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船田玉樹《花の夕》──狂おしくも瑞々しい温故知新「野地耕一郎」

影山幸一

2014年11月15日号

歴程美術協会

 1930年代後半期の激動の時代に、新時代の日本画を目指し、第二次世界大戦開戦の前年、1938年4月に結成された前衛集団が「歴程美術協会」であった。船田玉樹、山岡良文、山崎隆、岩橋英遠、田口壮、丸木位里ら日本画家以外にも、美術評論家の四宮(しのみや)潤一、洋画家の浜口陽三らが含まれていた。協会創設の宣言文が、この時代を象徴していると、野地氏は図録『「日本画」の前衛』(p.37)から、宣言文を読み挙げてくれた。
 「歴程美術協会は今日の日本画人の因襲的なる思想と技術を拒否し造形芸術の本質に立返り反省と再出発を自覚した人々による団体であります。我々は新時代の日本画人として真に次時代の建設に向かう為所謂、温故知新、古今東西に視野を拡大することによって彼の因襲的な頭脳の固定を打破して民族財としての芸術を明日の世界文化の線に沿う世界財として実現せんとする意欲をもつものであります」。つまり規制の技法や考え方を一旦は拒否する。温故知新は因襲的なものをそのまま受け入れるのではなく、今の時代に合った新しい思想で、それを受け取るという意味であり、そこに歴程美術協会の特異性があったと、野地氏は言う。
 思想的にも造形的にも、しっかりした理論と実践を行ない、作品はシュルレアリスムや抽象表現主義、バウハウスのデザインの傾向となって表われた。《花の夕》は、1938(昭和13)年11月に第1回歴程美術協会展に展示されたのだが、翌年岩橋、丸木、玉樹らの主要メンバーは脱退し、1942年第8回をもって解体した。
 日本画の最も急進的な集団でありながら、伝統絵画や古典に対する最も強い志向をもち、洗練された洋画の模倣からも逸脱した試みを行なうグループであった。活動期間は短く、未成熟な活動であったとしても近現代日本画史上忘れてはならない意味のある団体だった。

すべて並置

 《花の夕》は、古いところと新しいところの両面がある、と野地氏は解説を続けた。新しさはピンク、白、オレンジ系の赤色が混ざり合う花の色調に見られる色彩感覚。もうひとつはヨーロッパから来た点描風の作品やアンリ・マティス(1869-1954)らのフォービスム。タッチで表現していく、ある意味ではオブセッション。一つひとつの花を見ればほぼ並置され、幹や枝がその花の下に隠れているせいで、花が固まりのようなもの、立体感があるように見え、月は本来木の向こう側にあるが、幹を抱いた玉のようにも見える。視覚のマジックなのだが、描き方はすべて並置である。長谷川等伯(1539-1610)の《松林図屏風》、琳派で言えば尾形光琳の《紅白梅図屏風》などがもとにある。また、絵のなかの時間を描いているのも日本画の特徴のひとつであり、季節感もそうだが、朝から昼、夜と変わる一日の時間、動く月や散る花など、玉樹は移り変わって行く自然に愛惜を持って時間を描いていた。さらに屏風であることがもうひとつ味噌。平らに置いて見せるだけではなく、屏風を折り曲げることによってその都度鑑賞者へ空間構造を主張することができ、それがまた置物としても機能する。それら古典と西洋近代が混合しているのが《花の夕》である、と野地氏。
 「《花の夕》が制作された昭和13(1938)年は、玉樹の師であった御舟が亡くなった3年後で、意識のなかには《名樹散椿》があり、御舟へのオマージュも含まれていたと思う。船田玉樹は絵描きとして絵を残しただけでなく、意思を持って描いた人。ひとつのものをつくると、それを打ち壊して進んだ。そしてまた次のところへ行く、この連続だった。そこは御舟と同じような画業だった」と野地氏は語った。

野地耕一郎(のじ・こういちろう)

泉屋博古館分館館長。1958年神奈川県生まれ。1983年成城大学文芸学部美学美術史専攻卒業。1983年山種美術館学芸員、1997年練馬区立美術館学芸員、同美術館主任学芸員を経て、2013年泉屋博古館分館学芸課長、2014年から現職。専門:日本近代美術史。所属学会:明治美術学会。主な編共著:『現代の日本画8巻・杉山寧』(学習研究社, 1991)、『現代日本素描全集8巻・加山又造』(ぎょうせい, 1992)、『船田玉樹画文集:独座の宴』(求龍堂, 2012)など。主な企画展覧会(練馬区立美術館):「現代美術の手法(3)「日本画」純粋と越境:90年代の視点から」(1998)、「没後120年─菊池容斎と明治の美術」(1999)、「生誕100年 船田玉樹展─異端にして正統、孤高の画人生。」(2012)など。

船田玉樹(ふなだ・ぎょくじゅ)

画家。1912-1991(大正元〜平成3)年。広島県賀茂郡(現呉市)生まれ。本名は信夫、雅号は玉樹のほか柑子(かんし)、桃鳩子(とうきゅうし)。1931年広島洋画研究所で山路商に兄事し、翌年上京、その頃結婚。靉光を訪ね、番衆技塾に通い油彩画を学ぶ。美術評論家の四宮潤一(1903-1954)と出合う。1933年宗達光琳派の特別展を見て感激し、日本画に転向。1934年速水御舟に薫陶を受ける。翌年御舟が没したため小林古径に師事。その後「玉樹」と号する。1936年日本美術院展に《花の朝》入選。1938年歴程美術協会結成に参加、第一回展に≪花の夕≫などを出品。1939年同協会脱退。1941年第一回岩橋英遠・丸木位里・船田玉樹三人展を開催。1944年応召するが病気で除隊。戦後は広島に戻り、院展や新興美術院展などに出品。1963年院展脱退、新興美術院理事。1974年クモ膜下出血のため右半身が不自由となるも奇跡的に回復。1976年新興美術院を脱退、以後無所属。高次元での日本画と油彩画の融合を展開した。1991年78歳没。主な作品:《花の夕》《紅梅(利休像)》《大王松》《暁のレモン園》《老梅》《枝垂れ桜》など。

デジタル画像のメタデータ

タイトル:花の夕。作者:影山幸一。主題:日本の絵画。内容記述:船田玉樹, 1938年, 紙本彩色, 四曲一隻, 縦180.0×横359.3cm, 個人蔵。公開者:(株)DNPアートコミュニケーションズ。寄与者:船田玉樹遺族, (株)DNPアートコミュニケーションズ。日付:─。資源タイプ:イメージ。フォーマット:Photoshop, 46.4MB(400dpi, 8bit, RGB)。資源識別子:p《花の夕》船田玉樹.psd, 57.05MB(400dpi, 8bit, RGB)。情報源:船田玉樹遺族。言語:日本語。体系時間的・空間的範囲:─。権利関係:船田玉樹遺族






【画像製作レポート】

 《花の夕》は個人蔵。作品のデジタル画像を船田玉樹ご遺族より57.05MB(カラーガイド付)の画像ファイルを送信して頂いた。
 iMacの21インチモニターをEye-One Display2(X-Rite)によって調整後、画像の調整作業に入る。モニター表示のカラーガイドと作品の画像に写っているカラーガイドを参考にして、画集などの印刷物を参照しながら、目視により色を調整後、画面を0.2度時計周りに回転させ枠に合わせて切り取った。モニター表示のカラーガイド(Kodak Color Separation Guide and Gray Scale Q-13)は事前にスキャニング(brother MyMiO MFC-620CLN, 8bit, 600dpi)。Photoshop形式:46.4MB(400dpi, 8bit, RGB)に保存。セキュリティーを考慮し、画像には電子透かし「Digimarc」を埋め込み、高解像度画像高速表示Flashデータ「ZOOFLA」によって、コピー防止と拡大表示ができるようにしている。
 色の調整は実物を見ながら行ないたい、と毎回感じることだが、それがかなったとしても見え方は刻一刻と変わり、絵柄によっては錯視が増幅することも考えられ、実物と一致させることは、ジレンマが常に付きまとう。しかし、状況を問わず実物に添わす気持ちが先ずは大切であることを、《花の夕》の画像制作で再認識した。
[2021年4月、Flashのサポート終了にともない高解像度画像高速表示データ「ZOOFLA for HTML5」に変換しました]



参考文献

船田玉樹「私達に與へられた任務」『美之国』第17巻第3号, pp.59-60, 1941.3.1, 美之国社
船田玉樹・山本政雄・菊地明子「誌上回顧展-15 「歴程」の思い出」『美術グラフ』第23巻第9号, pp.22-28, 1974.10.15, 時の美術社
「歴程美術研究会」『古沢岩美美術館月報』第25号, pp.80-81, 1977.6.10, 古沢岩美美術館
北川フラム「船田玉樹について」『船田玉樹屏風十二双』1985.10, アート・フロント・ギャラリー
鈴木進・北川フラム「[話題]船田玉樹─もうひとつの世界」『アート’85』No.113, pp.42-47, 1985.11.1, マリア書房
針生一郎「戦後日本画の風雲児たち」『戦後日本画の一断面─模索と葛藤』pp.105-108, 1986.1.6, 山口県立美術館
野地耕一郎「純粋と越境─90年代の「日本画」考」『現代美術の手法─③ 「日本画」:純粋と越境─90年代の視点から』pp.6-8, 1998, 練馬区立美術館
菊屋吉生「昭和初期新日本画運動についての一試論」『日本画・昭和の熱き鼓動』図録, pp.73-87, 1988.1.7, 山口県立美術館
出原均・迫中陽子「船田玉樹に聞く 回顧 昭和初期の広島の美術から、歴程美術協会まで」『広島の美術の系譜─戦後の作品を中心に』図録, pp.6-7, 1991.2.2, 広島市現代美術館
Webサイト:永井明生「船田玉樹と《水墨河童》について─資料紹介・自作詩集『その河風をやめてくれ』『痩河童』─」『広島県立美術館 研究紀要第4号』pp.1-18, 2000.3.22(http://www.hpam.jp/htdocs/images/about/BulletinNo04_Nagai2000.pdf)広島県立美術館, 2014.11.1
図録『「日本画」の前衛 1938-1949』2010, 京都国立近代美術館
出原均「[特集②「日本画」の前衛 1938-1949 丸木位里と船田玉樹についての覚書]『現代の眼』585号, pp.6-7, 2010.12.1, 東京国立近代美術館
北川フラム「船田玉樹 展覧会─「日本画」の前衛展によせて─」『美術手帖』No.948, p.132, 2011.2.1, 美術出版社
船田玉樹『船田玉樹画文集 独座の宴』2012.7.24, 求龍堂
野地耕一郎「生誕百年のつむじ曲がり 十選 2 船田玉樹「花の夕」」『日本経済新聞』(朝刊, 文化欄)2012.9.7, 日本経済新聞社
Webサイト:「生誕100年 船田玉樹 ─異端にして正統、孤高の画人生。─展」『練馬区立美術館』2012.10.24(http://www.city.nerima.tokyo.jp/manabu/bunka/museum/tenrankai/tenrankaikako/tenrankai2012/hunada2012.html)練馬区立美術館, 2014.11.1
Webサイト:永井明生「ブログ「生誕100年 船田玉樹展」の見どころ」『広島県立美術館』2013.1.30(http://www.hpam.jp/blog/?p=7758)広島県立美術館, 2014.11.1
Webサイト:永井明生「ブログ 山下裕二さんのセンチメンタル・ジャーニー in 呉 (船田玉樹展) IMG_4956」『広島県立美術館』2013.2.8(http://www.hpam.jp/blog/?attachment_id=7937)広島県立美術館, 2014.11.1
Webサイト:「生誕100年 船田玉樹展プレスリリース」『広島県立美術館』(http://www.hpam.jp/upload/news/207/1.pdf)広島県立美術館, 2014.11.1
Webサイト:「特別展 生誕100年 船田玉樹展─異端にして正統、孤高の画人生─」『広島県立美術館』(http://www.hpam.jp/special/index.php?mode=detail&id=86)広島県立美術館, 2014.11.1


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