アート・アーカイブ探求
ティツィアーノ・ヴェチェリオ《ウルビーノのヴィーナス》──ヌードの多義性「細野喜代」
影山幸一(ア-トプランナー、デジタルアーカイブ研究)
2021年04月15日号
※《ウルビーノのヴィーナス》の画像は2021年4月から1年間掲載しておりましたが、掲載期間終了のため削除しました。
肉体の奥行き
東京オリンピック(2021年7月23日〜8月8日)・パラリンピック(8月24日〜9月5日)の開催が近づいている。宿主が集まることを知っていたかのようにコロナ感染者がまた急速に増え始めて、「まん延防止等重点措置」が大阪・宮城をはじめ沖縄など、6都府県で実施された。人とウイルスとのせめぎ合いのなか、2019年急性リンパ性白血病で入院した競泳の池江璃花子選手(20)が日本選手権(4月3〜10日、東京アクアティクスセンター)の4種目で優勝し、オリンピック代表に内定。驚異的な肉体に驚いた。
古代ギリシアの壺絵には、中距離走やボクシング選手などが裸体で描かれている。宗教的祭典でもあった古代オリンピック(紀元前776-393)は、平等性や安全性を考慮して男性が裸で競技を行なっていたそうだ。肉体は運動が停止すれば死を迎えるが、2500年前の壺に描かれた肉体には生気が満ちている。小説家の平野啓一郎は「肉とは、この此岸世界の物質性の象徴であり、同時に此岸世界の生の象徴でもある。そして、運動は、一時も停止することなく、身体の多義性を撹拌(かくはん)し続ける。私たちはそれを、肉体と呼び習わしている。西洋絵画のヌードを見る時に、まず意識すべきは、この点であろうかと思う」(『ART GALLERY ヌード』p.88)と書いている。
ルネサンス期の神話画、ティツィアーノ・ヴェチェリオの《ウルビーノのヴィーナス》(ウフィッツィ美術館蔵)を探求してみたいと思った。生き生きとした裸婦がこちらを直視している。女神ヴィーナスというよりも実際に存在する女性のようでハッとする。暗がりになる衝立が、ヴィーナスのキメの細かい素肌と恥部を強調し、奥の方では夕闇の迫る時刻、箱の中から女たちが忙しそうに探し物をしている。人が働く明るい中で全裸で寝ている違和感が、ヴィーナスの妖艶さと空間的な奥行感を感じさせる。ベッドの裸婦から外の風景へと、視線を誘導するような絵画空間には何か仕掛けがありそうだ。
論文「ティツィアーノの『ポエジーア』研究」で博士号を取得され、ティツィアーノの翻訳書も多数手がけるイタリア・ルネサンス美術史を専門とする美術史家、細野喜代氏(以下、細野氏)に、東京・田園調布で《ウルビーノのヴィーナス》の見方を伺った。
イスラム史とヴェネツィア派
細野氏は、岐阜県の揖斐(いび)郡に生まれた。建設業を営んでいた両親と祖父母、2人の弟の7人家族の兼業農家だった。小学校6年生のときに岐阜市へ引っ越したが、それまでは家の周りの田んぼや畑、神社を飛び回って育ったという。子供の頃NHKの「シルクロード」という番組を見て、中央アジア最古の都市ウズベキスタンのサマルカンドや、イランの古都イスファハーンのモスクなどに使われているタイルの美しいブルーの色彩に魅せられた細野氏は、高校生になると彼の地に通底するイスラム史を勉強したいと思ったそうだ。
当時イスラム史を勉強できる大学は少なく、東京の慶應義塾大学文学部史学科に入学した。イスラム史を専攻し、イスラム世界の共通語であるアラビア語を学んで修士課程を修了。卒論では、地中海の要所にあって、イスラムやビザンチン、ノルマン朝(1066-1154)の影響を受け、文明の十字路となったシチリア島を採り上げた。独特の文化が花開いた11~12世紀のシチリア島の繁栄ぶりについて、アラビア語とイタリア語を使って書き上げた。実際にイタリアへ行き、フィレンツェやローマも巡るなかで、美術作品の美しさに感動してイタリア美術史に関心をもつようになったという。
史学科から同校の美学美術史学科に学士入学で入りなおし、修士、後期博士課程へ進学した細野氏は、ヴェネツィアに興った絵画の流派であるヴェネツィア派聖母被昇天》を見たときの感動は変わらないと語った。
を研究することを決心した。ヴェネツィアはイスラム世界との関係もあり、歴史学を学んだことは美術史の研究でも役立つ。後期博士課程在学中に、4年間イタリア政府給付留学生として、ヴェネツィア大学へ留学した。そこでヴェネツィア派の大家アウグスト・ジェンティーリ教授(1943-)の指導のもと、ティツィアーノの「ポエジーア」のうちの3枚の神話画について、イタリア語で3本の論文を書き、定評のある専門誌『Venezia Cinquecento. Studi di storia dell’arte e della cultura』に3本とも掲載して帰国した。その後、慶應義塾大学で博士号を取得する。卒論も修士論文も博士論文もティツィアーノである。現在でもヴェネツィアのサンタ・マリア・グロリオーザ・デイ・フラーリ聖堂にある有名なティツィアーノ作品《海の都の公認画家
イタリアは描画に欠かせないオーカー(黄土色)やシエナ(黄褐色)など、土性顔料の宝庫であった。そしてイタリア北東部のヴェネツィアは当時、高級織物、宝飾品の加工などで世界的にも名を馳せ、ファッションや装身具でも流行の発信源だった。経済的にも繁栄し、15世紀末ティツィアーノの時代にヴェネツィアは実験的な絵画表現が試される芸術の中心地として、文化、芸術の黄金期を迎える。水蒸気に光が反映する美しい現象が見られるアドリア海の女王と言われるヴェネツィアは、商業都市特有の現実的、宗教的空間であったが、時には享楽的なことを好み、官能美を発揮した。
ティツィアーノ・ヴェチェリオは、1490年頃ヴェネツィアの北約120kmのヴェネト州ピエーヴェ・ディ・カドーレに生まれた。少年期になるとヴェネツィアの叔父のもとに身を寄せ、画家でモザイク師のセバスティアーノ・ズッカーティの工房で働き始める。その後、ヴェネツィア派の先駆者である画家ジョヴァンニ・ベッリーニ(1430頃-1516)の工房で修業した。そして画家ジョルジョーネ(1477/78頃-1510)との共同制作を始め、新しい色調表現を学んでいくと徐々に独自の画風を確立し、商業の中心地であったリアルト橋のたもとのドイツ人商館の外壁にフレスコ画を描いた。ジョルジョーネが早世してしまうと、未完で残された作品を完成させ、初期の代表作である《聖愛と俗愛》(1514)を制作した。
師匠ベッリーニが死去すると後継者として、ヴェネツィア共和国の公認画家となった。2年後にはヴェネツィアにあるサンタ・マリア・グロリオーザ・デイ・フラーリ聖堂の主祭壇画《聖母被昇天》(1518)を描き、ヴェネツィア画壇の第一人者としての地位を確立。1525年チェチリア・ソルダーノと結婚する。ティツィアーノの名声はヴェネツィア国外にも広まり、北イタリアの小都市国家の君主たち、ローマ教皇パウルス3世(1468-1549)やヨーロッパ各地の王侯貴族がパトロンとなる。また、神聖ローマ皇帝カール5世(スペイン王カルロス1世。1500-58)から、現在の大臣職にあたる「宮廷伯」や宮廷に自由に出入りできる「黄金拍車の騎士」の称号を1533年に授与され、皇帝の家門であるハプスブルク家の宮廷画家となった。1538年、《ウルビーノのヴィーナス》が完成する。
「魔術的印象主義」
ティツィアーノの後半生は、カール5世と皇子のフェリペ皇太子(後のスペイン王フェリペ2世。1527-98)のために数多くの絵画を制作し、ヴェネツィアからスペインへと発送された。神話画・宗教画・肖像画にさまざまな情感を色彩によって表わし、モニュメンタルな様式をつくり出した。油彩絵具の可能性を極限まで引き出し、色彩と光の表出効果を探求し
、濃密な詩的雰囲気を喚起した。17世紀のバロック美術に大きな影響を与えたカラヴァッジョ(1571-1610)やフランドルの画家ルーベンス(1577-1640)、スペインの画家ベラスケス(1599-1660)、印象派のマネ(1832-83)やルノワール(1841-1919)と、時代を超えて絶大な影響を与えた。1546年にはローマ庁よりローマの市民権を授与される栄誉に浴する。ティツィアーノは1576年、ペストが蔓延していたヴェネツィアで死去した。享年86か88歳と推定される。サンタ・マリア・グロリオーザ・デイ・フラーリ聖堂に埋葬された。ヴェネツィア派の最大の巨匠であり、盛期ルネサンスにおける重要な画家のひとりであった。時に「魔術的印象主義」と呼ばれるティツィアーノの様式は、晩年になっても衰えずますます独創的な境地に進んでいった。
フェリペ2世の依頼による古代ローマの詩人オウィディウスの『変身物語』に題材をとった古代神話の連作絵画「ポエジーア(詩想画)」(1550-62頃)は、ティツィアーノ晩年の傑作と言われ、現在スペインのほか、イギリスとアメリカに所蔵されている(《ダナエ》《ヴィーナスとアドニス》[ともにスペイン、プラド美術館蔵]、《ペルセウスとアンドロメダ》[ロンドン、ウォレス・コレクション蔵]、《ディアナとアクタイオン》《ディアナとカリスト》[ともにロンドン、ナショナル・ギャラリーとスコットランド国立美術館共同所有]、《エウロペの略奪》(ボストン、イザベラ・スチュワート・ガードナー美術館蔵)、未完の《アクタイオンの死》[ロンドン、ナショナル・ギャラリー蔵])。
2020年、ロンドンのナショナル・ギャラリーで、これらの作品が400年以上の時を経て初めて一堂に会した大展覧会が開催された。
ヴィーナス像の変遷
ヴィーナスは、愛と美の女神で、豊穣や結婚の守護神、多産や子孫繁栄の意味をもつ。またヴィーナスの恋人は軍神マルスであることから、戦に行くマルスを止められるのはヴィーナスであり、戦争の抑止や平和を維持する女神でもある。
《ウルビーノのヴィーナス》は、共同制作者であったジョルジョーネが28年前の1510年に制作した祝婚画《眠れるヴィーナス》(ドレスデン国立美術館蔵)をもとに描かれた。ジョルジョーネの死後、ティツィアーノが完成させたこの作品は、ヴェネツィアの貴族で美術品のコレクターだったマルカントニオ・ミキエル(1484–1552)が実地見聞して書いた『美術品消息』(1521-43)に書かれている、と細野氏は言う。
「再生」を意味するルネサンス(14~16世紀)は、古代の芸術や文芸、古典の復興・再生が行なわれた時代である。古代のヴィーナス(ラテン語でウェヌス)像を遡ってみると、代表的なものとして紀元前4世紀のプラクシテレス作《クニドスのアフロディテ》(ローマ国立博物館アルテンプス宮蔵など)がある。愛と美と性を司るギリシア神話の女神として、史上初めての等身大の女性裸体像である。右手で陰部を隠すポーズから「恥じらいのウェヌス(ヴィーナス)」と呼ばれる。さらにこの《クニドスのアフロディテ》の変型で、紀元前3~紀元前2世紀に原作がつくられた《カピトリーノのヴィーナス》(カピトリーノ美術館蔵)は、古代ローマ時代に摸刻されている。ボッティチェッリ(1444頃-1510)の《ヴィーナスの誕生》もまた《カピトリーノのヴィーナス》と同じポーズである。
「横たわり眠る女性像としては、ヴァチカン美術館蔵の《アリアドネ(クレオパトラ)》(2世紀)があるが、ジョルジョーネと共作の《眠れるヴィーナス》のもとになったのが、この《アリアドネ(クレオパトラ)》と立像の《クニドスのアフロディテ》と考えられる」と、細野氏は述べた。また初めて「横たわるヴィーナス像」が描かれたのは、1400年代ルネサンス期に制作されたカッソーネ(長持ち) の蓋の内側だったようだ。一例として、画家パオロ・ウッチェッロ(1397-1475)によるカッソーネの板絵(1460頃、米国イエール大学アート・ギャラリー蔵)が挙げられる。そこからヴィーナス像が1枚のタブロー画になったという。
【ウルビーノのヴィーナスの見方】
(1)タイトル
ウルビーノのヴィーナス。英題:Venus of Urbino
(2)モチーフ
ヴィーナス、ベッド、衝立、緑のカーテン、バラ、腕輪、耳飾り、指輪、子犬、2人の侍女、2台のカッソーネ、ギンバイカ(ミルト)の鉢植え、壁飾り、柱、窓、木、夕暮れの空。
(3)制作年
1538年。ティツィアーノ48~50歳。
(4)画材
キャンバス、油彩。
(5)サイズ
縦119.2×横165.5cm 。
(6)構図
ヴィーナスの後ろの衝立を垂直線とし、ベッドの木枠を水平線とするとヴィーナスの下腹部で線が交差する。絵の中の背景でも水平と垂直を繰り返し画面を安定させて、横たわるヴィーナスを左上から右下へ対角線上に配置し、女性の曲線美を強調している。ヴィーナスの眼差しに引きつけられた視線は、裸身をすべり抜けて、子犬、奥の赤いドレスの侍女、空、鉢植え、カッソーネの中を探る侍女へと螺旋状に誘導される。
(7)色彩
赤、青、黄、緑、茶、白、金など多色。赤で有名なティツィアーノは、この作品に3種類の赤を使っている。テッラ・ロッサ、バーミリオン、カーマイン。テッラ・ロッサは、土を焼くと赤色になる赤土で、金髪や肌に使う。バーミリオンは朱色で、頬や肌、マットレス。カーマインは、カイガラムシから作る洋紅色(ようこうしょく)で、バラの花びらに用いられた。
(8)技法
油彩。一般的に当時は、輪郭線の中に絵具を薄く伸ばして描いていたが、ティツィアーノはキャンバス全体にテーマに合った色の絵具で下塗りをし、その上に黒は使わず、茶色などの中間色で描いた輪郭線をスフマート
でぼかしながら制作した。絵具を思いのまま感覚的に置いていたが、色彩遠近法も用いた。マットレスの赤、後ろの衝立には緑のカーテン。暖色で進出色の赤と、後退色である寒色に近い低明度の緑の中間に配置されたヴィーナスは、存在感が際立っている。また、赤と緑は補色の関係でもあり、互いの色を強調する。奥の部屋には線遠近法が用いられ、消失点が二つある。床面のタイルに沿って補助線を引くと、画面を縦横上下で四等分した場合、画面中央部よりもやや左上に消失点がある。一方、壁飾りの下の線を伸ばしていくと、壁面の消失点は床面の消失点よりもさらに左寄りにあることがわかる。よって、鑑賞者の視線はヴィーナスのまなざし、顔、上半身に集中する。床面の線遠近法は、奥の部屋の奥行をいっそう強調させ、壁面の線遠近法ではヴィーナスの位置をより前面に押し出す効果がある。また前景と後景の部屋は隣接しているだけで非連続だが、不自然に見えないように、彩色(赤、緑、青、金)によって関連づけられている。(9)サイン
なし。
(10)鑑賞のポイント
愛と美の女神であるヴィーナスは、古代ローマ神話の女神であり、ウルビーノとは公国の名である。ベッドに裸体で横たわる等身大の若々しい女性の眼差しは、魅惑的だ。美しい面立ちとしなやかな肢体に反して、下腹部には膨らみがある。ルビーとサファイアを散りばめた太いゴールドの腕輪をはめた右手で深紅のバラを優しくつかみ、左耳には大粒のバロック・パールのピアスをし、陰部を覆う左手の小指にはゴールドの台にルビーの指輪をはめている。画面奥の室内では、2人の侍女が婚礼道具のカッソーネから豪華なドレスを取り出している。1534年、ウルビーノ公国の後継者グイドバルド・デッラ・ローヴェレと政略結婚したカメリーノ公国のジュリア・ヴァラーノ・ダ・カメリーノは、当時まだ11才の子供であった。グイドバルドは、幼い妻が成熟した大人の女性へと成長したときに床を共にする夫婦の寝室のベッドのそばに飾るためティツィアーノに《ウルビーノのヴィーナス》を注文した。新郎はこの絵に刺激され、新婦は夫婦生活について感化、教育されるだろう。グイドバルドがティツィアーノの《裸婦》を入手したいと書かれた手紙が現在2通残っている。ティツィアーノは女性ヌードに美を発見したのかもしれない。平和と豊穣、多産を願う神話画のヴィーナスを主題に、アトリビュート
として忠節を表わす犬と、愛を表わすバラと常緑樹ギンバイカを配して、艶めかしく美しい裸体を絵画化した。ティツィアーノの傑作である。五感を刺激する女神
細野氏は「《ウルビーノのヴィーナス》は《眠れるヴィーナス》と比較すると、上半身だけを正面に向けて捻り、乳頭の間隔も拡げられている。一方、下半身は、《眠れるヴィーナス》と同様、両脚を伸ばして閉じており、慎み深さと品格が感じられる。当時、高貴な女性は、公の場では髪を結い上げており、髪の毛をほどいた姿を見せるのは夫の前(夫婦の寝室)だけだった。また、ティツィアーノの又従兄弟にあたるチェーザレ・ヴェチェリオは『古今東西の衣服について』(ヴェネツィア、1590)のなかで、「花嫁は約1年間金髪をほどいて肩にかかるようにしておく」と述べている。本作品のヴィーナスのウエーブした長い金髪は、つやつやと輝き、絹糸のように細く、ふんわりと柔らかそうで、そっと撫でてみたくなるほどである。さらさらの髪が素肌(右肩)にかかるさまも艶めかしい。こちらを見つめる瞳はブルーグレーで複雑に輝き、紅の唇はふっくらとして肉感的で、全裸でアクセサリーのみを身につけている。ティツィアーノは、宝飾品を描くのも非常に上手い。左の耳元で揺れている大粒のバロック・パールの輝きに注目してほしい。特に肌の質感の表現は見事で、若い女性らしく、滑らかで張りと弾力があり、ふっくらと柔らかそうで、体温さえ感じられ、思わず触れてみたくなるほどである。実に官能的で魅了される。また、普通であれば、きちんとベッドメーキングされているはずだが、ヴィーナスは乱れてしわの寄ったシーツの上に横たわっている。さらに、そのシーツは、ヴィーナスの胸の下あたりでめくれ上がり、その下からバラ模様の赤いマットレスが覗いている。シーツの白によって貞操の固い妻を表わすとともに、それが乱れていることと赤いマットレスが垣間見えることから、貞淑な妻の内に秘められた夫に対する情熱的な愛も暗示しているのではないか。深紅のバラの花が一輪、バラ模様の朱赤のマットレスの上にぽとりと落ちるのも意味ありげである。芳しいバラの香りが漂っているのだろう。後景に目をやると、白いドレスを着た侍女がカッソーネの蓋を開けて中を覗き込んでいる一方で、腕まくりをして立っている侍女は、青色と金色の縞柄のドレスを肩に担ぎ、前景にいる全裸のヴィーナスに着せようとしているように思われる。この青と金は、ウルビーノ公国の支配者デッラ・ローヴェレ家の紋章の色である(青地に金色の樫の木)。よって、カメリーノ公国のジュリア・ヴァラーノがデッラ・ローヴェレ家に嫁いだことを示唆しているようだ。つまり、《ウルビーノのヴィーナス》は、グイドバルドとジュリアが真の夫婦になったことを祝う祝婚画であるとともに、豊穣・多産の女神ヴィーナスにあやかって、子宝に恵まれるようにという、子孫繁栄を祈念した絵であるといえる。美術史家のローナ・ゴッフェン(1944-2004)によれば、当時の医学の知識に基づいて、跡継ぎとなる男子が生まれるよう、右を下にして横たわっている。また、交わっている最中に美しい絵を見ていると、美しい子供が生まれてくる、と信じられていたという。しかし、現実には、1547年ジュリア・ヴァラーノは一人娘を生むと24歳で亡くなってしまう。すると翌年グイドバルドは、カメリーノ公国の領有をめぐって敵対関係にあった教皇パウルス3世の息子でパルマ公の一人娘ヴィットーリア・ファルネーゼと再婚し、三子をもうけた。これが顛末です」と語った。
神話のヴィーナスに裸体の多義性を見出したティツィアーノは、女性の官能的なヌードを鑑賞する目的として女神を顕現化させ、またひとりの女性であるように《ウルビーノのヴィーナス》を表現した。近現代の油彩画の発展にも寄与した名作である。
細野喜代(ほその・きよ)
ティツィアーノ・ヴェチェリオ(Tiziano Vecellio)
デジタル画像のメタデータ
【画像製作レポート】
参考文献