アート・アーカイブ探求

船田玉樹《花の夕》──狂おしくも瑞々しい温故知新「野地耕一郎」

影山幸一

2014年11月15日号


船田玉樹《花の夕》1938年, 紙本彩色, 四曲一隻(180.0×359.3cm), 個人蔵
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変容する屏風絵

 一本の花木が描かれているだけの屏風絵だが、古典と現代美術のノード(継ぎ目)の役割を担った重要な作品ではないか。強烈なピンクの発光色をした絵画を思い出した。水玉をアートに昇華させた草間彌生のドット・ペインティングを髣髴させ、オーストラリアの先住民族アボリジニが描く点描画にも見え、とても日本画とは思えない絵だ。血しぶきのような赤い滴の痕跡に目がチカチカとし、実際には存在しない何かが見えてくる「カニッツアの三角形」の錯視現象かと思った。絵と脳が直結し、頭がくらっと揺らぐ船田玉樹(ぎょくじゅ)の代表作《花の夕(ゆうべ)》(個人蔵)である。
 2011年に東京国立近代美術館(以下、東近美)で開催された『「日本画」の前衛 1938-1949』展で初めて見たこの作品は、作家名や作品名より先に作品のイメージが焼き付けられた。新しい日本画であることは瞬時にわかる。が、一見の派手さとは裏腹に、繊細な筆遣いや計算された構図と色調で木は生命感を宿していた。そんなに花を咲かせて木は生きられるのか。過去と現在をつなぎ、絵画が絵画ではない何物かに変容してしまう不思議な力を秘めた絵画。《花の夕》を探求してみたい。

フランス絵画から日本画へ

 船田玉樹とはいったいどんな画家なのか、《花の夕》はどのように描かれたのか。2012年に東京・練馬区立美術館で開催された「生誕100年 船田玉樹展」を企画した野地耕一郎氏(以下、野地氏)に、《花の夕》の見方を伺ってみたいと思っていた。日本近代美術史を専門とする学芸員である野地氏は、現在東京・六本木の泉屋博古館分館の館長を務めている。
 大使館やホテルのある高層ビル群の中に静かに佇むように博古館分館はある。京都に本館があり、住友家が収集した中国青銅器をはじめ、日本の書画、洋画、茶道具などを所蔵する。野地氏は来年開催予定の「小川千甕(せんよう)展」(2015.3.7〜5.10)に向け、多忙な中でのインタビューとなった。
 野地氏は意外にも日本画は学芸員になってから勉強を始めたと言う。成城大学文芸学部へ入学し、大学院進学を決めていた頃、山種美術館の学芸員募集があり、進路に悩みながら試験を受けた。「19世紀のフランス新古典主義」と題した卒論を書き、学芸員人生をスタートさせた。野地氏は近代の日本画に優れたコレクションを所蔵する山種美術館で、日本画と出会ったのだ。そして1997年に練馬区立美術館へ異動した野地氏は、2011年東近美の『「日本画」の前衛』展で《花の夕》と遭遇する。これが契機となり船田玉樹展を企画する決心をしたという。昭和期戦前に描かれた日本画の作品数が少ないだけに、《花の夕》の出現は大きな意味がある。玉樹の全貌を明らかにすると同時に「日本画とは何か」のヒントを見出せるかもしれないと、野地氏は玉樹の地元である広島県の広島県立美術館学芸員である永井明生氏と「生誕100年 船田玉樹展」共同開催の準備を進めていった。展覧会の成果は図録『船田玉樹画文集:独座の宴』にまとめられた。


野地耕一郎氏

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