塾大学文学部助手、1986年同助教授、1989年同教授、2007年同大学名誉教授、2012年から現職。専門:日本中世・近世絵画史。所属学会:美学会、美術史学会、国際浮世絵学会。主な著書『日本美術絵画全集 第11巻 友松/等顔』(集英社, 1978)、『禅林画賛──中世水墨画を読む』(毎日新聞社, 1987)、『日本水墨名品図譜 第3巻』(毎日新聞社, 1992)、『水墨画の巨匠 第4巻』(講談社, 1994)など。

雲谷等顔(うんこく・とうがん)

桃山時代の絵師、雲谷派の祖。1547-1618(天文16〜元和4)年。肥前国(現佐賀県)能古見城の城主、原豊後守直家の次男原治兵衛直治として能古見に生まれる。幼名を治兵衛、別号を容膝(ようしつ)。初め狩野松栄あるいは永徳に画技を学び、毛利輝元の御用絵師となる。1593(文禄2)年主君から雪舟の旧居雲谷庵と雪舟畢生の大作《山水長巻》を賜わり、雲谷等顔と改名し雪舟正系を標榜。輝元から命を受け京都の東福寺や黄梅院の障壁画などを制作。大画面の山水に見るものが多い。雲谷派は中国地方から北九州にかけての画壇に影響力を保持し、幕末まで続く。1611(慶長16)年法橋、最晩年には法眼に叙せられた。72歳没。主な作品:《山水図屏風》《竹林七賢図襖》《群馬図屏風》など。

デジタル画像のメタデータ

タイトル:山水図屏風。作者:影山幸一。主題:日本の絵画。内容記述:雲谷等顔, 桃山時代, 紙本墨画淡彩, 六曲一双, 各縦151.1×横359.0cm, 重要文化財, 東京国立博物館蔵。公開者:(株)DNPアートコミュニケーションズ。寄与者:東京国立博物館, (株)DNPアートコミュニケーションズ。日付:2010.8.11。資源タイプ:イメージ。フォーマット:Photoshop, 右隻833.3MB・左隻809.7MB(300dpi, 8bit, RGB)。資源識別子:雲谷等顔《山水図屏風》A-12189, TIFF, 16bit, RGB, 300dpi, 各346.0MB(右隻:E0021481, E0021482, E0021483・左隻:E0021532, E0021533, E0021534)。情報源:(株)DNPアートコミュニケーションズ。言語:日本語。体系時間的・空間的範囲:─。権利関係:東京国立博物館, (株)DNPアートコミュニケーションズ






【画像製作レポート】

 《山水図屏風》は、東京国立博物館が所蔵。作品のデジタル画像を販売している(株)DNPアートコミュニケーションズのホームページから注文することができる。担当者へメールをし、後日送られてきたURLから6画像(右隻3, 左隻3)をダウンロードした。各TIFF 346.0MB(カラーガイド・グレースケール付き)の画像ファイルを入手。
 iMacの21インチモニターをEye-One Display2(X-Rite)によって調整後、画像の調整作業に入る。モニター表示のカラーガイドと作品の画像に写っているカラーガイド・グレースケールを参考にして、画集などの印刷物を参照しながら、目視により色を調整後、右隻右のE0021483と左隻左のE0021534の画面を0.1度反時計周りに回転させて3画像を接合、縁に合わせて切り取った。モニター表示のカラーガイド(Kodak Color Separation Guide and Gray Scale Q-13)は事前にスキャニング(brother MyMiO MFC-620CLN, 8bit, 600dpi)。Photoshop形式:右隻833.3MB・左隻809.7MB(300dpi, 8bit, RGB)に保存。セキュリティーを考慮し、画像には電子透かし「Digimarc」を埋め込み、高解像度画像高速表示Flashデータ「ZOOFLA」によって、コピー防止と拡大表示ができるようにしている。
 六曲一双の《山水図屏風》は一隻を3分割にして撮影していた。画像製作時には画像をつなぐ作業をしたが、接合部を完全に一致させることはできなかった。微妙に合わない部分を画像処理せず、つなぎ面はそのままにした。1回撮影あるいは分割撮影後の接合技術が進歩することを期待している。
[2021年4月、Flashのサポート終了にともない高解像度画像高速表示データ「ZOOFLA for HTML5」に変換しました]



参考文献

審美書院編「雲谷及長谷川派」『東洋美術大観 4』pp.319-321, 1909.5.18, 審美書院
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田中助一「雲谷派の人と作品」『國華』第820号, pp.250-297, 1960.7.1, 國華社
水尾比呂志「雲谷等顔筆 山水図屏風」『國華』第923号, pp.18-25, 1970.7.1, 國華社
河合正朝「雲谷等顔について」『美學』第99号(第25巻第3号), pp.25-37, 1974.12.31, 美学会
河合正朝『日本美術絵画全集 第11巻 友松/等顔』1978.2.25, 集英社
河合正朝『日本美術絵画全集 第11巻 友松/等顔〈愛蔵普及版〉』1981.5.23, 集英社
影山純夫「史料紹介 雲谷等顔研究史料」『美術史』第114冊, pp.116-120, 1983.5.1, 便利堂
豊福知徳「雪舟の陰から現われた雲谷等顔」『芸術新潮』通巻416号, pp.50-52, 1984.8.1, 新潮社
図録『雲谷派の系譜──雪舟の後継者たち』1986.10.9, 山口県立美術館
山本英男「雲谷等顔の作風展開について」『美術史』第124冊, pp.148-165, 1988.3.30, 便利堂
山本英男「六二 山水図屏風 重要文化財 雲谷等顔筆」『日本水墨 名品図譜 第3巻 雪舟と友松』第820号, pp.178-179, 1992.12.1, 毎日新聞社
山本英男編『日本の美術』(雲谷等顔とその一派)第323号, 1993.4.15, 至文堂
山本英男「障壁画の荘厳4 画家、地方へ 巨匠雪舟ゆかりの地山口で、雲谷等顔がその画系を再興した」『日本美術館』pp.590-591, 1997.11.20, 小学館
吉積久年「雲谷等顔・等益の慶長期の史料」『山口県文書館研究紀要』第25号, pp.19-48, 1998.3.31, 山口県文書館
島尾新『雪舟の「山水長巻」風景絵巻の世界で遊ぼう』2001.10.10, 小額館
Webサイト:荒井雄三「日本美術史ノート 循環する四季 雪舟 四季山水図巻(山水長巻)」『琴詩書画巣』2002.5(http://www.geocities.jp/qsshc/cpaint/chokanmarquee.html)荒井雄三, 2014.10.6
板倉聖哲編『講座日本美術史 第2巻 形態の伝承』2005.5.30, 東京大学出版会
Webサイト:安田洋「模写について 鳥獣戯画の模写を終えて1」『安田 洋/日本画作品』2007(http://furinsha.blog78.fc2.com/blog-category-24.html)安田洋, 2014.10.6
Webサイト:「佐賀県鹿島市観光情報番組 鹿島偉人伝【雲谷等顔】」『Ustream』2012.4.23(http://www.ustream.tv/recorded/22063410)Ustream, 2014.10.6
綿田稔『漢画師──雪舟の仕事』2013.10.25, 星雲社
Webサイト:「四季山水図(雪舟筆)」『毛利博物館』(http://www.c-able.ne.jp/~mouri-m/ha_gaiyou/index.html)毛利博物館, 2014.10.6
Webサイト:「主な収蔵作品リスト 「雪舟と雲谷派・その他の作家」」『山口県立美術館』(http://www.yma-web.jp/exhibition/collection/index2.html)山口県立美術館, 2014.10.6
Webサイト:「重要文化財 山水図屏風」『e国宝』(http://www.emuseum.jp/detail/100348/000/000...)国立文化財機構, 2014.10.6


主な日本の画家年表
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2014年10月

  • 雲谷等顔《山水図屏風》広大無辺の型──「河合正朝」

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