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アート・アーカイブ探求

雲谷等顔《山水図屏風》広大無辺の型──「河合正朝」

影山幸一

2014年10月15日号

平面が目を喜ばせた

 開口一番、河合氏は型の継承について面白い話があったと教えてくれた。「アメリカのシアトルで歌舞伎公演があったとき、四代目坂田藤十郎になった鴈治郎が講演をし、その時ひとりのアメリカ人が手を上げて、あなたは女にも男の姿にもなるが、そのときの気持ちは男になったり女になったり変化するのですかと質問した。鴈治郎は『私はいつでも男です。歌舞伎は型の継承で、女であれ男であれ芝居のなかの役の型をその場やその時に合うように表現しているのです』と答えた。これはけっこう面白い話で、日本の美術もそういうところがある」と述べた。
 河合氏は1941年東京生まれ。慶應義塾大学では卒論を長谷川等伯(1539-1610)、修士論文は海北友松(1533-1615)を書いたという。1969年在学中から文学部助手を務め、1989年教授、2007年には名誉教授と長年慶應義塾大学に勤められた。
 もともと美術や造形芸術に興味があったという河合氏は「僕は感覚的にというか、目がというか、平面的なものの方が理解しやすくて立体的なものは理解しにくい。目が平面を喜び、立体を喜んでくれなかったと思う。美術を学べるところへ行けば何か美術館のような場所で仕事に就けるのではないか、そういうことで大学に入った。西洋美術でイタリアルネサンスのシエナ派がすごいなと思って勉強していたが、当時は海外渡航が大変で外国語も得意でなかったこともあり、美術作品は身近にあって実際に実物を見ることができるもので考えた方がいいと思い、日本美術史に決めた。関心があることをやることが最も良い。ただ趣味でやっているというのではなく、興味や関心が自然に躊躇なく持てるものなら、たとえ困難なことに出会ったとしても、努力を惜しむことなくできるということだ」。ようやく美術館へ辿り着いたと言う河合氏は、2012年から千葉市美術館の館長となり、魅力的な展覧会を数多く開催する美術館に磨きをかけている。

雪舟の正系

 雲谷等顔は、武家の出身で肥前国藤津郡能古見(のごみ, 現佐賀県鹿島市)城主・原豊後守直家(なおいえ)の次男として、1547(天文16)年に生まれた。本名を原治兵衛直治(なおはる)、別号を容膝(ようしつ)という。画技を初め狩野松栄(1519-1592)か、あるいは狩野永徳(1543-1590)に学んだといわれる。父直家が1584(天正12)年、肥前有馬の戦で戦死したため家は絶えたが、等顔は広島城主毛利輝元(1553-1625)に、知行二百石で召し抱えられることになった。
 そして1593(文禄2)年には、主君の輝元から領地内にあった雪舟の旧居である雲谷庵と、雪舟の大作《四季山水図》通称「山水長巻」(以下、《山水長巻》。毛利博物館蔵)を賜わった。等顔は剃髪法躰(ほったい)し、姓を「雲谷」名を雪舟等楊の「等」の一字をもらい「等顔」と改め、雪舟の正系を標榜し、雪舟画を再興させていった。雪舟様式を忠実に再現することではなく、その様式を時代に適応させる方向で、等顔様式を追求していったと思われる。
 後世の記録『弁玉集(べんぎょくしゅう)』(1672)は等顔を「雪舟三世」と記し、浅井不旧の『扶桑名公画譜(ふそうめいこうがふ)』(享保の頃〔1716-1736〕)では、雪舟の正系を長谷川等伯と争ったとの逸話を伝えている。しかし等顔自身は晩年の作品に「雪舟末孫(ばっそん)等顔筆」の款記を残すのみで正系争いについては明らかではない。
 『毛利家文書』のなかに「福原廣俊外八百十九名連署起請文」という記録があり、萩藩内では「狩野等顔」と名乗っていたという等顔。絵事(かいじ)だけでなく連歌や茶の湯も身につけ、芸能的な仕事をもって毛利家に仕えていたようだ。1611(慶長16)年法橋、最晩年には法眼に叙せられ72歳で亡くなった。

【山水図屏風の見方】

(1)タイトル

山水図屏風(さんすいずびょうぶ)。「夏冬山水図屏風」と表記することもある。英名:Mountain landscape。

(2)モチーフ

山と水の景色。

(3)サイズ

六曲一双屏風、右隻・左隻ともに縦151.1×横359.0cm。

(4)構図

屹立する主山を両隻のほぼ中央に配し、その周囲に広々とした水景や楼閣、帆船などを布置。直線と水平を意識しており、背後に景物を積み重ねることで遠近感を出しているが、景物を近接にとらえながら、明確に近景を設定しないあたり、雪舟風にみる茫洋たる近景構図法を採っている。雪舟の《山水図屏風》(フリーア美術館蔵)にその先型が見られる。

(5)色

黒、灰、藍、緑、赤茶。古来「墨は五彩を兼ねる」といわれる通り、墨の濃淡を巧みに用いながら部分的に薄く色を差し、水墨でありながらポリクローム(多彩色)の世界をつくった。各所に色が置かれ、色は暗示としてモチーフに置換できるような装置となっている。

(6)画材

紙本墨画淡彩。

(7)技法

水墨技法。墨の濃淡と、点と線を駆使し、ダイナミックかつ繊細に表現。各景物は類型化とともに、線と墨調の対比による平面装飾化がはかられている。雪舟の絵から学んだ皴法(しゅんぽう)★1によって、岩崖(がんがい)と岩石は筆勢を強調した鋭い筆致で描かれ、遠山は没骨(もっこつ)手法で簡潔に表わされる。

(8)落款

署名はなく、白文円印「雲谷」と白文方印「等顔」(縦28.0×横26.5mm)の印章が各隻にある(図参照)。署名を書かないのは絵の注文者が画家よりも立場が高く、画家が遠慮したと考えられる。


雲谷等顔の印章(《山水図屏風》右隻部分)

(9)制作年

桃山時代。慶長10年代前半と推測されている。

(10)鑑賞のポイント

等顔の得意とする広大な山水景観を描出した真体山水図。格式の高い場所と時間に使われた屏風であろう。右隻は冬、左隻は夏か秋の景を表わすが、一隻だけでも絵は完結する。両画面ともほぼ中央に屹立する大きな岩山が圧巻、その岩山の周辺には水景や楼閣が配置され広漠とした景色を見せる。右隻第2扇の山頂付近にある黒い樹木群とその真下にいる人と馬、1扇には青山、5扇には鳥の編隊飛行、また左隻には満月と5扇に高士(こうし)★2を描き、2扇と3扇に描かれた漁村の光景は、雪舟の《山水長巻》の一部を拡大展開するなど、等顔の創意工夫が見られ楽しめる。人家や舟、水辺の葦の繊細な線描や景物を背後に積み重ねていく構図にも雪舟画とのつながりを感じさせるが、等顔が学んだ狩野派の画技をそこに加えたほか、遠山の小樹や点苔(てんたい)★3に李朝絵画との親近性が指摘されている。大胆な構成、克明な筆致、沈着な武家好みの画境に、冷ややかな静寂感が漂い、等顔の特色がよく表われている代表作。重要文化財。

★1──岩石や山岳の実在感を表わすための墨の筆致技法。斧劈皴(ふへきしゅん)や披麻皴(ひましゅん)など種類が多い。
★2──世間から離れ山林などに隠れている有徳(うとく)の人。
★3──岩石や木の幹などについた苔を示す点、画面の調子を整える技巧。

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