アート・アーカイブ探求
狩野秀頼《高雄観楓図屏風》太平の記録、母性の記憶──「鈴木廣之」
影山幸一
2015年12月15日号
対象美術館
白い山
京都・高雄の楓は美しい。初夏に京都北西部に位置する高雄の古刹、神護寺を訪ねたことがある。古来紅葉の名勝として知られる高雄だが、青もみじの葉が幾重にも連なり、やわらかな新緑がキラキラと爽やかだった。その後この高雄を描いた《高雄観楓図屏風》(東京国立博物館蔵)という不思議な屏風に出会った。
薄茶色の屏風の左上に目立って白い部分があった。なまめかしい豊かな乳房形に象られたその白い色面が気になっていた。改めて実物を眼前にして一歩絵の中に入ってみると、白い雪をたたえた山だった。それが雪山であることはわかったが、なにやら妙な風情を感じる作品であることに変わりはなかった。描かれている人物や風景の一つひとつが、問いを投げかけてくるようだ。ここは高雄のどこか、中国風にも見える人々は楽しげに何をしているのか、なぜ男女が分かれているのか、橋の存在も意味深げではないか。細部を見るほどに疑問が湧いてくる。
紅葉を観賞するという主題にしては、楓の葉は大きいが、木は6本と少なく、画面の三分の一は雲に覆われている。高雄の春夏と秋冬を描いた六曲一双なら右隻・左隻の屏風として四季のダイナミズムも生まれたろう。だが、これは六曲一隻の屏風絵であり、しかも国宝である。
絵師の名は、狩野秀頼という初めて知る名だった。未知の国宝を解明できないものかとネットで検索すると、大胆にも《高雄観楓図屏風》の上に直線を20本以上引き、作品理解に果敢に挑むブログがあった。おかげで絵との距離が一気に縮んだ。また同時に、楽しそうな紅葉狩りでは済みそうもない、屏風絵に託された不思議を探求したくなった。
国宝《高雄観楓図屏風》については、思いのほか著述が多くなかったが、『絵は語る(8)狩野秀頼筆《高雄観楓図屏風》:記憶のかたち』(1994)の著者、鈴木廣之東京学芸大学教授(以下、鈴木氏)は、20年前に本書でこの絵に対する疑問を列記されていた。男女分かれての宴、僧侶の素性、橋の上での笛吹き、橋、雁と白鷺、この情景を描いた意味等々。その後、疑問は晴れたのだろうか。中近世絵画史を専門とする鈴木氏を東京・小金井市の東京学芸大学に訪ねた。
美術史との遭遇
鈴木氏は、子どもの頃より絵が好きで中学、高校と美術部に入り油絵を描いていた。1952年東京・大森生まれ、学園紛争があった青春時代、絵描きでは食べていけないことを父親から諭され東京大学へ入学。美術史というものがあることを知り専攻した。辻惟雄先生が1970年に出版した『奇想の系譜:又兵衛─国芳』に影響を受けて、狩野内膳の《豊国祭礼図屏風》(豊国神社蔵)と伝岩佐又兵衛の《豊国祭礼図屏風》(徳川美術館蔵)とを比較研究して卒論を書いた。1979年同大学院を修了し、東京国立文化財研究所(現東京文化財研究所)の情報資料部写真資料研究室へ研究員として就職。美術に関する画像アーカイブを制作する仕事などを経て、2005年より東京学芸大学で日本美術史を学生に教えている。会員2,400名を擁する美術史学会の代表委員を務める。
《高雄観楓図屏風》は、年1回展示されていたため学生時代から見ていたという。「あーこれか」という感じだった。イギリスの出版社が刊行した『Art in Context』(Penguin、London)をもとに企画されたという「絵は語るシリーズ」は、巻末に付いている絵を見ながら文章を読めるように工夫されていた。鈴木氏は《高雄観楓図屏風》を執筆担当することになり、新たに屏風絵を見直したと言う。「何だこれは」と面白くなり、調査が始まった。
厚ぼったい画風
応仁の乱(1467-1477)によって荒廃した都が復興していく16世紀半ば、室町から安土桃山時代の初頭に、幅広い分野で制作をしていたのが狩野派の画家・狩野秀頼であった。1569(永禄12)年に治部少輔(じぶのしょうゆう)という冠位を得たが、その実像は正確に把握されていない。狩野元信の次男乗信(じょうしん)とも考えられるが、秀頼の子である真笑(しんしょう)も「秀頼」の印章を用いていたことから、元信の孫にあたる真笑を秀頼とする説もある。秀頼は、東寺絵所として代々絵仏師を務める本郷家へ養子に入り、1534(天文3)年東寺の絵師となった記録はあるものの、狩野家に戻り父の元信・弟の松栄(1519-1592)を支えていたようだ。
大和絵と漢画の技法を兼帯した狩野派の作風を踏襲しながら、秀頼は濃厚な彩色とデフォルメした骨太の人物像など厚ぼったい画風を特色としており、《渡唐天神像(ととうてんじんぞう)》(個人蔵)や《酔李白図(すいりはくず)》(板橋区立美術館蔵)、《神馬図(しんめず)》(島根県賀茂神社蔵)などを制作した。生年は不明だが73歳で没したと伝えられる。
【高雄観楓図屏風の見方】
(1)タイトル
高雄観楓図屏風(たかおかんぷうずびょうぶ)。英文:Maple Viewing at Takao
(2)モチーフ
男、女、子ども、僧侶、隠者、商人、雁、白鷺、川、橋、亀、松、楓、岩、苔、秋草、雲、愛宕(あたご)社、神護寺。
(3)制作年
16世紀後半。室町〜安土桃山時代。狩野秀頼の活躍期である永禄年間(1558-70)頃ともいわれる。応仁の乱後、三好長慶(ながよし、1522-1564)が畿内を制圧した平穏なほんの一時期、旧暦十月という仮説もある。
(4)画材
紙本著色。和紙、墨、顔料、金泥。
(5)サイズ
縦150.3×横364.3cm。六曲一隻。
(6)構図
橋を中心にして、自然と人間、男と女、楓と松、山と川、雁と白鷺など、相対するモチーフを橋の周辺に組み合わせて配置。また川を境に、近景の俗と遠景の聖の異なる世界を俯瞰した構図は、連なりを思わせる森羅万象の理知的構成ともなっている(図参照)。
(7)色彩
多色濃彩。装飾的な紅葉の赤色が全体にちりばめられ、補色の緑色が効果的。彩りは豊かであるが、重厚で落ち着いた風格がある。
(8)技法
大和絵の彩色と漢画の描線を融合させた独特の力強い技法。伝統的な四季絵や名所絵、霊所参詣図、絵巻などから図様を引用し、再構成。衣装や調度品などは細部をリアルに描写し、紅葉や亀、苔などは拡大して表現している。
(9)落款
署名はなく、画面左端に「秀頼」の壺形印章がある。
(10)鑑賞のポイント
紅葉の楓、川、橋、門の四つの図像が、紅葉の名所高雄を表わす。左上に愛宕社、右上には多宝塔を擁する神護寺を配置。二匹の亀がいる画面中央に横たわる清滝川は、聖と俗の境界線となり、画面の中心にある橋は、霊地への掛け橋として聖俗をつなぐ。飛び立つ雁、舞い降りてくる白鷺は、秋を象徴、季節の推移、浄土との往還を示す。秋の紅葉と冬の雪山が同居しているのも、そこが四方四季を具備した仙境であることを表わす。一番手前には、ごつごつとした岩が横に並び、紅白の菊、白萩、すすき、龍胆、桔梗、藤袴、両脇には松が一本ずつ配され、画面全体を額縁のように縁取っている。風俗と花鳥が合わさったような全体の雰囲気。貴族ではない武士らが紅葉を楽しむ姿を描き、現実と想像を併せて、太平を願う世界を表わした。川のせせらぎ、人々の歓びの笑い声、笛の音などが聞こえてくるようだ。近世初期風俗画の遊楽風俗図屏風の先駆けと位置付けられてきた。1953(昭和28)年国宝指定。
太平の象徴
鈴木氏は《高雄観楓図屏風》について「高雄での紅葉狩りは、室町時代の禅僧の詩文集にも書かれている。《高雄観楓図屏風》のような光景は実際にあったのだろう。ただ当時、男女がわかれて宴会をしたのか、また人物の顔のつくり方は現実に即しているのか、つくられた顔なのかなど、よくわからない点はまだ多い。1994年に『絵は語る 狩野秀頼筆《高雄観楓図屏風》』を書いてからの20年間でこの屏風絵の解釈が進んだことは特にはないが、1565年頃に描かれた狩野永徳筆の上杉本《洛中洛外図屏風》の左隻(第二、三扇上端)に洛外図として高雄と愛宕が描かれている。同様の図像が描かれているので、比較しながら見ると理解しやすいのではないかと思う。例えば《洛中洛外図屏風》第二扇にも立売りの茶の商人と客がおり、客と商人の位置が逆になるように反転させて見ると驚くほど一致している。また実際に清滝川を遡ると、栂尾(とがのお)に高山寺がある。高山寺の明恵(みょうえ)上人(1173-1232)へ、臨済宗の禅寺建仁寺を開創した栄西(ようさい、1141-1215)が宋から将来した茶種を贈った。茶が日本で初めて栽培された場所が高山寺だが、茶の由来と茶売りの脈絡を想起する。同じ第二扇には僧侶と喝食も見られる。茶─栄西─臨済禅と連想を働かせれば、僧侶たちは禅僧で観楓に来たと理解できるのではないか。《高雄観楓図屏風》を誰が何のために描かせたのか、描いた目的もわからないが、ある特定の出来事を記録、記憶するために誰かが秀頼に屏風絵を描かせたのだと考えている。この時代は武家が美術や芸術といわれるものを所有するようになった。それ以前は貴族。商人たちはまだそこまでいかない。画面左下に描かれた重箱の松皮菱(まつかわびし)紋は、戦国時代の大名三好長慶の家紋の三階菱(さんがいびし)と関係がありそうだ。三好長慶が畿内を制圧した(1553-1564)十年ほどだが、戦国時代(1467-1590)にも都に平和があった。その太平の象徴が高雄の観楓だったと思う。神護寺のある高雄をめぐる浄土のイメージも重なり合い、後世へ伝える視覚の記憶媒体として《高雄観楓図屏風》は制作されたと想像する」と語った。
母性の記憶
《高雄観楓図屏風》は、幕末・明治期の政治家で五ヵ条の誓文の起草者であり、文部大臣を務めた福岡孝弟(たかちか、1835-1919)が所有していたといわれ、Googleの「Art Project」でも《Maple Viewers(観楓図屏風)》として公開されている。その「Tokyo National Museum」111件の最初に表示されており、「Gigapixel」では拡大表示によって人物の髪の毛や、絵具の乗り具合といった細部を見ることができる。この《高雄観楓図屏風》という国宝は、日本人よりも案外外国人の方が多く目にしているかもしれない。
戦国時代の乱世の代に描かれた屏風絵は、過ぎ去り、消え去ることへの怖れが、作画を促し平穏な日常を思い起こす記録にもなり、生きる力を強化させたのだろう。楓の豊かな高雄が古えから無何有の郷(むかうのさと)であることを、時を超えて共感することもできる。乳を赤子にふくませる女性の眩しい姿、あの白い山の輝きが重なり合う。母性の記憶が甦ってくる。
鈴木廣之(すずき・ひろゆき)
狩野秀頼(かのう・ひでより)
デジタル画像のメタデータ
【画像製作レポート】
参考文献