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葛飾北斎《冨嶽三十六景「神奈川沖浪裏」》──線を引きたくなる絵「大久保純一」

影山幸一

2009年06月15日号

国境を越えた画狂人

 葛飾北斎は江戸・本所(東京都墨田区)に生まれた。10代の後半から彫師の仕事をしていた北斎は、19歳で彫師をやめたあと勝川春章の門に入り、春朗と号し、黄表紙の挿絵や役者絵を描き、浮世絵師として本格的に修業に入った。狩野派、土佐派、円山派の研究を続け、中国の南蘋派(なんぴんは)には緻密な筆致、洋風表現からは陰影法など、和漢洋の画法を学び独自の葛飾派を作りながらも、画風はつねに変化していった。
 19世紀後半、ジャポニスム特集など外国の雑誌や書籍によって浮世絵が採りあげられ、日本の浮世絵が世界に広がった。ゴッホは弟のテオに宛てた手紙で北斎を激賞し、セザンヌは北斎の連作をヒントに《サント・ヴィクトワール山》を制作、彫刻家カミーユ・クローデルは波をモチーフにブロンズ作品を制作、作曲家ドビュッシーは仕事場に北斎の作品を掲げて交響曲『海』を作曲した逸話など、国境を越えて北斎は愛されていたようだ。当時錦絵は消耗品的なところもあり、社会的な影響力という点では版画より、絵手本『略画早指南』(1812)や『北斎漫画』(全15編, 1814〜1878)、『富嶽百景』(全3編, 1834〜?)など本の方が伝播・普及しやすかったと言う。
 「北斎の作品は線、形のくせが強い。指の先まで張りつめたような人間の形態など、北斎特有の造形世界がある。そして「冨嶽三十六景」は広重の「東海道五拾三次」に比較して、作品の流通枚数が少なかった。作品そのものというより出版物を介在して浮世絵のイメージは広まった」と大久保氏。
 浮世絵師にとって本の挿絵は生活のために描かなくてはいけない重要な仕事だが、北斎は読本作者の曲亭馬琴(1767〜1848)が言うように「挿絵を指定した通りに描かない難しい人」だったそうだ。作者の意向を的確に挿絵の上に反映した当時の人気絵師・三代歌川豊国とは対照的な絵師だったと大久保氏。春朗、宗理、可候、辰政(ときまさ)、錦袋舎、画狂人、戴斗(たいと)、為一(いいつ)、画狂老人卍など頻繁に名前を変え、70歳で「冨嶽三十六景」を制作した北斎は「天我をして五年の命を保たしめば、真正の画工となるを得べし」と言い、1849年90歳で生涯を終えた。
 彫師から仕事を始めたというのが北斎の感性を決定づけてはいないだろうか。木を彫って表現する不自由さが、最大の効果を生む方法を北斎に考えさせた。直線や円を上手に活かしながら、計算されたシンプルな構図によって力強いオリジナル表現を完成させていった。いかに彫れるかを体得した北斎は、絵を描く前に桜の版木の特性を踏まえた構想を練ったにちがいない。

浮世絵版画の製作工程

 浮世絵版画の精緻でありながら潔い美意識は、江戸庶民の文化の高さを現代に甦らせる和紙に残された江戸の精華である。その工程は大きく7つの工程により、絵師、彫師、摺師の共同製作により、版元がプロデューサ的な役目を果たした。
 版元:作品の企画を立案し、絵師に注文する→絵師:下絵を描き、版下用に下絵を墨で写す→版元:版下に出版許可の検印を受けると、彫師のもとにまわす→彫師:版下をもとに主版(おもはん)を彫り、この主版から墨一色の校合摺(きょうごうずり)を摺り出す→絵師:校合摺に色を指定し、一枚に一色を指定、色さしする→彫師:色ごとに版木を彫刻する→摺師:絵師の立ち会いのもとで見本摺をおこない、のち初摺(しょずり)が完成、一般的に200枚を摺る。その後の再版を後摺(のちずり)という。

【神奈川沖浪裏の見方】

(1)タイトル

浪裏は文字の通り波の裏。

(2)モチーフ

波、押送り船、富士山。

(3)構成

波と富士の動と静、近と遠の鮮明な対比が主要な要素。

(4)構図

『北斎漫画』にある「三ツワリの法」という北斎独自の3分割構図法や、西洋の透視図法(遠近法)を活用し、富士を中心にした求心的な構図を生み出している。とにかく線を引きたくなる絵。そこには幾何学的な構図原理があり、いかに線を引くかによって多様な解釈ができる。北斎は、すべてのものはコンパスと定規で描けると言う。(例:波の円運動の起結(図:黄色線)、山と波の形が作る三角の相似形(図:赤色線)など)。北斎は、広重と異なりどこから見たのかというビューポイントやリアリティより、構図や造形性が前面に出ている。

《神奈川沖浪裏》構図を読む
《神奈川沖浪裏》構図を読む 中村英樹『新・北斎万華鏡』参考
ColBaseの画像をもとに作製

(5)画材

和紙、鉱物や植物から採取した天然顔料、プルシアンブルーという新しい青色の絵の具が特徴。

(6)色

青色が特徴。粒子が細かいプルシアンブルーは染料のような性質で、明度の高い透明感のある濃い青色でグラデーションの表現が可能。紺、青、水色、白色、茶系、墨が確認できる。

(7)サイズ

大判といわれるサイズ。約縦27×横39cm。大奉書(おおぼうしょ)の二分の一。A3とB4の間くらい。江戸時代後期の浮世絵版画はおおよそこのサイズで、北斎、広重、歌麿、写楽などの標準的なサイズ。

(8)署名

北斎改為一筆。「冨嶽三十六景」46図は落款名と書体、刊行時の違いにより5分類できる(北斎改為一筆:10図〔文政13年から天保元年の1830年頃〕、前北斎改為一毛:10図〔天保2年〕、前北斎為一筆〔為が草書体で形がやや複雑なもの〕:5図〔天保3〜4年〕、前北斎為一筆〔為がすっかり草書体〕:11図〔天保4年〕、同じく前北斎為一筆〔為がすっかり草書体〕:追加制作された裏不二10図〔天保4年秋から天保5年〕)。

(9)制作年

1830年頃、天保2年より前、天保元年か文政の最末期に制作された説が出て、現在ゆらいでいる。

(10)制作数

通説では1作品の初摺りは200枚、天保末(1843)頃でよく売れる錦絵で2,000枚ほどだったらしいが、「冨嶽三十六景」はおそらくそれよりはるかに多いだろう。

(11)版元

永寿堂西村屋与八(江戸の老舗)。

(12)価格

浮世絵は1作品あたり大体20〜30文ほど。現在に換算して約500円。

(13)国宝

浮世絵版画はおそらく作品が複数残っているため国宝にならない。最近は重要文化財にも指定されていない。

(14)鑑賞法

屏風などに張って見たり、46枚揃えて本として綴じて見る(2つ折りにした折れ線が入っている作品はその名残)。近代以降、古美術の流通の過程でばらされてしまうが、江戸末期は本の形のまま残っていたと思われる。メトロポリタン美術館所蔵の「冨嶽三十六景」は全体が揃っており、刷りも良い。

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