アート・アーカイブ探求

葛飾北斎《冨嶽三十六景「神奈川沖浪裏」》──線を引きたくなる絵「大久保純一」

影山幸一

2009年06月15日号

葛飾北斎《冨嶽三十六景「神奈川沖浪裏」》
葛飾北斎《冨嶽三十六景「神奈川沖浪裏」》
1830年頃、横大判錦絵(約27×39cm)、東京国立博物館蔵
[出典:ColBase
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日本美術の代表

 いつかは古典となる可能性を秘めた現代美術とすでに古典といわれる名画を並べて見ると、古典が新しく感じるときがある。古典と現代、東洋と西洋をつなぎ、ボーダレスでアートを俯瞰できるのは、デジタルアーカイブの恩恵でもある。日本の美術を世界から眺めて見たとき、今、世界で最も有名な日本の絵は何だろう。北海道・洞爺湖サミットの会場に展示された長谷川等伯の《松林図屏風》か、同じく会場にあった俵屋宗達の《風神雷神図屏風》なのか。長野オリンピックのシンボルイメージに使われた雪舟の《秋冬山水図(冬景)》か、それとも村上隆や奈良美智の作品か。あるいはゲームやアニメのキャラクターがその役割を担っているのだろうか。
 アメリカの雑誌『LIFE』が1999年企画した「この1,000年間に偉大な業績をあげた世界の人物100人」に日本人としてただ一人選ばれたという葛飾北斎。どのような人なのか書籍や図録にあたってみた。「日本において《モナ・リザ》がそうであるように、世界で最もよく知られた日本美術の作品は北斎の『冨嶽三十六景』のなかの《神奈川沖浪裏》だと言っても、さして異論はないであろう」(『西洋の眼 日本の眼』p.86, 高階秀爾)、「荒れ狂う大波の一瞬をとらえ、それと遥か彼方の富士を対比した『神奈川沖浪裏』のイメージは、いまやインターナショナルなものとなっている」(図録『北斎 富士を描く』p.10, 大久保純一)。世界に知れ渡った日本の名画の筆頭は、葛飾北斎の錦絵(多色摺り浮世絵版画)「冨嶽三十六景」シリーズということらしい。そのなかでもとりわけ有名なのが、大波を描いた《神奈川沖浪裏》だ。「かながわおきなみうら」と読む。
 180年ほど前に制作された浮世絵が、日本の美術のアイコンとして世界の人々に定着していることに新鮮な驚きがあった。北斎や浮世絵を知らずに美術好きではいられないほど、この作品は影響力があったようだ。日本の美術が世界の美術に貢献した歴史があり、それらの作品の代表である《神奈川沖浪裏》をもっと理解しておく必要があるだろう。北斎の展覧会監修や「冨嶽三十六景」に関する著書のある国立歴史民俗博物館の大久保純一教授(以下、大久保氏)に、《神奈川沖浪裏》の見方を伺おうと、千葉県佐倉市の国立歴史民俗博物館へ向かった。

名所絵は新ジャンル

 大久保氏は、1959年徳島県吉野川市生まれ。専門は日本近世絵画史、特に歌川(安藤)広重に詳しい方でもある。広重を研究するには先達であった北斎を調べなくてはいけないと言う。浮世絵版画の主題が美人画、役者絵の2本柱だった時代に3本目としての名所絵(風景画)を加えたのは北斎の「冨嶽三十六景」であったのだ。
 浮世絵は、版画のほか喜多川歌麿の《夏姿美人図》に見られるように希少な肉筆画や、本などの挿絵にも描かれた。テーマによって、美人画、役者絵、名所絵、花鳥画、戯画、春画、武者絵・物語絵といった多様なジャンルがある。
 「冨嶽三十六景」は、富士山をテーマに江戸を含む各地から富士を描いた風景画の連作である。三十六景と称しながら、実際には好評に応えて46図が刊行された。北斎の代表作であり、舶来の絵の具であるプルシアンブルー(ベロ藍)★1を海や空の色として効果的に活用し、浮世絵風景画を先導した記念すべきシリーズであった。
 《神奈川沖浪裏》のように明快な線によって形作られる印象的な構図と明快な配色が、錦絵の最大の魅力と大久保氏は述べている。しかし名所絵流行のきっかけとなったヒット作にもかかわらず、江戸時代においては、広重の代表作「東海道五拾三次」が同時代の他の作品に図柄やモチーフが取り込まれているのに比べると、直接的な影響が認められる作品が少ないのが不思議な点だそうだ。

★1──1704年ベルリンで初めて製造された化学顔料で、1826年頃から安価で大量に輸入されるようになった絵の具。別名ベルリンブルーともいう。化学名:フェロシアン化第2鉄。のちに広重ブルーと呼ばれるが、そのきっかけを作ったのがこの北斎の「冨嶽三十六景」。

大久保純一氏
大久保純一氏

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